〜マウントフジフラワーエッセンス基礎大阪集中講座を受講して〜
M.Y
掲載日:
2005年 2月 2日
わたしがマウントフジフラワーエッセンスの存在を知ったのは、2004年の8月、今回の受講のわずか2ヶ月と少し前のお盆のころであった。
結婚を前提として交際していた恋人がイギリス人であったこともあり、将来的にヨーロッパに移住することを考慮したときに、日本人であるわたしが仕事をみつけるのは至難の業であろうことが想定された。働く方法は他人に雇用される形ではないし、自立した仕事を自ら作り出せばいいだけの話ではないかと思った。現在会社員として生計を立ててはいるが、もともと心理カウンセラー、心理トレーナー、臼井式レイキティーチャーといった具合で「こころ・からだ・たましい」にかかわることをライフワークとして生きていきたいとずっと願いつづけ訓練を受けつづけてきたので、その分野で活動を展開いく方向でアンテナを張っていた。
現地で自分が提供できることは何か?という観点でいろいろ模索している最中に、イギリスはヒーリング関係の先進国であり、日本以上に多岐にわたるしかも多数のセラピストがいることから、日本人である自分ならではのオリジナリティあふれる何かを提供できるようになることが一番ではないかと考えるようになった。そしてある日、日本の花々でつくったフラワーエッセンスがもしかしたら存在するのではないか?とひらめき、インターネットで調べたところ、マウントフジフラワーエッセンスの存在にめぐり合った。
そんなわけで、フラワーエッセンスについて、バッチ博士のフラワーエッセンスやフィンドホーンなど一般的に良く知られているほかのブランドのフラワーエッセンスについてきちんと基礎から学ぶという経験を経ずに、いきなりマウントフジフラワーエッセンスの世界に飛び込むというところからわたしのフラワーエッセンスとのかかわりは始まった。
当初、東京での受講を考えたが、会社の定時が18時であり、毎回の授業開始に間に合わないため大阪での集中講座に参加することに決めた。
さて、受講の前準備としてのテキストの熟読から始まって、3日間の集中講座で私がもっとも学んだのは、セラピストとしてのあり方そのものであった。セラピストとしての自分のエゴのあけわたしであった。そして、この「あけわたし」とは基礎講座を申し込んだころから見え隠れし始め、基礎講座終了後今日にいたるまで、わたし自身の人生のプロセスにおける最も重要なテーマそのものであることもあきらかになった。
・セラピストの自分、ヒーラーの自分、という「特別さ」を捨て、「普通」であること。
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「"自分が"癒してあげるんだ」という人間のエゴは花たちの邪魔になるだけである。主役はあくまでも花たちであり、中空の竹のようにただクリアなチャネルであることに徹する。
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リーディングを行うときは、能動的に「読もう読もう」とするのではなく、受容的になることで、世界に対して自らを開き、世界を自らのうちに招待するというあり方に徹する。
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変化を起こそうとするのではなく、変化が自ら起こるにまかせる。
・ セラピスト自身が自らの傷やパターンに気づきをもつこと、そしてニュートラルな状態にあるときの自分の状態を知っておくことにより、投影や転移からくるクライアントとの支配・依存関係から自由であるための鍵となる。
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セラピストに超常的な能力があったとして、クライアントが認識しえない何かを認識したとして、それがセラピストにとっては真実のことに思えたとしても、クライアントの許可なくご神託か何かのように告げたり一方的なアドバイスをしてしまうのは、好ましくない。これは一種の支配あるいは暴力である。むしろセラピスト自身の特別さや支配への隠れたニーズを見る必要がある。
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セラピーの基本:リーディングと称してクライアントが言ってもいないことを勝手に伝えない。クライアントにとってもっとも優先されるべきはクライアント自身の体験である。
