マウントフジフラワーエッセンス 基礎講座 体験談
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〜マウントフジフラワ−エッセンス基礎講座体験〜

掲載日: 2004年 12月 9日 

長い長い前置きですが、おつきあいください。

わたしは少々変わった子供でした。内向的で、あまりひととしゃべらず、お絵描きばかりしているか、一日中空をみあげて刻々とカタチをかえていく雲を見ていたり。大きな木やお花が大好きで、自分はできないクセに植物と人間はコミュニケーションできると信じていたり。両親は無神論者であったにもかかわらず、誰から教わったわけでもないのに"人間を超えたおおいなる存在"があること、を漠然と感じていました。でもそれを他人にしゃべったりすることは全くなく、ココロの奥底にしまいこんで持ち歩いている感じでした。そしてかなり大きくなってから世間の人たちはそれをどうやら『神』と呼んでいるのだな、とわかったりしました。人は生まれ変わる。ということもかなり小さい頃から信じていたと思います。

父の趣味が花や野菜を育てることだったので、実家の小さな庭はいつも大きなバラが咲き、きゅうりやナスがあり、時にはひょうたんやヘチマといった変わったモノまで栽培されたり、家の中にも花が欠かさず置いてありました。そんな家で育ったからか、上京してからヒマのある時は植物園に通いました。そのうち仕事が極度に忙しくなり土日は家で寝ているだけという、ある種ワーカーホリックのような状態になってしまった頃から、小さな頃のクセが復活しました。それは、道ばたのお花に話しかけること。「おはよう!今日もきれいだね!」近所の中学校の花壇の花には毎朝声をかけてから会社に出勤していました。はたからみたらかなりコワイ人です。お花から返事をもらったことは一度もないけれど、ただ咲いているその姿がメッセージだったのだと思います。

精神的に疲れているときは、会社の近所の花屋さんに勝手に足が向き、たくさんのお花に囲まれることでエネルギーチャージをしていました。本当に無意識にやっていたのですが、直感的に"花の持つ癒しのチカラ"を知っていたんだと思います。

そんな"花好き"なところから、フラワーアレンジメントなどに挑戦してみましたが、いまひとつしっくりきません。お花とたわむれるのは楽しいのですが、自分の求めているものとちょっとちがう。そしてひょんなことからフラワーエッセンスに出会い、半信半疑で飲んでいたにもかかわらずその途中で"ああ、わたしが求めているものはこれだったんだ"とわかりました。

マウントフジフラワーエッセンスとの出会いは、まさに"呼ばれた"という感じでした。

ある本を読んで、その本で紹介されていた"フラワーエッセンスなるもの"を買ってみようと都内のヒ−リングショップに出かけて行きました。目当てのブランドのエッセンスの横に置いてあった、ふわっとした感じでかわいらしいイラスト付きのフラワーエッセンスに一瞬でココロを奪われてしまいました。オーラスプレーの『女性と男性』です。どうしてもそれが欲しくなり、目当てのエッセンスと共に買いました。使ってみると、なにかよくわからないんだけど、とってもいいのです。コトバにするのがとてもむずかしいのですが、すがすがしい気分になったのです。半信半疑で飲んでいた目当てのブランドのエッセンスの方もとてもいい感じでした。大きくなってからすっかり忘れてしまった純粋な気持ちが舞い戻ってきたような感じでした。

この出会いから一気に"フラワーエッセンス"に対する興味がマグマのように噴出し、それにまるでタイミングを合わせるかのように、近所の古本屋さんでフラワーエッセンス関連の書籍をたて続けに発見して購入。サンバドさんとパビットラさんのインタビューが掲載されたかなり古い雑誌も見つけ、気持ちは絶対にマウントフジフラワーエッセンスの講座を受けたい!という熱望に変わりました。

しかし、なぜか遠回りの道を選び、「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」を受講します。たしかに一見すると遠回りでしたが、そのころ自分のココロをがんじがらめにしていた"スピリチュアルなモノに惹かれてしまう気持ちと嫌悪する気持ちの両方の気持ちがあって自分を肯定できない"という感情をこの基礎講座中にかなり癒すことができたことが大きな収穫になったと今になるとわかります。

それからほぼ1年後。まんをじしての「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」受講となりました。

