バッチ博士のフラワーエッセンス プロ養成講座 体験談
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〜バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座体験談〜
かねこくるみ
掲載日: 2004年 12月 9日 

(1)わたしとフラワーエッセンス
今から10年以上前、講師のお二人が主催するワークショップの中で、フラワーエッセンスと出会いました。初めて見るフラワーエッセンスなる液体の入ったビン。1本を選んで胃の辺りに当ててみると、その頃よく煩っていた胃の重さ・痛みがスーッと消えて行くのが分かり、びっくりしました。その後、少しミックス液を飲んで見たような、あるいは友達が飲んでいるのを見ただけなのか・・・記憶が定かではありません。いずれにせよ、あの頃は、頭でよく理解できない物はそれ以上受け入れられなかったのでしょうか。それ以上、フラワーエッセンスに関わることはありませんでした。
その後たくさんの時が過ぎ、去年わたしはアロマセラピーの学校に通い始めました。前々から精油や基材、本を買いながら、それ以上興味を持たず、本もいつ処分しようかと思っていたのですが、何故か再び引き寄せらたのです。アロマの学校でハーブティやフラワーエッセンス等についても学びました。アロマは主に表面に表れている状態(精神的な部分もありますが)に対して精油を選んで行きますが、表面に表れているものが表面に表れていないものにかなり左右されると思っていたこともあり、次第にフラワーエッセンスへの興味を掻き立てられるようになりました。
この頃に、植物に関する本を何冊か読み始めました。神津善行「植物と話がしたい」、ピーター・トムプキンズ+クリストファー・バード「植物の神秘生活」等。これらはなんとも面白かったです。植物は物言わないだけで、色々な事を感じ、認識しているとか、植物にも他の種類を毒を出して駆逐するものや、逆に回り全体を育むものがいる等性格も様々であること、今までの自分の植物に対する認識が改まる内容でした。これは自分の思い入れですが、きっと彼らは人間を含む動物が生まれてくるずっとずっと前から存在し、ずっといろいろ思っていたのかもしれません。自分達は自力で歩行する道を選ばなかったけれど、自分たちが生み出し、育てた(植物がいなければ酸素も生まれず、食料もなく、それ以降進化したものたちは存在しなかったと思います)動物たちを通して別のことをしてみたかったんじゃないのかな・・・。植物が私達を通して違った形での自己実現を計っているのかもしれない。だから色々な形で人間に影響を及ぼし、さりげなく手助けをしてくれているのかもしれない。こんなことをいうと怪しまれるでしょうか?
そんな経緯を経てフラワーエッセンスをもっと勉強する決意を固めました。どうせならハートサポートシステムで本格的に学ぶのはどうだろうかな?ここではどんなことをするのかな?どんなことを学ぶのかな?手始めにハートサポートシステムで個人セッションを受けるてみることにしました。
個人セッションではとにかく話を聞いて下さいました。普段、こんな話をしたらつまらないんじゃないかな、とか、くだらなすぎる?なんて思って言葉を飲み込んでいることが多いわたしでしたが、なんだか沢山沢山、自分の事を話していました。よく考えるとセラピストの方は自分から何かを積極的におっしゃったり提案されるようなことはなかったのかもしれません。セラピストが一方的にしゃべる形式の、色々なセッションを経験してきたわたしには目新しいものでした。何だかお話をすることが楽しかったです。本当にただ受け入れて聴いて下さる方とお話をする経験は、実は人生の中で少ないのかもしれません。ただしゃべっている内に自然と元気が出てくるのを感じました。自分で話をしながらその時を追体験し、体験を抱きしめ、客観化していったのかもしれません。ただ話を聴いていただくことがこんなに癒される経験とは初めて知りました。そして無理にプッシュされることもなく、ただその場で自発的に出てきたものなので、その癒しの経験は、人から与えられたものではなく、自分のものだと言えるように思いました。最後にエッセンスを選んでいただき、それを飲んで優しさと暖かさに包まれてうるうるしました。その後経過報告等のフォローアップも充実していて、実はかなりお得なセッションであることを実感しました。
