マウントフジフラワーエッセンス 基礎講座 体験談
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〜マウントフジフラワーエッセンス基礎講座体験談〜
村田麗薫

掲載日: 2008年 1月 26日

 
 マウントフジフラワーエッセンス基礎講座がはじまる2日前、私は新宿の喫茶店で恋人と会っていた。自分を必要としてくれる人のそばで一生過ごしていくのもいいなと思って、相手からの提案を受け入れたいと思う自分と、その選択をしてしまうと確実に死んでしまう自分とがずっと同居していた。誰かに必要とされていることはうれしくて、自分がちょっといいものになったような甘い感覚がした。それを壊してしまうと、自分の存在意義がなくなってしまうような気がして、相手との関係が揺らぐような事はあまり言わないようにしていた。意見を言わないという選択をしていたのは相手に気を使っていたというのもあるが、それ以上に自分が傷つきたくなかったからだった。喫茶店で、相手に今の自分が抱えている不安や意見をすべて伝えた。私は自分の意見を言えたこと、相手が意見を受けとめてくれたことがうれしかったけれど、その反面、自分が本当に一人ぼっちで、何の価値もなくなったような気がして、不安で、さみしくて、帰り道、道路にへたり込んで泣いた。

 そんな中で第1回目のマウントフジフラワーエッセンス基礎講座を迎えた。うきうきしている反面、心の中はぐちゃぐちゃで、自分が何をしようとしたいのか、なぜこのマウントフジフラワーエッセンス基礎講座に参加しようと思ったのかもよくわからなくなっていた。
この回ではワレモコウが選ばれた。飲んでみると、ぐるぐるしていた頭の中が静まり、青くて深い海の底にいるような感覚がした。

 第2回目での瞑想中、キーワードで目の前に浮かんだのは、今まで一緒にいた人だった。姿を見てしまうとやっぱり恋しくなって、あの人と一緒にいたいと思った。ずっと一緒にいたのになんでもっと愛情を表現できなかったんだろうかと思って自分を責めて泣いた。でも、瞑想を続けていくうちに、あの人の姿をしているけれど、実際のあの人ではないような感覚に変っていった。あの人と一緒にいる時に溶け合いたいと思いながらいつも抑制していた自分の感情がやわらかくほぐれていった。フラワーエッセンスと溶け合う中で、誰かに頼ったり、甘えたり、溶け合うという愛情表現が自然に生まれてきた。やわらかな安心感に包まれて瞑想中ずっと涙がとまらなかった。
その日選ばれたフラワーエッセンスはヤマツツジだった。

 第3回目の前日、講師のパビットラさんのモニター個人セッションを受けた。テーマを訊ねられて、「うまく感情が伝えられないけれども人と交流したい」というようなことをつらつらとしゃべった。オプションでマウントフジフラワーエッセンスを選んだ後のシェアリングで「お仕事は何をされていますか?」ときかれてはじめて、テーマでしゃべったこととは違う自分が溢れ出した。
 テーマで最初に語ったことは確かに自分の本心だった。しかし、実際は「交流したい」と思い込もうとしていただけだった。誰といるとか、何をしているとか実は自分にとってはたいした問題ではなくて、今の自分は物を作るという表現形態が無くなっていることに対してすごくストレスを感じていることに気づいた。
 周囲の人に溶け込まなくてもいい、隣の人に合わせなくてもいい、夜中に一人で物を作っていいんだと気づくと、長い間封印していた氷が溶けるように、表現しきれなかった感情が喉にこみ上げてきて泣きそうになった。うれしかった。表現していいのか、また物つくっていいのかと思うと本当にうれしかった。
 帰宅して、2年ぶりに楽器を取り出して音を出した。音の振動が心地よかった。
 この日選ばれたフラワーエッセンスはシャクナゲ(ペイルピンク)、ボケ、センニンソウフキノトウハリエンジュムシトリナデシコサオトメカズラだった。講座のミックスボトルとの兼ねあいで、この日の夜から、眠る前はこのフラワーエッセンスを飲むことにした。

