〜2024年6月8日「フラワーエッセンスとエネルギーの世界体験の集い〜3時間ワークショップ〜」体験談〜
ふじさん大好き
●参加の動機
前回は、忘れもしない2018年の夏の終わり、滋賀県大津の琵琶湖畔へはるばる旅し、「フラワーエッセンスとエネルギー世界体験の集い〜3時間ワークショップ〜」に初めて会場参加しました。
6年前のその日、集った参加者さんをひとつに繋いだボトルは、リンドウでした。
普段はひとりで出会うお花のボトルを、そのとき、まるで魂の同士のようにも感じたみなさんと共に分かち合う、そんなスペシャルな意味がワークショップにはありました。
日吉大社さんの鎮守の森の気配や、琵琶湖を照らす満月のまっ白な輝きとともに、リンドウブルーに抱かれた私たちの尊い時間を、今でも、懐かしく、ありありと思い出せます。
それゆえ、リンドウは特別なボトルになり、今までずっと私の中にあり続け、その花色を深く色濃くしてきていました。
ちょうどこの6年は、人生の佳境に入り、我ながらよく乗り越え、その間、不義理をしてしまったパビットラさんには、どうしてもお会いし近況をお伝えしなければなりませんでした。
そして、6年を経た今の私で、またあの特別な時間を経験してみたかったのです。
なにより、ハートサポートシステムのサイトに紹介されている「マウントフジフラワーエッセンス季節のお勧め」のボトルであり、今回のワークショップのテーマになるというボタンヅルが、合図を送ってくれた気がします。
浮世の修行に揉まれ、ぶ厚く着こんでしまった肉襦袢の奥の奥深く、あるはずの私の中の純粋を思い出したい、取り戻したい、という切なる衝動が湧いてきていたタイミングでもありました。
「痛みを取り除く、再び光とつながる」というキーワードのリンドウの季節が私の中で終わり、ボタンヅルへバトンが渡る。
そんな予感もありました。
“繋がっていく物語”、“連続性”もワークショップならではでしょうか。
続けて参加される方がいらっしゃる気持ちがわかる気がします。
●当日の印象的な体験
まずもって、今回はZOOMという機能を介在した参加であったこと。
アナログ人間にとって、想像以上に、会場参加とはある部分、別もの、という印象でした。
会場参加の時は、まず、現地までの旅の時間があり、そこには、意味ある緊張や、日常からの解放、さまざまな整理、徐々に集中し高まっていく、といったプロセスがありました。
出会いを、エネルギー的なものと捉えれば問題ないか、と思ってましたが、やはりそこは違っていました。
すでにお会いしたことのあるパビットラさんやサンバドさんとの再会はともかく、はじめてお会いするみなさんとの出会い方として、正直、違和感やもどかしさを感じました。
体温が感じられないのは、とても寂しいことのような気がします。
また、それぞれが日常の空間にいたまま参加する、という状況も、大きな違いであったと感じました。
私の場合、ワークショップの間、ずっと眠り続けてた愛猫2匹が側にいてくれた、という会場参加ではありえないこともあったわけですが。
風の時代、情報の時代に適している、とされるSNSやZOOMなどの便利な機能が、真に軽やかなエネルギーと呼応しあうには、私の中でもまだ少しプロセスが必要な気がしました。
ボタンヅルは、私の中で特にとらえがたいボトルでした。
6年前のリンドウもそうでしたが、その時は他の参加者さんとの繋がりの中で共通のテーマがくっきり浮かび上がってきた印象がありました。
今回も、どこかでそうなることを期待してた私がいましたが、そう簡単ではなく、ボタンヅルは、終了後も私の中でまだとらえがたい印象のまま。
ワークショップから20日たった今も、パビットラさん含め、みなさんとまだ繋がったまま、ワークを続けてるような感覚があります。
それが、もしかしてボタンヅルの質ならではによるものか、ZOOM開催ならではの何か働きも影響してるのか…。
とにかく、起こるプロセスやドラマは、その都度まるで違って、ドラマチックなのだと知ったわけです。
印象的なエピソードは幾つもありました。
参加者さんそれぞれが語られた言葉の中にも、それに対するパビットラさんの応答の中にも、各々にリーディングされたミックスボトルの中にも、そしてその場の全員に向けられた1つのニューヴィジョンメッセージの中にも。
浄化と引き寄せのエクササイズのワークの中にも。
でも、それら重要なピースが、私の中でまだつながりきらず、散らばったまま、全体像をなしてはいないのです。
なかでも個人的には、比叡山で特別な役割にある僧侶<侍真さん(比叡山の12年籠山僧)>のことをパビットラさんが話してくださった時、感情とは別の次元からこみあげ溢れてくるものがあったこと、また別の参加者さんもそうであった、と聞けたことも印象的でした。