大変前置きが長くなりましたが、ここから「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」中の心境の変化などを書いてみたいと思います。

●第1回(イカリソウ)
ゆびおり数えて遠足を待ちわびる。そんな気持ちで迎えた第1回。講座はチャクラの説明から入っていった。よかった。ここまで「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」の受講を延ばしたことは本当によかったんだなと思った瞬間だった。だって、いままでのわたしは"チャクラ"というコトバは知っていたけれどかなり抵抗感があったのだから。「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」でそういうものを癒し、そのすぐあとにチャクラ関連の書籍を読んで予備知識を得ていた。講座では書籍からは得ることのできなかったチャクラの本質的な性質などを知ることができ、もう第1回目からわたしの好奇心のメーターは、振り切れそうになるくらい全開になってしまった。

講座の後半は実習。他の人のエネルギーを感じる実技で、ココロの奥深くに入っていって訴えてくるものを感じ取ろうとすると、ある映像が浮ぶ。大学受験のために母の友だちの家に泊めさせてもらっているわたしだ。とってもよくしてもらっているのに、なんだか"ヨソモノ"キブンがとれないちょっと居心地の悪いような感じ。それはわたしの個人的な過去の出来事だったが、ペアの人に素直にその話をすると、彼女は結婚してまだ日が浅く、すこしばかり居心地の悪いキブンがあるのだとか。え?そうなの?なんだか狐につままれたような感じ。わたしのエネルギーについての彼女の感想も、まさにわたしがあるものに対して思っていることそのままだった。感覚ってスゴイ!と単純にびっくりする。

最後にこの感覚を駆使してエッセンスを選んだ。このときもわたしの場合、鮮明に映像が浮かんだ。この日は7本を感じてみたが、選んだのはイカリソウ。このエッセンスを手にしたとき浮かんだ映像は『ユグドラシル』だった。わたしが大好きな日本のロックバンドがリリースしたばかりのアルバムジャケットに描かれた巨樹で、北欧神話の中に登場し宇宙樹もしくは世界樹とも呼ばれてる。エッセンスを手にしてすぐ、このアルバムジャケットのイラストが目の前に見え、そしていつしかわたしはその『ユグドラシル』となり、どっしりと地上に根をおろしていた。なにものにも揺るがない安定感が感じられたのでこのエッセンスを選んだ。

家に帰ってもう一度テキストのイカリソウの解説を読み返すと「生に錨を降ろし、地に足をつけて、しっかりと人生の目的を実行していけるようにサポートしてくれる」とあり、非常に納得をした。

*余談ですが、講座の翌日は、アルバム『ユグドラシル』をリリースしたバンドのライブツアー初日。チケットはソールドアウトで手許になかったにもかかわらず、どうしても彼らのライブがみたいと会場に出向いたところ、チケットをゆずってもらうことができて見事ライブを見ることができました。

●第2回(ヤブカンゾウ)
この日選ばれたのはヤブカンゾウ《ショックの解放》だった。
テキストを読み返して、またか。というのが正直な感想。「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」でも、ショックによいと言われるスターオブベツレヘムが2度選ばれたのを思い出す。たしかに思い当たるトラウマ、ショックは数限りなくある。小さな頃に母親から受けた精神的な虐待をはじめ、わたしに執着した男性から受けたストーキング行為と性的ないやがらせや、最近では短期で働いたバイト先の店長から受けたイジメなど。自分ではそういったココロのキズはもう癒せている、キズなどない、と思っていた。いや、思い込んでいただけだったようだ。精神的なショックはそう簡単に癒せるものではないよ。とお花たちが教えてくれた感じ。強がっている自分の姿がはっきりと見えた。