個人セッションで方向性を実感した上で、「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」に申し込みました。

(2)基礎講座
基礎講座ではまずペンジュラムの使い方を教わりました。以前他のワークのセラピストの方から購入したことがあったのですが、正しい使い方を知らなかった為でしょうか、「当たってないよ〜」ということになり、お友達にあげてしまったことがありました。今回は本当に自分がペンジュラムとコンタクトする方法を教えていただき、自分とワークをしてくれるペンジュラムにも出会えてとても信頼をおいています。講師の方が昔受けたという、ペンジュラムだけのワークショップにも興味を持ちました。それだけ奥が深いものなのですね。役に立つツールであっても正しい使い方を知らなければ意味がないと分かりました。
基礎講座ではエッセンスのお花の意味の説明と共に、毎回違った選び方やヒーリングを体験しました。過去のショックを解放する等、実践的でとても役立って自分を癒してくれる濃い内容です。毎回エッセンスをミックスしてそれを次回まで飲んで行きました。
第一回目で一本だけ選ばれた「スターオブベツレヘム」は殊に印象に残っています。このエッセンスはトラウマの解消に効くというものですが、飲んでから数日、劇的に効いているのが分かりました。まるで今までの自分が肉体からずれたところに浮かびながら過ごしてきたかのように、今やっとずれていた魂が肉体に戻ったような感覚でした。やっぱりわたしは意識していないけれどかなりのショックを経験していたのかな?話で聞かされているだけですが、わたしが9ヶ月になる胎児の頃、母が交通事故に遭い、もう少しで出血多量で死ぬところだったそうです。「お腹に子供がいなければ、気を失ってそのまま死んでいたかもしれないよ」赤ちゃんを殺してなるものかと、母は気絶しそうな手術の痛みにも麻酔も打たずに耐えたそうです。「ひとりだったら痛くて死んだほうがましと思っただろう」とも言っていました。(ひとりだったら身軽に車を避けて交通事故にも遭わなかったかもしれないとも思いますが)この事故についてはわたしの意識は何も覚えていないので分かりません。ただ、母はショックで母乳が出なかったこと、出産後も歩けるようになるまでひと月以上退院できず、わたしも普通の新生児より長く病院に居たことは事実として聞いています。
物心ついてから、恐い夢を何度も見て、両親の制止を振り切って家中を走って逃げ回ったことや、救急車・消防車等のサイレンに異様に怯えていたこともそこから来ているのかなと思うことがあります。
わたしのマインドは、事故のショックで魂がずれてしまっていて、それをスターオブベツレヘムが癒してくれたのではないかと想像しました。
その後の回では、いつも沢山のエッセンスが選ばれ、欲張りなミックス液をいっぱい飲んでいきました。
自分で自分の為にエッセンスをミックスできるようになった事、心のケアを自分でできるという自信は何にも勝ってありがたい贈り物でした。
講座でご一緒した方達とも、その場を共有し、シェアリングの中でお話できたことで、最終回までにはとても親近感を覚えるようになりました。言葉で又言葉以外で、何か交流があったのだなと感じました。
フラワーエッセンスに、そして講座内容に益々惹かれ、プロ養成講座を受講することにすんなり決めました。

(3)プロ養成講座
基礎講座の後、4ヶ月以上間をおいてプロ養成講座が始まりました。その間にわたしの生活も考え方もかなり変化して、おそるおそる覗いていたフラワーエッセンスの世界が、今や自分の生活にかなり定着して来ていました。
プロ養成講座ではカウンセリングと心理学についての勉強から始まりました。1回目から、カウンセリングについての本を読むことが宿題として出されました。フラワーエッセンスだけではなく、心理学の勉強、しかもズバリ要点をついた内容です。心理学のエクササイズも、自分を見つめるきっかけを作ってくれました。例えば連想法をした時、お互いに関係のない言葉から始めても、たいてい自分の連想が同じところに向かっていることを発見しました。連想の中で何度も出てくる言葉が自分の人生のキーワードとなっているようにも思いました。それとも私の思考がワンパターン、単細胞なのでしょうか?