修行を終えられた侍真さんの「空っぽのような美しさ」を、直接お会いしてるパビットラさんから聞けたことも貴重でした。
空っぽの美しさと、自然に見ならえ(確かそんな感じ)とのニューヴィジョンメッセージは、ボタンヅルのテーマにもつながっていくものな気がしています。
ニューヴィジョンメッセージについては、事前にパビットラさんから、メモしたり記憶しようとせず、ただそのエネルギーを体に流してくように受け止めるのが良いと、アドバイスがありました。
2度の個人セッションで受け取らせていただいた時もそうでしたが、存在そのものを根底から肯定されるような、一番大切なことが思い出されるような。
慈雨を受けてふるえる1枚の葉っぱのような幸せを味わわせていただきました。
ワークショップで、ここまでの経験をさせていただけるのは、やはりとてもありがたいことです。
忘れまいと思っております。
ミックスボトルにフジがリーディングされたこと、自分では盲点のボトルでした。
不思議なもので、人の意識は盲点をつくり、でもその盲点に気づけたなら、未知の扉が存在に気づけ、動かしがたかった部分が一気に展開しだすこともある気がします。
いい年して「思春期の哲学者」であり続けること、それは1つの個性として素晴らしいこと、と、モラトリアムを恥じてた私を、またしても、パビットラさんとお花のスピリットに、これまた全肯定していただけた気分。
とても嬉しく心強くなれました。
ありがとうございました。
●その後の印象的な体験(気づき、感じた事、ミックスボトルを使用して等)
その後も、幾つも。
体験は目まぐるしく継続しています。
変化している流れの中で、まだ抜け出しきれていない過去からのパターンが象徴的に顔を出せば、ボタンヅルなる私との間に激しい葛藤が生まれ、時にとても苦しい、という状態になることもありました。
出来事も引き寄せてしまったり。
ボタンヅルさん、苦しいんですけど。
中断して、ナギナタコウジュでも、と逃げたくなるくらいの時も。
ところが、ところが、今書いてるこの1日2日、ここにきて、ふと、自分の中に起きてるある変化が意識できるようになりました。
苦しみが、長続きしないような。
そのダメージも、よく観察すると深いものではないような。
乗り越え方も今までとは違うあり方に向かおうとするような。
なんとも曖昧な表現なのですが…。
単純なイメージとしては、せめぎ合ってた光と闇の割合が、徐々に変化し、逆転しはじめてる?
長年の恐れと重なっていた闇を、闘うことをせず、圧倒しはじめてる、切り替わりの力になっている、その光の主こそ、ボタンヅルなる私、私の中の幼子?
純粋であっては、傷ついてしまう、純粋であることは怖いこと。
自分の中の純粋さに怯え、鎧を着て、ボタンヅルにそんな印象を抱きながら、一方で、ボタンヅルのスピリットが必ず真実に運んでくれるという信頼がありました。
今、私の中で顔を出しつつある幼子は、物心がつく前の幼子の純粋な笑顔が、何者も、どんな状況も、吹き飛ばすような明るさを持っていることに通ずる、たくましさも感じられるような…。
ワークショップ後、図書館で目に入り借りてきた、ゴフスタインなどの絵本を暇があれば開いていたり、気づくと自然にとっている、それら自分の中の幼子に向けた行為も、意味がなくない感じがしています。
ふと自分の年齢が今幾つだかわからなくなるような感覚になり、それくらい、幼子が台頭してきている感じがあります(笑)
この過程の中で、とても不思議な<雨>の経験をしたことや、まだ途上ではありますが、とても書ききれないことがまだまだたくさんあるのですが、参加者のみなさんから、純粋さに気づいていくための大事なヒントを受け取らせていただいたことを、ひとまずここでは最後にお伝えしたいです。
探究への欲求が強く、そのエゴで自分をがんじがらめにしがちな私からは、みなさんの言葉は、飾らない素直な姿として響きました。
洗われてくようでした。
いつも精神的でなければならないわけではないし、悩みがなければいけないわけではない、何かするのに確かな理由がなくたっていい、溺れそうな自分を見せてもいい、繊細な自分のまま大丈夫なフリなんかしなくていい。
誰の中にもある幼子に、この世界が優しいものでありますよう。
これからは、自分の中の他者の中の幼子に、純粋さに、優しい私になっていけますよう。
そして雨の日は雨を聴く…。
新しい希望につながる今回のワークショップでした。
出会いに感謝します。
ありがとうございました。
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