●第3回(ヤマブキ、アメリカセンダングサ、オオキンケイギク)
この週はおもしろいことがあった。第3チャクラに対応するお花はアメリカからやってきた帰化植物が多いというお話や、日本人はアメリカ人の自己主張の在り方から学べるものもある、というお話を講座で聞いたそのあとの週末。台風が接近していたので外出をあきらめてレンタルビデオを見ようとお店に入ったが、見たかったビデオは貸し出し中だった。しかたがないのでなにか別なビデオでも・・・と店内を見て歩き、ふと目に止まったのが『ラスト サムライ』。別に前から見たかったワケでもなく、トム・クルーズのファンでもないのになんとなくひかれて借りてしまい、見ている途中から妙な感覚に襲われた。アメリカからはるばる日本にやってきて帰化した植物たちの姿と、トム・クルーズ演じる、やはりアメリカから日本にやってきたオールグレン大尉の姿がダブってみえてきてしまったのだ。わたしが飲んでいたエッセンスのうちの2つ(アメリカセンダングサ、オオキンケイギク)はアメリカからやってきたお花。なんとなく、エッセンスのお花たちがこの映画を見るようにしむけたのかな?そんなことを考えてしまった。

●第4回(シャクナゲ(ピンク)、ミゾソバ(ピンク)、モモ)
いままで3回は自分自身で自分のためのエッセンスを選んできた。この日、初めて他の人のエッセンスを選ぶワークを行った。内心かなりどきどきする。はっきりとわからなかったらどうしよう。こういうときに自分の自信のなさが露呈する。だけど、もう自分を信じるしかないじゃない!そういうココロの声も聞こえた。実習に入る。クライアント役の彼女を感じながら、ただただ自分の内側に浮かぶものに集中する。むりやりイメージを浮かべているのではないか?そういう疑問もふとした瞬間に襲ってくる。けれどもそういう疑問にまどわされないで、ひたすら彼女のエネルギーを自分の中へと招き入れることだけに没頭する。そうすると、ちゃんと出てくるではないか!今まで、自分の内側を信じよう!となんど言い聞かせても信じられなかったのに、エネルギーを感じる実習を重ねていくと、自分に対する信頼が少しずつではあるけれど強くなっていく。これはどうしたことだろう?結局"自分の内側を信頼していく"体験を重ねることが、いちばん"自分の内側を信頼していく"ことにつながるのだなあと理解した。

講座の中のお話で第4チャクラの問題として「一緒にいたくないひとを引き寄せてしまう、満たされない関係性を続ける」という部分が非常にひっかかっていた。かなり昔からのわたしの問題だ。講座の次の日、わたしはそれほど好きでもない女性の同僚2人に食事に誘われて断れずに行く。彼女たちの話は聞いていてどっと疲れてしまうような話ばかり。過去のオトコ関係自慢とSEXに関する武勇伝。そしてありとあらゆる会社の同僚の悪口。わたしはできるだけ聞き役にまわり、悪口を言わないようにしようとするが、ついつい調子にのって悪口大会に参加してしまう。食事だけで帰りたかったのに結局お茶までしてしまい、次の日、起きあがれないほどのものすごい腰痛と疲労感に襲われる。わかっていたのに。彼女たちと食事に行ったって疲れるだけだって。なぜ、断れない?たぶん、本当の自分を晒すことで、他者と摩擦を起こすことがイヤなのだ。だから、無理矢理自分を抑えて周りに合わせている。そんなことをしているから猛烈に疲れるのに。かなり自己嫌悪におちいるようなできごとだったが、飲んでいたフラワーエッセンスのおかげなのか、あまり落ちこまず、彼女たちにたいする嫌悪感もあまりつよく感じることなく過ごすことができた。

●第5回(マルバハギ、リンドウ)
エッセンスを選んでから迎えた週末。エッセンスが象徴するような出来事があった。なぜか突然思い立って帰郷することに。目的はヘアスタイルを変えること。田舎には兄のように慕っている美容師がいて、かれこれ20年近く髪をカットしてもらっていた。だけど昨年あたりから、なぜか彼からもう卒業しなければという思いが出てきた。ところが都内で通える美容室を探したが、なかなかコレ!というお店がみつからない。そうこうしているうちに1年半も髪は伸ばしっぱなし。それでしかたがなく、その田舎の美容師のお店に予約の電話をしたところ、初めて向こうから断られた。軽くショックだったがなぜか安堵した。たぶんマルバハギ《過去を癒す》の作用だと思う。彼は出会ったときにすでに結婚もしていたし恋愛対象に考えたこともないのだが、わたしと波長がよく合いとても尊敬できる人だったため、どこかで兄貴のように思って精神的に頼り過ぎているようなところがあった。彼に会うときは"昔のダメな自分"に戻らなくてはいけないのがここ数年苦痛だった。この一件できっぱりと彼から卒業できたような気がする。そして次に髪を切ってもらう美容院を探すのに本気になった。目的もなく田舎に帰ることは今までなかったのだが、上京してからはじめて、ただ両親と一緒の時間を過ごすというだけのために帰省した。なんとも奇妙な週末だった。

