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私は、ある芸能活動(以下A)をしています。最初は軽い興味からはじまりましたが、いつごろからか、Aで身を立てることが夢になりました。熱い情熱と懸命な努力で、その夢は現実になりました。とはいっても、現実はなかなかきびしくて、おせじにも一流といえるレベルにはいません。運や才能ではなく、あきらめずに続けた努力と気力で、ここまでこれたという感じです。
Aをしていくうえで、生まれながらの才能や容姿は無視できません。もっというと、とくに身体面において、生まれながらの優劣が決定してしまうのです。最初はただ楽しむだけでよかったAも、年を重ねるにつれて、Aがいくら好きでもどうにもできないことがあると思いしらされます。
私の所属するCの中に、友人のB子がいます。B子は、Aに有利な生まれながらの利点を、すべて持ちあわせている人間でした。私が努力してもできないものを、さして努力もなく簡単にできる人間です。その他の面でも恵まれていて、神は二物を与えずというのに、こんな人間もいるのかという感じです。Aを愛している思いや情熱は、ぜったい私の方が負けないのに、神様はなんて不公平なんだと思っていました。美人で才能があって家庭的な環境もよく、性格も明るいB子は、上の人にはかわいがられ下の人には憧れられていました。
バカみたいですが、Aとはまったく関係ないところで、B子のしぐさ、話し言葉なんかの真似をして、他人によく思われようとしたこともあります。でも、そんなことで自分をごまかしても、自分とB子の差は歴然としています。何をしても、B子にはかなわないという敗北感がありました。
B子と私はつきあいも長くて、お互いの家にも泊まりにいったりと、したしくしていました。でも、内心ではB子にすごく嫉妬していました。ひどいことをされたこともないのに、なんでもうまくいくなんて許せない、自分だけ幸せそうにしてという憎しみがありました。
B子の家に泊まりにいった時に、わからないように家具やインテリアに小さな傷をつけたこともあります。みんなでお茶を飲む時に、B子のカップだけ洗剤をおとさずにお茶をいれて、ちょっとしたことでしかえしもしていました。なにもされていないのに、しかえしという強い思いがありました。
B子を中傷する話を、架空の人をよそおって投書しました。自分からでたとわからないようにして、いろんな人にも、B子の悪口を広めまくりました。内容的にはまったくの嘘をついているのですが、やっている時には真実だと思わんばかりの気持ちになるのでした。今思えばひどいことなのですが、ざまあみろという感じで楽しかったのです!私は、B子を陥れることで、なにかひとつでもB子に勝ちたかったのだと思います。
冷静に見れば、すべて悪いことだとわかります。でも、他の人がすると悪いことでも、自分だけは例外で正当だ、B子が悪いからなんだというぼんやり感がありました。でも、私がなにをやっても、どんなにB子の不幸を願っても、B子は順調で前向きな人間でした。もともと才能があって簡単に手にいれられたので、Aへの執着もあまり感じられません。またそれを見て、いっそう腹だたしさを感じました。B子が存在しないAの世界があったら、どんなにか気持ちが安らぐだろうと思いました。
何年もこんな気持ちをかかえながら、ひょんなところからフラワーエッセンスというものを知りました。 バッチ博士のフラワーエッセンスから、ひそかにホリー、ビーチ、ウイローを使いました。最初は、これを使うこと自体が負け犬みたいで、とても抵抗感がありました。自分の感情はすべてB子のせいだとなさけなく思いながら、使っていました。
1週間ぐらいで働きかけがきました。激しい憎しみやねたみの感情が、減っていっている感じがありました。使うたびに、少しずつ減っていっているようでした。それでも、小さい炎がまだメラメラ燃えていて、それだけは消えてくれない感じでした。
それから使ったのが、フジザクラです。嫉妬と憧憬の同居、心と裏腹の行動をとるあなた、という文章で選びました。ホリー、ビーチ、ウイローと同じように、フジザクラの説明にもすごい抵抗がありました。それでも使おうと思えたのは、ホリー、ビーチ、ウイローが、使う準備を整えてくれたのではないかと思います。
フジザクラを使いながら、B子への憎しみや嫉妬には、憧れやひかれる気持ちが同居していることがクローズアップされてきました。AをしているB子や普段のB子を見ている時も、憧れや誉めている自分、ときめいている自分がいると認めるようになってきました。だからこそB子の真似をしたのでしょう。はっきりしていることなのですが、改めてあーそうかと心から思うと、そんな自分をいとおしく思えて、楽になってきました。
ある日の午後、フジザクラを使った後に、桜の花が散ってゆくイメージがうかびました。たくさんの桜がボタン雪のように散っていくのを見て、心が軽くなってきました。わけもなく涙が出て、長い時間、わんわん声をあげて大泣きしました。自分で小さな自分を抱きしめているような、いとおしく思うような気持ちで泣きました。
そしてある瞬間に、どこをさがしても憎しみや嫉妬がみつからないことに気づきました。えー、何がおこったの?今まで私は一体何をしていたのだろう、何を重い荷物を持って苦しんでいたのだろうという感じです。地球の裏側から突如として、光があたるもとの場所にもどってきたような感じです。もちろん、目にみえないところで、少しずつ変化していってたのでしょうが、一瞬で、軽くてあっけらかんとした気持ちになった感じなのです。
このふしぎなできごとは、ちょうど桜が咲くころだったので、本物の桜も応援してくれたのだと思います。そして、桜が散るころに、もう十分だとフジザクラを使うのをやめました。自然界も、フジザクラを使うタイミングを導いてくれたようです。
そして、嫉妬やねたみや憎しみは相手のせいではなく、自分が自分を好きになれないからだと心からわかりました。自分の境遇を人のせいにするのではなく、自分を好きになって一生懸命生きていきたいと思っています。フジザクラと桜が、それを教えてくれました。
〔追記〕 ご連絡ありがとうございます。体験談の掲載OKです。 あれからスッキリと生きています。重い荷物をせおうのは止めました。悩みもでてくるけど、とらえ方がかわりました。今はとても楽に生きています。
(匿名希望) (弊社注:こころの変化の時期でしたので、とてもプライベートな内容をご紹介する事が、エネルギーレベルで影響する可能性を考慮し、ご紹介の時期を保留しておりました。桜の開花が近いこの時期に、この投稿を改めてご紹介出来るのも、桜さんの導きなのかもしれません。) |
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