マウントフジ・フラワーエッセンス
体験談
直線上に配置

「Prem Chivitraa(死後のプロセスに光をもたらす)」

この商品は、今年の始めに親しい人が亡くなったことがきっかけで、発売されてからすぐに使いはじめました。とっても強い悲しみ、後悔、罪悪感の気持ちが、ずっと離れなかったからです。
昔から、悲しみや罪悪感が強いと亡くなった人を引っぱってしまうとか、亡くなった人の成仏にかえって良くない事は知っていました。悲しみではなくて光を送ってあげよう、そうした方がよいと頭では分かっているのですが、気持ちがついていきません。光を送りながら、気がついたら、あの時はもっとこうしてあげればよかった、あの時は何てひどい事をしてしまったんだろうと思ってしまいます。
そんな中、マウントフジの働きかけは以前より実感していたので、助けになればと、オーラスプレーをお墓に、フォーミュラーを自分に使う事にしました。
フォーミュラーをはじめて飲んだ時には、寝る前だったのですが、フトンの中に入ると、ふわっとしてス〜として、体から抜け出てしまうのではないかと思ったくらいです。
翌日からは初期反応(浄化反応)が出て、1〜2日はとてもだるくて眠かったです。胸と喉の間に何かが溜まっている感じがして気持ち悪くて、結核にかかったらこんな感じじゃないかしらと想像しました。胸から鎖骨の下あたりを叩くと空ゼキがでるのですが、叩くのが気持ちよくって、よくさすったり叩いたりしました。溜まっている悲しみとかの自分の気持ちを、解放しているのだとわかりました。
また、今回の事とは直接関係ないのですが、過去生で胸の病で死んだ自分が出てきました。過去生というと証拠がないものなのですが、とても古いキズが肺にあって、それは過去生とつながっていると実感しました。
それから、他の初期反応(浄化反応)としては、背中が重くてだるかったです。もともとが霊的に敏感体質なので、飲んだ事でかえって変な霊でもしょったのではないかと、一瞬疑ったくらいです。そして、まったくの偶然から、背面は過去をひきずっていることと関係しているという情報を知りました。その情報から、自分も過去を向いたままであること、ひきずっていること、それが背中の変な感覚として出ていたとわかりました。その事を知った後、背中の変な感覚が消えていって、軽さを感じるようになりました。わずか3日間のできごとです。
 それからお墓には、オーラスプレーを開封しないままでずっと供えていました。墓地の決まりで食べ物を備えられないので、その代わりに置いていました。ある日、お墓にかけたくなってビンを開けました。普通ならスプレーするのでしょうが、なぜか気が付いたら、お墓にお水をかけるように、ボトルからドボドボと一気に墓石にかけて空にしていました。その後、お墓の主がとても喜んでいる事が強烈に伝わってきました。かけていた自分にも、オーラスプレーのエネルギーが伝わってきました。こんな使い方する人が他にいるかどうか知りませんが、強い働きかけを実感しました。
自己流の使い方ですが、参考になればと思ったので紹介します。お墓に行った時に、お墓にオーラスプレーを供えて帰ります。次回行った時に供えてあったスプレーを墓石にかけて、新しいオーラスプレーを置いて帰ります。
驚いたのは、お墓にずっと置いていたオーラスプレーが、変なエネルギーを吸収する事なく、良いエネルギーの状態を保っていたという事です。マウントフジフラワーエッセンスは、変なエネルギーを吸収して効かなくなる事がないと聞いていたのですが、本当なんだと実感しました。

(花マルちゃん:匿名希望)



「豊かさと成功」

特には豊かになりたいとか成功したいとかを強く望んだり、とりたてて考えなければならないような状況にはいませんでした。それなりに日々楽しんでいた私です。
それでも、私が豊かさと成功を使おうと思ったきっかけは、周囲の人たちの体験を聞いたからです。商売がうまくまわるようになったとか、お客さんが増えたとか、思わぬところからお金をもらったとか、多くはお金に関することですが、いろんな体験を聞いたからです。『自分にはあまり関係ないけど、そんなすごいものならちょっと試してみよう』といった軽いノリで、使いはじめました。