それにしても《痛みを取り除く》リンドウが選ばれたことは、ヤブカンゾウに引き続いて、自分がいかにココロのキズをみないように、感じないようにしてきたのかを考えさせられる。どのキズがまだナマキズで、リンドウのエッセンスを呼んでいるのかは全くわからないのだけれど、とにかくエッセンスを飲んでいこうと思った。

●第6回(ナギナタコウジュ)
講座で選ばれたのがナギナタコウジュだったのは、内心ちょっと不服だった。フラワーエッセンスと接するようになってから、昔に比べて他人との間にかなりしっかりとした境界線が張れるようになったと思っていたからだ。けれども講座の次の日、イヤイヤながらも"つきあい残業"をしてしまい、実はぜんぜんまだまだ他人との距離のとり方が甘いのだと実感させられた。会社の中でそれほど好きでもない女性の同僚2人と、まるで昔からの仲のよい友だちのような関係を作ってしまっていること。それに前から気がついていたのに気がつかないふりをしていた。けれどナギナタコウジュはそんなわたしのウソの関係をはっきりと浮かび上がらせてくれた。エッセンスを4日ほど飲み続けているうちに、彼女たちはあくまで会社の同僚としてのつきあい止まりにしたい。わたしのプライベートまで侵入させることはできない!という強い感情がわきあがってきた。

●第7回(センニンソウ、シャガ、ツリガネニンジン、ハリエンジュ、スピリッツ)
講座が後半に入ってから、なぜかウキウキ感が消えてしまった。別にフラワーエッセンスがキライになったとかそういう理由ではなく、講座でリーディングされるエッセンスたちが、とってもかすかなちいさな声でわたしに訴えてくるものがなんとなくわかってきた感じ。"コレカラ、オマエハ、ドウスルンダイ?"会社などではいつものようにふるまってはいるものの、ココロの中ではもんもんとしたものを抱えてしまっていた。仕事自体は単純作業のくりかえしなので、ふだんは仕事中に考え事をしていてもそれほど影響はないのだが、講座の次の日には単純なミスを多発させてしまった。"なにか"が自分のココロのなかで動いている感じ。それはとってもかすかではっきりとわからない。それが日中のもんもんとしたキブンになっていたような気がする。毎日の日課となっていた就寝前の瞑想もなぜか身に入らずサボりぎみになった。"コレカラ、オマエハ、ドウスルンダイ?"このクエスチョンがふとした瞬間に浮かぶ。

それにしてもセンニンソウがリーディングされたのには苦笑した。テキストの例であった「植物やペットとばかり話をしている人」ってまさにわたしのことではないか!会社からの帰り道、ノラネコと会話をするのがいちばんココロ安らぐ時だったりする。家で育てている多肉植物には毎朝"元気に育てよ!"と声をかけている。ニンゲンとしゃべるのはうわべのことだけ。本気で自分の内面をしゃべることはない。そんなわたしにぴったりのエッセンスだと思った。

もうひとつおもしろかったのは、この講座の前の週からなぜかひんぱんにお酒が飲みたいなあと思ったこと。わたしはふだんお酒を飲まないし、飲みたいという欲求もほとんどおこらないのだが、どうしたことか?とおもっていたら、ハリエンジュ《聖なる酔っぱらい》が選ばれた。このことからアルコールが欲しかったのではなくて、幸福感で浮かれた気分を味わいたかったのだということがわかった。講座の後、お酒に対する欲求は消え、そのかわりにもっと日常生活を楽しくしていかなきゃ!と思うようになった。