 第3回目に絵を描いた。私は、絵にするというよりは適当に紙に色を塗りたくっただけだった。描きながら「色を塗りたくっただけの絵なんて、何を描いているかなんて誰にも伝わらないだろう」と密かに思っていた。しかし、ペアになった方は色を塗りたくっただけの私の絵に対して、様々な感想を伝えてくださった。批判や判断からではない率直な言葉は受け取って心地よかった。私も相手の方の絵を見て、思いつくことをぽろぽろと述べた。「誰かに感想を述べる」という行為をする中で、私は今まで何か意見をいうのに論理的な思考経路を通らない言葉、感覚的な言葉を排除して言葉にしようとしていたことに気づいた。理性的であろうとするあまり、最初にやってくる直感やひらめきを押し殺そうとしていた。
 この日選ばれたフラワーエッセンスは、ノハラクサフジキショウブヤマブキだった。また、この日から会場で購入したマウントフジフラワーエッセンスの低温熟成マルセイユ石鹸「浄化」を使い始めた。
 翌日、通っているヨガのクラスで先生が「背中側に押しやっている感情を意識して、呼吸を背中に送りながら動きを深めていきましょう」といわれ、この週(第3回目)の講座のホームワークの内容と全く同じことを言われたことに驚いた。先生のことは以前から「言葉と体が一致している綺麗な方だな、素敵な女性だな」と思っていて、いつも教室の隅っこで、先生の言葉に泣いたり震えたりしていた。友人に先生がいかに素敵かをいつも話して、「そんなに好きなら伝えればいいじゃん」と言われるたび、「無理だよ!そんなこといえないよ!」といっていた。いつも自分が好きな人や憧れている人を目の前にすると、夜道で急に自動車のライトに照らされた野生動物みたいに硬直して動けなくなり、すみに隠れたり、無言で走り去ったりしていた。自分よりももっと素敵に言葉を紡ぐことができる人、率直な明るさをもった人が意見や感想を言えばいいのであって、私は何かを言う価値がないとずっと思っていた。
 この日、クラスが終わって、先生のそばにいった時に、「いつも先生の言葉がちょうど自分が思っていることとシンクロして泣きそうになります」と伝えてみた。先生はにっこり微笑んで、「そうですか。つながってますね。」と言ってくださった。動揺するかと思っていたけれど、実際に思っていることを相手に伝えてみると自分の内側の詰まりがとれたような、ぽっかりと自分の内側にスペースができた気がした。しばらくするとうれしさの波が襲ってきて、友人にメールを送り、その日の興奮を伝えた。
 日曜日は恵比寿に一人でライブを見に行った。5時間ぶっとおしで音の粒子の中に身をひたし、踊り続けていると、自分が音の粒子の中に溶けてしまって、高揚しているんだけれど、自分の内側が空洞になって、静まっているような感覚がして気持ちよかった。大好きなものの中に全身が溶けてしまう感覚は自分が最も愛すべき瞬間の一つだなと改めて感じた。

 第4回目ではミツバツツジミゾソバ(ピンク)モモシャクナゲ(ピンク)オダマキが選ばれた。
 選んでいる最中、ふわふわしたものに包まれているときのような安心感が心地よくて、そのまま眠りそうになった。眠りそうになっている自分に気づいている自分の存在も同時に感じた。

 第5回目ではマルバハギノビルが選ばれた。
 この週は自宅に友人が遊びに来た。友人過ごすうちに、いつも一人が心地いいと感じ、単独で行動している自分の内側には、一人を楽しんでいるというより、人といる時にわずらわしいことに巻き込まれるのを避けるために一人でいる選択をしていたことに気づいた。久日ぶりに友人と音や時間や空間を共有する時間は楽しかった。

 第6回目に、「輪廻を何回繰り返しても、今ここにいる自分はもう二度と現れないんですよ」ということを講師のサンバトさんが言われた。それは何度かきいたことのある台詞だったけれど、初めてその言葉が指し示すところがわかったというか、最初からそこに存在している普遍的な事実に気づいたというような、ようやくその事実を受け入れられた感じがした。無限に伸びる時間軸の真ん中で、いろんな感情や価値観のざわめきが遠くにいってしまって、台風の目の真ん中の無風地帯ですこーんと自分が座っているような感覚だった。体をとおした「わかった!」という感覚は、初めて知ることでも、すでに知っていたような、懐かしい感覚になる。
 この日選ばれたのはネジキだった。
 土曜日に大好きなミュージシャンのライブへ行った。彼のライブにいくといつも感情がかき乱される。赤裸々な言葉たちが刃物のように胸にささり、見たくないと思っている自分のどす黒い感情が噴出してしまう。繊細な音の中で涙がでるほど苦しくなって、崩れ落ちそうになる。いつも会場のすみっこでライブを見ていても、実際にライブで自分が感じた思いを相手に伝えることは、一度もしたことがなかった。否定されるのが怖かった。自分のどす黒い感情を、彼の音楽や言葉によって昇華させていることを知られるのが恥ずかしかった。
 月曜日。ライブの感想を拙い言葉を繋ぎ合わせ、メールの形にして彼に送ってみた。送った後で、やっぱりやめとけばよかったという猛烈な恥ずかしさに襲われて、このまま消えてしまいたいと思った。でも、今まで自分が抱いている強烈な思いを人に伝えることを避けてきたけれど、その思いを伝えることができた自分に満足した。
 火曜日。長野へ旅行する。戸隠神社にいつか行ってみたいと思っていたら友人の休みがとれて、とんとん拍子に話がすすみ、長野に行くことになった。行きのバスの車内でメールの返事が来ていることに気づいて、椅子の上でぐにゃぐにゃとねじれる。今なら幸福絶頂のまま死ねるのにと思った。
 