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たとえ正しいと思われることであっても、それが「今・ここ」にいるクライアント本人にとって大切かどうか。その観点からセラピストが感じ取ったことをクライアントに伝える伝えないの峻別を行う。
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本当の癒しは天につながらないと起こらない。
以上のことがフラワーエッセンスを扱う扱わないにかかわらず、セラピストとしての基本的なあり方かと思われ、今回の基礎講座で私にとって一番の学びとなった事柄である。ややもすれば「他人の役に立ちたい。助けたい。」という一見献身的で無私に見える動機の下の、他人の役に立つことによって自分の存在価値を証明したいという無価値感からくる隠れた欲求に気づきをもつことにより、クライアントへのイネイブリングや「助けたいけれど助かってほしくない」という共依存関係を回避するのに役立ち、セラピストやヒーラーなど他者への援助を志す者が一度ははまるといわれ、そしてわたし自身もしばしば気づきの欠如した状態においていつのまにかはまりかける落とし穴「傷ついたヒーラー」からの脱却を可能にし、援助ができるための自分作りに欠かせないことであると痛感した。
3日間の基礎講座の間に自分用にブレンドしたエッセンスは以下の9種類。
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イカリソウ
A ヤブカンゾウ
B イヌキクイモ
C シキザクラ
D マルバハギ
E ナギナタコウジュ
F ボタンヅル
G
メイゲツソウ
H フジザクラ
夏ごろから自分の人生のビジョンというものに確信がもてなくなっていた。自分のビジョンなのか、他人が自分たちのニーズでこうあることがMさんらしいと勝手にわたしに期待した(ということは、潜在的に他人を使って自らに期待をかけているということなのだが)ビジョンであるのか。世間一般の価値観にのっとったこうあるべきと自分に強いているビジョンなのか。ビジョンなのかただのミエなのか。いろいろなものが自分の中で飽和状態になっているのを心も身体も訴えていた。夏ごろからいろいろな局面において「手放す」というメッセージがくりかえしくりかえしさまざまな形でとどけられつづけてきた。そして、選んだ(というより、私のところにやってきた、というべきだろうか?)エッセンスたちは、その多くが、「手放すこと(LETTING-GO)」「あけわたし」に関連するものであったことも偶然とは思えなかった。カバラ数も「手放すこと」「あけわたし」を意味する9を持ち、近頃流行の「春夏秋冬占い」なるものでも「手放す時期」である「春3年目(2004年2月4日〜2005年2月3日までの1年間)という時期であり、個人的関心から個人セッションをしていただいたある女性セラピストからも「今つかんでいるものを手放しなさい。自らを明け渡しなさい。これまで自分を成長させるのに役に立ったものさえも手放しなさい。そして今・ここにいなさい。」と諭される始末。すべてを手放せば楽になる、すべてを手放すからこそすべてが手に入るというパラドックス。しかし、手放すということを本当の意味では一度も体験したことのなかった私としては、もしすべてを手放してしまったら、いままでの自分はいったいなんだったんだろう?という気が狂うような無意味感やアイデンティティの崩壊と直面しなければならなくなるのではないかと非常に怖れを持っていて、強い抵抗を持っていた。しかし、この手放すレッスンというのは人生の中で必ず学ばなければならないようになっており、実は今のタイミングこそが絶好のチャンスであり、ここでマスターしてしまえばわたしは人生において大きな飛躍をとげるであろうことも知っていた。
自分ひとりでどうこうすることを手放し、縁あって私のところに来てくれた花たちのエッセンスの力を借り、プロセスに身をゆだねることにした。今まで手放すことがへたくそで、きょう現在下手であったとしても、きょうよりは明日、明日よりはあさってといつのまにかすこしずつ進歩しているかもしれないと思ったからである。
9種類のブレンドしたマウントフジフラワーエッセンスを飲用し始めてからなんと1週間以内にまってましたとばかりにレッスンはやってきた。イギリスの恋人との別離である。話し合って解決できるような余地もまったくない、決定的なことがむこうに起こってしまい、日本にいる私としては手も足も出せない状況がやってきてしまったのである。これはさすがに堪えた。あいた口がふさがらない...という体験をした。