●第8回(メイゲツソウ、イタドリ)
9回ある講座の中でいちばん楽しみにしていた回。なのに、いちばんショックを受けてしまった。自分の内面の女性性と男性性を探っていくワーク。これまで講座で何度もワークをこなしていくうちに、自分はさまざまなエネルギーをイメージで受け取るタイプなのだということがわかってきていた。今回もワークをしながらどんなイメージを受け取るのだろうと思っていた。いつものようにココロの奥深くに入り、わたしの女性性をイメージで捕らえる。えっ?まったく信じられなかった。それはアニメの中の女性!それもアニメ好きの男性たちに熱狂的に人気のあるアニメアイドル!!彼女の説明を簡単にすると、過去を抹消された謎の少女で両親は不明。笑わない、泣かない、無表情、無口、孤独。全身を包帯でぐるぐる巻きにされるような大ケガをしても、ひたすら戦闘型ロボットのパイロットとして、人類滅亡を狙う『使徒』と呼ばれる正体不明の戦闘兵器と戦う。そんな彼女のイメージが自分の女性性だなんて受け入れられるはずもなく、すぐにその場でそのイメージを否定する。でも消えない。イヤだ!
ココロがものすごい動揺しているなか、続けて男性性を探る。ウソ?こんどは趣味のバンド活動に没頭しているフリータ−かよ!!ウソ!ウソ!ウソ!と否定するがイメージは消えてくれない。イメージの中のフリーターの彼は、本当はプロのアーティストになりたいくせに自信がないものだから職を転々としている。かといってプロになることをすっぱりと諦めることもできずにもんもんとしている。なんだ。今のわたしの状況とそっくりじゃないか!そうか、そうなのか。わたしが恋愛だけでなく仕事もうまくいかなかったりする理由がはっきりとわかった。まさに"腑に落ちる"という表現がふさわしい。それにしても落ち込みは激しかった。他の人の体験談を読んで、中世の騎士とかお姫さまがイメージででてくると思っていたのに。よりによってアニメアイドルともんもんとしているフリータ−だったなんて・・・・。でもそれが現実なんだ。自分の内面をしっかりとみないで逃げているよりはずっといい。この痛みはきっとわたしを"新しいわたし"に生まれ変わらせてくれると思いたい。

そして選ばれたエッセンスのひとつがなんと、メイゲツソウ!実はわたしの趣味と関係の深いお花である。その趣味に関連した事で名前をつける時、お花の名前、できればマウントフジフラワーエッセンスの中から見つけたいなあと思い、それでパンフレットを見て直感的に選んだのがメイゲツソウだった。今まで自分の女性としてのセクシャリティに自信がなかったので、メイゲツソウという名前で少しでも自信がつけばいいなあと思ったのだ。そのメイゲツソウのエッセンスがまさか講座の中でリーディングされるとは!!直感的に選んだ名前にも実はちゃんと意味があったということかもしれない。

そしてもうひとつのエッセンスはイタドリ。ああ、やっぱり、もう、避けられないところまできてしまったんだなあと思う。それはこれまでずーっとずーっと逃げて逃げて避けてきた"リーダーシップ"というコトバと向き合わなければいけない時がきているのだということ。このコトバから逃げていることで人生が滞っているんだと、過去にクリスタルを使うヒーラーの方に言われたことがあった。リーダーになることを避けていることで本来のわたしの生き方ができないでいるのだと。でも、わたしのような憶病者がリーダーになんかなれるわけがない。といつものように自分を否定してしまう自分がいる。だけど、本当はココロの奥底から聞こえるのだ。"先頭を走ってみたい"というかすかに小さな声が。この小さなささやくような声に気づいてしまった。これからどうすればいいんだろうか?

あと残すところ第9回のみとなった。

講座後半から急速に意識の深まりがどんどん加速していて、内心これからどうなるんだろうという気持ちで不安になっている。そんなときにプロ養成講座が間をおかずに開催されることが決まり、逆にとても安心した。もっと深く入っていく時がきたんだ。そんな感じ。基礎講座でつかみかけている"なにか"の正体がプロ養成講座で明らかになるのかもしれない。

最後に。サンバドさん、パビットラさん、ありがとうございました。おふたりのたたずまいがコトバ以上にわたしにさまざまなインスピレーションを与えてくださいました。これからもプロ養成講座の方でよろしくお願いいたします。また一緒に講座を受けた受講生の方との帰り道の雑談もさまざまな気づきにつながりました。こちらも心から感謝したいと思います。