すると、最初は嫌なことがたくさん起こりました。といっても、自分にかかわることではなく、他人の欲を見せつけられるような場面に頻繁にでくわすようになったのです。自分の利益のためにウソばかりついている人、人のお金をあてにして絶対に自腹をきらない人、専門職を利用して高齢者をだまそうとしている人、意思が弱くていつも人にだまされている人等など、短い期間に本当に次々と出会いました。
とくに、社会的に高い地位にいる人の悪徳に出くわした時には『弱者を助ける仕事をしている人が、その立場を利用して簡単に悪事を行い、被害者が泣き寝入りするなんて許せない』という強い憤りを感じました。被害にあいかけている人を助けようと奔走しました。そんな中、被害者になる人にも、自分で決められないとか、断りきれないとか、人を頼りすぎる、嫌な事は人に押し付けるといった問題があって、自分で問題を呼び込んでいることにも気づきました。

その後、豊かさと成功の体験者のように、私も思わぬところからお金をもらうことになりました。それも、自分の特しか考えていなくて、自分に損なことは絶対にしない、哀れな自分を見せかけて優しい人をアテにしている人だと思っていた人から。最初、私がお金に困っていると誤解してお金を用立ててくれようとしたのですが、今迄そんなことなかったので『エッ、ウソでしょ?』と驚きました。お金の援助は必要ないことを説明した後も、なぜか予定通りお金をくれたのです。しかも二度も。いらないと何度も強く断っても『今までのお礼の気持ちもあるから、受け取ってもらわないと自分も困る』と怒りながら言うのです。一度目は現金を無理やりカバンに入れられ、二度目は現金書留で突然送られてきました。
大金だったのですが、その人の気持ちに負けて、二度とも受け取ることになってしまいました。その人とは長いつきあいで、ネガティブな思いが多かったのですが、別の面を見させていただいた思いです。愛、暖かさ、思いやりといったものが、誰のこころの中にもあることを強く実感しました。

思えば、豊かさと成功を使用する時から、なんとなく『豊かさと成功を使用する人って物欲が強いんじゃないかしら?』といったネガティブな先入観が、漠然とこころの底であったような気がします。お金持ちになるブレスレットとか、恋愛でライバルに勝つお札とか、変なグッズと同じような感じで『こんなものを使う人って、きっとレベルが低いんじゃないかしら?』という考えが、どこかにあったのだと思います。
使用している時も、『私には、本当は豊かさや成功について問題があるわけじゃないのよ、ちょっと遊びで試すだけで、真剣に使っている人とは違うんだから』といった感じで、実際に自分が使っているくせに、使っていないことを装うというか、そんな感じでした。使っている自分というものを、認めたくなかったのです。自分の感情や想念をだますために、他の人を非難したり、スピリチュアルでレベルの高い自分を装ったりして、自分に複雑なトリックをしかけていたのです。
いま思うのは、きっと私の中にある『豊かさや成功をあからさまに願うなんて、スピリチュアルでない』といった偏った決めつけがあった気がします。豊かさや成功に対して、一面的で狭い先入観がありました。豊かさや成功という人が持っているシンプルな願い、それが自分にもあるということを素直に認められない、頭でっかちでこころの狭い自分がいました。だからこそ、他の人に対してもありのままを認められなくて、非難や優越感でごまかしていたのだと気づきました。(←←←自分はレベルが高い人間だとか、だからレベルの低い人とはつきあわないわとか、そんなヤツは大嫌いだったのに自分もそうだったなんて!!)ある意味で、豊かさや成功に大執着し、こころの中の問題を見ないようにしていたのは私の方でした。

豊かさと成功は、私の予想を大きく裏切り(よい意味で!!)、物質的な豊かさを与えられただけではなく、人のこころの豊かさもいただきました。精神的な面でも『自分自身に対する棚卸』の機会を与えてくれました。最初は遊びのつもりで使いはじめたのに、いろんなことが起こり、結局ニヶ月も豊かさと成功を使用した私がいます。いま使用を終えて、もっと自由に身軽に生きられて、自分だけではなく、色々な人のあるがままを認められるようになっていけるような気がしています。

(匿名希望)