すべて予定が狂ったというか、自分の計画を手放さざるをえない状況になり、先が見えない真っ暗な状態に放り出されてしまったというのが正直なところだった。なんのために働いてお金をためてきたのか?なんのために向こうで自立して生活できるようにいろいろなことにチャレンジしたり準備してきたのか?しかし、自分の中のどこかでは大小さまざまの手放すべきことの中に、パートナーへの執着を手放すことを通じての学びと成長を"自ら"えらんで設定してきたに違いないと確信している部分もあった。
悶々としたすべてがグレーに見える無気力なうつ状態に近い日々がしばらく続いた。自分を励ましたり気分を変えてこうこうすることにも疲れてしまった。
こうなったら徹底的に「手放す」レッスンを完了するしかないようだ。きょうよりは明日、明日よりは明後日、より上手に手放せる自分がいるはず。その繰り返しだった。
プロセスを信頼して進み続けることにより、きょうまでの自分にはわからなくても、明日はもしかしたら、手放すことがラクで楽しくなるような方法との出会いがあるかもしれない。花たちは必ず力を貸してくれる。
2週間たったころ、「がらくた捨てれば自分が見える」というスペースクリアリング、別名"捨てる風水"を提唱するイギリス人の女性風水師の著書に出会った。自分にとってもうふさわしくないものをいさぎよく手放し空っぽにしていくことによって、自分自身のほんとうの望みがなんなのかが明確になり、これが自分のほんとうの望みだ!と自分自身が100%で合意できるからこそ実現する...という内容だった。
あまりにもおもしろくて一気に読んでしまった。押入れや物置は自分の潜在意識を象徴すること。人生の中でほんとうに起こるかどうかわからない「もしも」のために溜め込んだエネルギーを手放すこと。着られなくなった服をどんどん手放すこと。読まない本をどんどん古本屋に売ってしまうこと。壊れた家電製品は潜在的に自分のエネルギーを奪うのですぐ修理すること。押入れや物置は自分の潜在意識を象徴すること。これらすべてが自己愛であり、自己価値をたかめることに役に立つこと。家中のものがなんと3分の1になってしまった。
ガラクタをすてる作業は約2週間に及んだが、作業の前にかならずスプレーしたのが、講座の教材に付いていたマウントフジフラワーエッセンスのオーラスプレーの中から、「変化を超えて再誕生する」であった。自分への力付けでもあった。また、夜眠る前に基礎講座で教わった、ブルーの光の保護オーラで自分をつつむイメージングをしてから寝るということもくりかえし実践してみた。眠る前のスプレーには、夢を通じて無意識レベルへ働きかけることを意識した上で「個人や集団の過去を癒す」を選んだ。
また、職場で仕事をしている最中にこころがうつろになってしまい、そもそも自分はなんで地球(ここ)にいるんだろう?自分の存在はいったいなんなんだろう?という無意味感に襲われていたたまれなくなるときには、「自己肯定と許し」の力を借りた。
(講座の最中に処方した9種類のブレンドボトルは使い切ってしまっていた。)
わたしはモノにはあまり執着がないほうだったので、物を捨てるという形だけの手放しの実践をしても、肝心要のリレーションシップにおける手放しのほうが目に見えないものだし難しいから、そちらができなければ意味がないと思って、ガラクタを捨てるということに関しては重きを置かず、ためしてもみなかったのだが、おどろいたことに、このガラクタを捨てる作業を楽しく進めているうちに、別にあたらしい恋人候補との出会いがあったわけでもなんでもないのに、いつのまにかうつ状態のふさぎこみが軽くなっていて、別れた恋人のことをさほど考えないようになり、考えたとしても、「過去の人」として考えている自分がいたのにびっくりした。過去のリレーションシップではありえないことだった。
このプロセスにおいて、さらなる変化は、「ほんとうにはほしくないものにNOを出す勇気をもつことによって、ほんとうにほしいものがはいってくるスペースができる。」という新しい体験をしたことだった。
手放すプロセスはさらにつづき、年末には腐れ縁でつづいてきた「友人」と呼んできたがほんとうは「長い間の知り合い」と、離れることへの罪悪感からつながっていた慢性的な癒着的な関係性から自分を解放することにも許可を出せた。
