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■マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座体験談
ワークが中心の「マウントフジフラワーエッセンス講座」ということで、各回充実した内容でしたが、限られた時間のなかで講義の部分や、各回にいただく資料も、その時ごとにその後に起こる出来事が想定されて選ばれているかのように、とても助けになることが多々ありました。
某禅マスターに関する「二ではない」という言葉についてお話ししていただいた「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」1回目の数日後、雨の朝、車で狭い路地に入るとき、ミラーの確認が遅れ、すれ違えない場所で鉢合わせました。こちらはワゴン車なので、狭い路地からバックで表通りに出るのは難しく、また、後ろに1台2台とほかの車が入ってきていたので、車から降りて「すれ違えるところまで下がっていただけないでしょうか?」と頼みました。対向車の女性は「ミラーを見落としたのが悪い」と聞き入れてくれず、後ろの車の人に頼んで下がってもらい、わたしも一緒に下がりました。後ろにいたのがたまたま知人だった事で、バックで通りにでるための不安も解消され、2重の意味で救われました。
相手のきつい物言いや表情が頭から離れず、聞いたばかりの『憎しみがこみ上げてきたら「二ではない」と言いなさい』という言葉を思い出しつつ、家に帰り一息ついて、図書館から借りていたユングの伝記本をパラパラめくっていると、ユングがインドで出会って驚いたというシーンについての文章がありました。
狭い路地で馬車が鉢合わせ、彼らは「かりそめの事故です、私たちは何も変わっていません」と、何事もなかったように過ぎていった、ヨーロッパ人同士だったら喧嘩になっているはず、と・・・。
「二ではない」という言葉が、暖かみを持って胸に響きました。
母が甘えられる人ではない、と思いながら育った私でしたが、母と電話で話していて、「私はおまえが怖かった」という言葉があり(私がそういう言葉をひきだしてしまったとも思える)、それにとらわれて苦しいときがありました。母を攻める気にはならない、でも、子供だった私に何の罪がある?ショックやら哀しみやら怒り・・・。自分の感情をあるがまま受け入れながらも、母への思いは厚い雲に覆われたような状態が、しばらく続きました。
その時ずっと頭にあったのが、同じく講座1回目での「理解とは瞬時のものだ」という言葉でした。私が理解できていない事がこの雲の中にあるんだと思っていたら、あるとき、突然、雲が晴れました。「私は、そんな母に、今でも甘えたがっていたんだ」と。
その上、そんな私を、母なりのやり方で受け入れてくれてるんだと思えるでき事も、起こりました。
その週、選ばれていたエッセンスのなかに、「キリ」(絆)がありました。私の子供の断乳をテーマに選んだのですが、いつの間にか、母との問題にすり替わっていたのでした。
母の言葉を引き出したのは、「シャガ」(地上に放り出されたような孤立感)でしょうか。
「補助講座」で、同業者からの電話についての講義がありましたが、こんな事はまだまだずーっと先の事だろうなと、今ひとつ現実感なく聞いていた私でしたが・・・。
講座にでる日は、こどもを、定時上がりで夫が帰宅するまでの間、市の育児援助のボランティアの方に見ていただいているのですが、この日、出がけに「どんなお勉強をしているの?」ときかれ、時間がないので、「一種のセラピーなんですが・・・」とだけ答えました。
数日後、押し葉を取り出すのに電話帳をパラパラとしているとき、心理カウンセラーの項に、近い住所の会社を見つけました。
翌日、育児援助のボランティアの女性から、ファックスで、いきなり「私は、心理カウンセラーで、・・大学で資格を取って何年になり、・・・。一緒に公民館等で、若いお母さんを対象にした会員制のグループカウンセリングをしませんか」と言う文書がとどきました。とまどいつつも電話をし、電話よりも直接の方が・・・と、電話を切ったとき、電話帳の事が頭をよぎりました。翌日、会うなり訪ねると、まさにその当人でした。フラワーエッセンスについて説明をし、試験に合格しなければいけないこと、カウンセリングに関して言えば、私は全く勉強不足、経験不足でという事をはなしました。
