〜私とフラワーエッセンス〜
J.M
私は20代の時、精神科の敷居をまたいでしまった。当時は80年代の終わりか90年代の始まりの時くらいだった。心が変になったのは、もっと前の思春期の頃からだった。でも当時は「心の病」だとは自己認識していなかったし、(今もそうだが)「精神科にかかること」もまるで考えていなかった。それに精神科に対する世間の風当たりを私はよく知っていたし、自分の中にさえ精神科に対する偏見や差別はあったと思う。
私が中学生の時には日本にはフラワーエッセンスが登場していなかった。医師の処方する薬は求めている深い魂レベルでの癒しではないことを、私は深いレベルで体感していた。
私がニューエイジ系のセラピーを試し始めたのは、90年代も終わりの頃からだったと記憶している。もっと深い魂レベルでの癒しを求めていたのだった。
当時かかっていた精神科は3時間待ちの3分診療だった。医者に「調子が悪い」と言うと、話も聞かずに新たな薬を処方されるだけだった。
ニューエイジ系のセラピーやワークショップを「巡る」うち、ある女性から「これ知ってる?」とフラワーエッセンスを教えられた。私は彼女がフラワーエッセンスの講座を受けたハートサポートシステム(有)に連絡し、リーフレットやパンフレットの送付を頼んだ。送られてきたそれらを読んで、深いレベルで「これだ!」と思った。
パビットラさんの個人セッションを受けた時、胸にあるハートチャクラが「開花」し、その時使われたマウントフジフラワーエッセンスとブッダフィールドフラワーエッセンスの「すごさ」を体感した。でもすごいとは言ってもそれは強圧的なものではなかった。「自分で自分のチャクラを無理せずに開く事」をリラックスした中で苦労も無く選択した、と今になって振り返ると感じる。
それからはフラワーエッセンスセラピーに的を絞っている。私は当時、そして今でも「チャクラやオーラとは何たるものか」と言う事をまだよく理解していない。でもまさに「こころ」が体感することを優先したという感じだ。それは同時に「あなたは頭で考えすぎですよ」と優しく諭されたような感じを受けた。
しかしフラワーエッセンスを使用したからといって、すぐに全てがよくなった訳ではなかった。個人セッションを受けても「まるで作用しない!」と思えることも正直なところあった。でも今になって思うと、それは私の依存心がフラワーエッセンスの作用をストップさせていたり、準備が出来ていなかったりしたからだと思う。
つまりフラワーエッセンスからのメッセージは確かにあって我慢強く私に付き合い、寄りそってくれていたのだ。そして「待つ」ことの重要性も教えてくれたのだ。
今、私は以前よりフラワーエッセンスと「自立的なお付き合い」をしている。マウントフジフラワーエッセンスを飲んで変化があっても、それは「自分で自分を癒しているんだ」という意識を持つようにしている。つまり自分の力への信頼感を優先させている。
実際、こういった意識でいるとフラワーエッセンスの作用は倍加される。そしてこれは本当に不思議で興味深く、そしてフラワーエッセンスのすごい所だが、今までの何年間か試してきたフラワーエッセンスが「今の私」に対して結集して集中的に働いてくれているのだ。まさに時空を超えているし、どのフラワーエッセンスも決して無駄ではなかったと体感している。
私は回復の途上にある。私はこの20年間を通して「心身の健康」そして特にメンタルヘルスの重要性を痛いほど味わった。これも必要な学びだったのだろう。ありがたいことに、私は現在40代で、まだまだやり直しがきく年齢だし、最近では気力も体力も充実してきている。薬はまだ飲んでいる。だがそれもあと2、3年で止められる気がしている。
最後にこれぞ「ザ・マウントフジフラワーエッセンス!!」と銘打ちたい体験を期しておこう。
以前(5年ほど前か?)マウントフジフラワーエッセンスを使用していた時、夜見る夢に「富士山」のビジュアルが映し出されたことがあった。私は夢を忘れてしまう方だが、その晩は違っていて、富士山がのっそり現れた夢を見た直後の深夜に目が覚めた。不思議なことに何のメッセージも頂けなかったし、富士山が男性なのか女性なのかそれともユニセックスなのかも何も分からなかったし、何も感じなかった。ただそれは自然、つまり自ずから然る(ある)という“感覚”を受け取ったにすぎなかった。英語で言うなら「being」になるだろうか?私は何にも勝るメッセージをメッセージの全く無い中で受け取ったのだった。
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