そして、さらに数日後、わたしとは逆に、ハワイが好きでハワイに移住したかったのに、結婚した相手がイギリス人だったために灰色の空のイギリスで1年前から生活することになり、ハワイの明るい太陽が恋しいと四六時中ぼやいていたボディワーカーの友人から、「イギリスの地でも日本人であるわたしを差別しないでやさしく受け入れてくれる人がたくさんいるんだって受け取れるようになった。いままで自分がかたくなに守ってきた"なにか"をあけわたすときがきたようだ。」という長いメールが来た。マウントフジフラワーエッセンスのことを話したら、興味を持ったので、ほしいものをいくつかあげてもらい、クリスマスプレゼントとして送ってあげたらとても気に入ってもらえた。彼女と相性が非常によいようで、他のいくつかのブランドのエッセンスをつかったときとはくらべものにならないくらいのスピードでなじんでしまったようであった。
彼女の反応から、「わたしがマウントフジフラワーエッセンスをどこかの国に伝えるという考え方は実は大間違いで、花たち自身が、行きたいと望むところに自分でいくようになっているのかもしれないなあ。」と感じた。
私の中でも、「自分が」「どこの国で」「どんな肩書きで」...というエゴを明け渡す準備ができてきたようだ。この先この地球上のどこで、どんな生業をして生きていくのか、セラピストとして生きるのか、まったく関係のない職業で生計を立てていくのかまったく見通しはないが、大きな流れに運ばれていく行き方もおもしろいかもしれないと思えるようになった。
そして年が明けてお正月。いつもならば帰郷して家族一同であつまるのが慣わしだったが、カレンダーを見ると、お正月明けに早速三連休もあり、十分にリカバリーショットが打てることがわかったので、今年は家族に断りを入れて、年末年始は東京の自宅でだれとも会わずに一人で過ごすことを選択した。まわりの友人知人も帰省して、誰も尋ねてきたり電話をしてくることもないため、自分自身と向き合うまたとないチャンスであると思ったからである。
年末までの物理的心理的な大掃除により空っぽになった自分の心のなかにひとりでにうかびあがってくるであろう自分自身のほんとうののぞみはなにか見たかったからである。
お正月休みの間に、自宅で瞑想の時間をゆっくりとった。そのときにつかったボトルは「パワーと実現」。
そして、その結果、去年までは自分でそんな選択をするとはおもいもよらなかった選択なのだが、今年の4月一杯で、17年間働いてきた現在の職場での仕事を手放すことに決めた。
仕事をやめたら収入はどうなるの?このトシでの再就職は厳しいのに...という心配もなくはなかったが、会社員としてはたらきつづけることでの学びはもう卒業なのだという自らの内側の声にしたがって決めたとたんに、まったく別の方向での収入のめどがついてしまったのだ。マウントフジフラワーエッセンス基礎大阪集中講座を受けに出かけたころにはそんな道もあるのだとは予想だにしなかった、ありえないことだった。
生きることへの潜在的な不安が軽くなったと同時に、いままで自分の中で気づきもしなかったことであるが、実は生存の不安が強かったことと、その不安を否認していたために、リレーションシップへの執着を手放すことがあんなにも自分にとってむずかしかったのだということが非常にクリアになった。わたしは自分ではかなり自立しているタイプだと思っていたので、そんなかくれた依存があるとはまったくおもいもよらなかった。
そしてさらにおもしろいことにはその気づきがあったわずか数日後に新しい出会いがあった。ということでまずは友人関係からということで楽しくデートを重ねている次第である。
残念ながらわたしには光が見えたりエネルギーが読めたりなど、スピリチュアルヒーラーと呼ばれる人たちがもっているといわれる感覚がさほど開発されていないようなので、マウントフジフラワーエッセンスのもつエネルギーそのものを物理的に感知するまでにいってはいないのであるが、わたし自身の人生のおおきな変化のプロセスにうまくマッチしてというか、まるで花のほうがわたしの人生のプロセスを察知してものすごく絶妙なタイミングで縁ができてわたしを助けにやってきてくれた...ひとりよがりな思い込みかもしれないが、そんな風に感じている。
プロ養成養成講座への参加を心待ちにしている次第である。
マウントフジフラワーエッセンスを開発されたサンバド・パビットラ両講師と、大阪での受講にあたり、なにかと細かいところまでおしみない慈愛でサポートしてくださった大阪会場のスタッフの方にこころからの敬意と感謝を送らせていただく次第である。