彼女は公共の場を利用した活動のために、パートナーを必要としているということで、分厚い学会の研究論文集の彼女のページを見せてもらい、説明を聞き、「フロイトやユングはもう古い、アメリカからどんどん新しい理論が入ってきている。遅れないように勉強している。今、私は、こういう理論に・・・云々」。聞いていて。私が向かおうとしているものとは違うように思えてきました。
私がフラワーエッセンスで体験したことは、古くも新しくもない、何か普遍的、本質的な物の様に思え、特に、ショックがどういう物かを理解するのに、「補助講座」でのユングの「意識と無意識」の考え方は、とても分かりやすったです。これをきっかけに、いつかもっと深く勉強したいと思い、大学の心理学科の通信講座の資料を取り寄せたことがありましたが、彼女と話しながら、自分の内側で、私が今後向かっていきたいのは、もっと身体と結びついたところなのだということが、はっきりしてきました。
このときのエッセンスは、
- ナギナタコウジュ…外側の動向に巻き込まれず、やることをやる。
- アカツメクサ…他人のアイディア等に影響されて、不安定なとき。
- イカリソウ…自分の使命を考え始めたとき、より高いステップにすすむために、どうして良いか分からないとき。
- リュウノウギク…出来事を、外側から客観的に、自分自身を見つめる。
まずはフラワーエッセンスをと思いつつも、気が散漫で、資料を読んだり花のことをおぼえたりということにしっかり迎えずにいたのでしたが、気が引き締まりました。
「メイゲツソウ」と「マルバアオダモ」は、選んでいただいたときのテーマ、ずるずると続いている末っ子のおっぱいに対し、的確に、私のあり方を見つめ直す手助けをしてくれました。(この時のセラピスト役の方、ありがとうございます)
基礎講座からプロの前半まで、講義を聴くのも楽しく、ワークやエッセンスを体験し、これまで知らなかった世界や感覚が広がっていくことに浸っているような感じでしたが、主催者の海外ワークによる長い休みが明け、試験やプロになるということを意識したとたん、夢心地で居られないんだと、からだが固くなった気がします。さらに、寒くなってますますです。
休み中はやたら忙しい日々で、こういう時期がお休みだったのは幸いでしたが、反面、花のことやキーワード、セッションの流れなど復習したいと思いつつ、出来ずじまいで後半がスタートし、フルセッションの練習の時などこれまでのノートをめくり、ぎくしゃくしながらの状態で、最終回となってしまいました。まだまだ手の掛かる三人の子の母親である自分、無茶を承知の上で始めた事で、こんな物かなーとも思いますが、遠隔の実習での友人の感想に、とても力づけられました。
しばらくは、母親であることを最優先にしたいとは思いながらも、試験は一日も早く受けられるよう、友人に声かけを始めました。
フラワーエッセンスとの出会いが喜びであるのは言うまでもないことですが、その後、ハートサポートシステムで学ぶことが出来たご縁は、言葉にしようがないほどの喜びです。
5回目、フルセッションのデモンストレーションのときには、特に、講師のお二人が、形式や演技でない「本物」を見せて下さっていることが感じられ、感動しました。
【基礎終了後のメモより】
講座で作ったミックスボトルをハイペースで使い切ったとき、手持ちの数本のオーラスプレーから、今の自分に必要な物を選んでみました。目を閉じてボトルに触れていたら、ふと「ナギナタコウジュ」の名が浮かびました。目を開けてラベルを見ると、ミックスされた数種類の中に、ナギナタコウジュがありました。「こういうかたちで、メッセージが届くこともあるんだなー」と、どきどきしながら、うれしい体験でした。
フリーマーケットで、いすを買いました。以前から欲しかった木の丸いすで、3脚で200円と言う安さ。ところが、家に持ち込んでふと触れかかったときに、中の一つだけもやもやした感じがあり、これは浄化用のスプレーがいいかなと思いかけて、でもちゃんと選んでみよう、とやってみたところが、オーラスプレー「個人や集団の過去を癒す」の方でした。かけてみると、もやもやはすぐになくなりました。
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