ユングの話は短時間の講義で理解するには深淵過ぎると思いましたが、所々心にひっかかって、自分と無意識の大海とを結び付けてくれ、パンドラの箱を見せられたような恐さを感じました。シャドウ、夢分析。自分の、人間の、宇宙の広大さ複雑さ・・・。
自我防衛の話は耳が痛かったです。自我を守るために自分が何をしているのか、未知のものについて、「否定、不信、避難、投影、正当化と理論づけ」・・・いつも私がしていることです。そして「口先で変化を口にする」。「わたしはこんなだった。あんなだった。」といつも過去形にして自分を語りたがるわたしは、「このままのわたしではいけない。でももうそのことに気付いたの。そして今はもう変わったのよ」といつも自分に、他人に、弁解しているだけで、これも実は自我防衛であり、「変わったからもう大丈夫なんだ」って思おうとしていただけなのかもしれません。
講義だけでも色々ぐさぐさ来ていましたが、いよいよデモンストレーション、それに続きロールプレイが始まりました。ロールプレイのセラピスト役の体験から、自分がいかに「いまここに、ハートに留まれないか、頭に行って整理しようとしているか」に気付かされました。「doingではなく、being」「自分を脇におく」「クライアントさんに、自分が考える、−あるべき姿−を押し付けない」、「クライアントさんの感情に自分を投影し、巻き込まれない」等々、沢山の反省点と、自分の条件付けがまるごと出てしまう恐さを知りました。
家に帰って振り返ってみて、自分の話し方が思っていたのと違ったことに驚きました。もっとゆっくり話しているつもりでしたが、思ったより早口なのです。まるで何かに追い立てられるような感じで、自分のペースではありません。そして、思っていたより声が小さく、ちっとも声が出ていないことにショックを受けました。
この頃からでしょうか。自分の話し方や癖、どんな風に他人と話しているかについて前より意識するようになりました。意識すると自分が見えて来て、嫌になってしまいました。「他人が恐く、どうしたらご機嫌を損ねないか、媚びへつらっている」ような話し方だと思いました。内面が身体を形作るという話がありましたが、自分を守るために始めたであろう、声の出し方、話し方の癖がもはや私を形作り規制しているみたいで、変えようと思っても簡単には変えられないのです。また、他人が望むであろうと自分が想像するペースで話していて、自分にチューニングできていないとも感じました。声や話し方は氷山の一角で、他にも色々なパターンに規制されている自分を感じました。「言葉」「思考」「イメージ」それらに制限されて生きていると。
精神的にパンチを受けながらも、わたしは確実に、前より落ち込まない人になっていると感じます。これは毎日飲んでいるフラワーエッセンスのおかげに間違いありません。以前は落ち込むととめどなく落ち込み、同じ気分が長く続くことが多かったのです。又、ネガティブな感情に巻き込まれ、怒りの嵐に木の葉のように翻弄されるだけのこともよくありましたが、最近は同じ感情が長く続かず、落ち込んだり、怒った何分後かには、もう鼻歌を歌っている自分を見てびっくりすることが起こっています。激しい感情が起こっている最中でも、身体の真中にスペースが広がっているのを感じるのです。
わたしは感情過多人間のようです。回りの影響も受け易く、小さなことにとーってもショックを受け、悲しんだり、落ち込んだり・・・。自分の感情に振り回されて泣いたり怒ったり。でも小さい頃に、怒ることはよくないと教えられ、自分が悪い子だと思い、感情をどう扱ってよいか持て余し、感情がストレートでなく、幾重にも折り曲げられ、捻じ曲がり、抑圧され、大人になった時には、もうその糸をどう解いてよいのか全く分からなくなっていました。途方に暮れて生きていくより仕方がない状態です。
自分の感情を受け入れ、それと対面するという、一見何でもなさそうなことが、ずっとずっと一番わたしには難しかったです。
フワラーエッセンスのエネルギーは、ひとを、本来の、シンプルな、自然な状態に呼び戻してくれるのでしょうか。自分自身の本来のエネルギーの上に立つことをサポートしてくれているのが分かります。微細でありながら強力な力を感じます。自分の中に空間・スペースが広がり、もつれた糸がまっすぐになり、単純になっていくように感じているのです。物事が単純になっていくのを見るのは初めての経験のように思えるのですが・・・。
それ以外にも日常生活で、物音があまり気にならなくなり、多少神経質ではなくなってきているように思います。(以前は隣の家のテレビゲームの音、駐車場でエンジンを必要以上にふかすブオンブオンという暴走族のような音等に大きな角を生やしていたのですが、今は少し余裕で、「ふん、またやってら〜」という感じです)