 第7回目で選んだのはスピリッツセンニンソウウメだった。
 月曜日に映画を見に行った。上映後のトークショーで、映画監督と大好きな翻訳家の方が話をされていた。同じ職業だったり、見聞きしたものの土台が同じだと、共有できる言葉も多く、「あれは○○だね」という会話が多くなってくる。そこで深まる話もあるけれど、○○という専門用語を知らない人にとっては疎外感を感じてしまう。今まで私は相手に何かを伝えるには、自分の知識があまりにも不十分すぎるので、もっと勉強してからでないと言葉を発することはできないとずっと思っていた。でも、二人の間に交わされるやりとりを見ていると、交流する中で、違う表現手段を使っている者同士でも、知らない事柄があれば発見の喜びとなり、共有できる世界を互いが持ち合わせていることを知るのもまた喜びになるんだなと思った。自分の見せたくない部分や、未熟な部分を受け入れて、さらけだして、他者と世界を発見し、共有したいと思った。

 第8回目でのミニグループでの実技で、私はクライエント役を買って出た。最初に、セラピスト役の人たちから私の内側の女性性について感じる言葉たちを受け取った。3人とも細かい描写は違ったのだけれど、言葉にされたどれもが自分の体の中にいて、言葉を受け取ったあとは内なる女性性のほうが存在感があり、内なる男性性より重さを増しているように感じた。内なる男性性についても同様で、言葉を受け取ると、自分の体の中の密度が凝縮されて重くなった。
 次の実技では、自分で自分の中の女性性と男性性を見ていった。最初に二人を出会わせてみると互いに恥ずかしそうにしていたのだけれど、はにかみながらおしゃべりをはじめ、フラワーエッセンスを飲んだ後に再び出会わせるとすぐに溶け合った。女性は最初、とても綺麗なドレスを着て、優雅で気品があるのに、寂しそうに窓の外を眺めていたのが、フラワーエッセンスを飲んだあとは服装や化粧がシンプルになり、しなやかなたくましさを持った少女のような外見に変わっていた。男性も最初は天井までつみあげられた暗い書庫に篭って、一人書き物をしていたのが、フラワーエッセンスを飲んだ後は部屋に光がさし、精悍なたくましさをもった男性に変わっていた。
 それから毎晩、寝る前のホームワークで、二人を統合させながら眠った。
 この日選ばれたフラワーエッセンスはメイゲツソウマツヨイグサイタドリボケだった。

 第9回目の日と旅行が重なってしまい、出席できるか不安だったのだけれど、一人で早く飛行機に乗らせてもらい、無事に出席することができた。
 過去世と出会っていく中で、今世の自分は女性だけれども、家族のためや自分が生きるために自分の感情を押し殺したり、やりたいことをあきらめる環境にはいないことに気づいた。知りたいこと、体験したいこと、欲しいもの、すべてはまだ地平線の向こうにあって、それを求める情熱が自分の中にある限り、その情熱を忠実に表現し、行動していきたいと思った。
 この日選ばれたフラワーエッセンスはハハコグサヤマザクラだった。

 全9回に渡るマウントフジフラワーエッセンス基礎講座は、まるで旅のようだった。フラワーエッセンスと接していて自分が一番魅かれている部分というのは、負の感情をそのまま許してくれるところだ。フラワーエッセンスを使っている最中、しばしば、自分の中の深遠がぽっかりと口をあけて、飲み込まれて、そのまま崩れ落ちてしまいそうになる。人を憎らしく思うときもあるし、自分の望む状態に自分が移行できないことに対して焦りや苛立ちを感じることもある。早く満たされたいし、平穏な精神状態で毎日を過ごしたいと思っているのに、何でこんなみじめな思いがわきあがってくるのだろうと涙が止まらなくなることもある。それでも、幸福や救済だけを過剰に強調することなく、どんな感情が湧いてきてもそれをそのまま認めてくれる。自分の中に、日々の体験や沸きあがってくる感情に困惑している自分と、演出家のように冷静な視点でそれを俯瞰している自分とが存在していて、そのどちら側にもフラワーエッセンスは寄り添っていてくれる。
 言葉だけで理解しようとすると難解で、拒絶反応や不信感を抱きかねない事柄も、自分の体を通して感じていくというマウントフジフラワーエッセンス基礎講座の流れの中で、ごく自然に、当たり前にフラワーエッセンスのもたらす繊細な変化に気づくことができた。何か不思議な、特別なことが起きるというよりは、初めからすでに存在している事実に気づいたり、いつの間にか自分の視点や行動パターンが変わっていたりするというような、うっかりすると見過ごしてしまいそうな、とても些細な変化。その変化の過程の中で、自分の闇の部分が溢れ出してきても、俯瞰からみると一瞬一瞬死に物狂いで、感情を爆発させて生きている自分が愛おしく思えた。
 これからも私にはあらゆる感情が湧いてくるだろうし、自分がみじめで哀しく思えて吐いてしまう夜もあると思う。でも、どんなときでも、私の側にはいつもフラワーエッセンスが寄り添っていてくれるような気がする。そう思うととても心強くて、日々起きる出来事、生まれてくる感情を、喜んで迎え入れていきたいと思った。