ロールプレイのクライアント役では、受ける側は実際どんな感じなのかを意識的に体験しました。所々でわたしが言っていることを整理して下さり、自分の思考を見ていくのを助けていただきました。しゃべりながら、自分の頭の暴走にも気付きました。本当の所では、自分の言っていることと、わたし自身のbeingが繋がっていないようだと、後で思いました。何故なのでしょう?思考に振り回されている自分がいます。くるくると脈絡なく回り、自分と他人をごまかしているみたいな・・・。ずっと感じてきたことですが、マインドから離れなければいつかは気が狂う。離れるには今がチャンスだ。思考はそのままそこに置いて、もっといいものに、光の方に焦点を合わせることだわ!講座も終盤に近づき、わたしのマインドは結構追い込まれています。
皆さんがいる前でクライアント役をするという経験も、ふだんひっこめている自分を、より開示することになり、わたしの他人へのコンプレックスを少し緩めてくれる結果になったのだと思います。また、セラピスト役の方のお話を、子供のように「ふんふん」と素直に聞いている自分がいて、セラピスト役の方の言葉が普段の会話の時よりも深く浸透していくように思いました。セッションの中で使われる言葉にはとても慎重にならなければいけないんだと実感しました。同時に、わたしの問題として、普段他人の言葉をとても深刻に受け止めすぎる、そして自分が圧倒されてしまう。その反動として「自分」が自然ではない形で戻ってきてしまうという、バランスの悪さを感じました。恐れから他人を必要以上に大きいものとして捉え、その後、抵抗して、他人を拒否する。これも自分が等身大で立っていないから。誰が何を言っても、世の中で何が起こっていても、いつも自分を擁護し、風の中に自分の足で立っている。そんな、植物なら普通にしていることをできる力が欲しいと思いました。
この講座では自分と向き合うチャンスがめいっぱいあります。ロールプレイを見学し、セラピスト役の方に意見を述べるというオブザーバー役は、わたしにとっては少し難しい局面のひとつでした。他人の言葉を気にする方なので、自分が何かネガティブなことをいうことも苦しいのです。直すところ、至らないところを指摘することは、言われた人の成長に必要なことです。でも自分が言われると、否定されているように、非難されているように感じがちなので、自分がダメな人間だと落ち込んでしまいます。これは考えすぎで、ちっとも建設的でないことは分かります。そんな余計なことは考えず、素直にひとから言われた言葉に耳を傾け、他人にも思ったことを率直に言えるようになれたら人生はなんとシンプルになることでしょうか。きっと自分のエゴを守るために一生懸命で、魂の成長等、違う側面にフォーカスできない自分がいるからなのでしょう。
人の感情・状態のマイナス面に働きかけるものが多いバッチ博士のフラワーエッセンスですが、マイナス状態のコインの裏側に光が当てられたように思います。クライアントさんにいかに否定的な言葉を使わずにエッセンスの意味を伝えていくかを勉強しました。例えば、もし今、心が沈み暗雲が垂れ込めているような状態なら、それは、「自分が魂から離れて苦しんでいるサインと考え、存在が、魂に近づき、本来の、光に満ちた自分と出会うことを促している」とも捉えられるということです。そう考えると、ネガティブな状態にはとても意味があるのだと思えてきて、希望が湧いてきます。講座のテキストや、他のバッチ博士のフラワーエッセンスに関する本を読んでいくと、それだけでとても深い、人間の、自分自身の、理解へと繋がります。自分に当てはまる個所を読んだり、書かれているエクササイズをやったりして、心が慰められ、涙が出ることもありました。
これからも色々難しいことがあると思いますが、フワラーエッセンスの助けを借りて、何とかやっていけるのだと思います。どんなことであれ、やって来るものを許し、ただ黙って、流れていくわたしのこころを見つめている。桜の樹が、川辺にじっと立って、川の流れをただ感じているように。そして、花が咲き、花びらがほんとうに静かに風に舞いながら、ただ樹からはなれていくのを黙ってじっと見ているような・・・。そんなこころの平安に同調できたらいいなと憧れています。
講座もいよいよ残すところあと一回。とりとめなく、思いついたことを書いて来たレポートも終わりにしなければなりません。今ではなんだか愛着が湧いてきて、名残惜しい気すらします。これを書くことで、自分を受容する手助けになってくれたように思います。「このままの自分でいいや」って、心の中でつぶやいているわたしがいます。
この講座はとても奥の深いもので、自分という果てしない深淵へ、そして瞑想の世界へといざなってくれました。時を共有していただいた、ひとりひとりの受講生の方々からも勇気や励ましをいただいたと感じています。そして、講師のお二人と、起こっていること全ての上には、植物・自然界の精霊たちが、天女のように軽やかに、微笑しながら舞っている姿が見えるような気がしているのです。