〜バッチ博士のフラワーエッセンス基礎通信講座〜
匿名希望 掲載日: 2005年 2月 22日 思い起こせばちょうど1年前の9月、「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎通信講座」の受講を決め、実際に学習を始めた。だが、今振り返るととても不思議な気持ちになる。なぜなら、激変とも言える程の生活・心境の変化をその後経験し、1年前の事がまるで遠い昔に思えるからだ。具体的に言えば、8年近く勤めた会社を辞め、実家を出て、短期間ではあるが違う土地で暮らし、働き、学んだ。たくさんのものと別れたが、また新しくたくさんのものや人と出会った。 そして今、季節は一巡して同じ秋を迎え、結果的に私はまた元の町・元の家で暮らしているが、自分が1年前とはまるで違う立ち位置にいるのを感じる。この先自分のやりたい事が明確になり、それに沿って「現在」を生きるようになった。このような状況は1年前には全く予想できなかったが、しかしそれこそ、当時の私が一番望んでいた事だった。今の人生に何らかの「変化」を起こしたいとずっと願っていたが、同時にまた、変化に対する抵抗も大きく、フラワーエッセンスを学ぶ事でその葛藤を打ち破るきっかけになるのでは、と思っていたのである。
そもそも私はフラワーエッセンスに惹かれたのは、元々自然が大好きで「自然(界)の癒し」に興味があった事が大きい。特に樹木が好きで、疲れると緑の中に入っては心身を休める、という事を時々やっていたが、この時感じる一種独特のボーッとした気持ちよさは一体どこから来るのか、これがいわゆる「自然の気・エネルギー」というものなのかと、常々不思議に思っていた。 また私は、哲学や心理学・精神世界といった、いわゆる「心の世界」にも昔から興味があったので、フラワーエッセンスの世界を知った時、いつかはちゃんと学んでみたいと思っていたのである。 しかし、実際に学ぶにあたって私が決めた事は、「エッセンスに過剰な期待を抱かない」という事であった。自分自身、気やエネルギーの存在を何となく信じてはいたものの「確かに感じられる」というレベルまで行かなかったので、エッセンスを飲むことで起きてくる事をとにかくしっかり見つめよう、いい意味での成り行きにまかせ、何か変化が起きたならそれに従っていこう、と考えていた。前に書いたように、人生に変化を起こしたいという気持ちはあったが、エッセンスに過剰な期待を抱けば、"○○のおかげで私は△△になりました"といった、巷でよくある過大広告のようになってしまう。それだけは避けたかった。
実際、1年の学習を終えた今、フラワーエッセンスが自分自身にどう影響したのか、正直よくわからないでいる。確かにこの間、大きな変化をいくつも経験したが、では、具体的にどの場面でどう働いたかとなると、確実な答えを返せない。気・エネルギーレベルの実感も相変わらずないままである。 ただ、2つだけ言える事がある。1つは、この1年に起きた一連の変化の「きっかけ作り」は、やはりフラワーエッセンスにあったのではないかという事。それはエッセンスを飲み始めて2ヵ月程たった頃、ある事がきっかけで今まで抑えていた想いが噴出した事があった。これが結果的に退職の要因となったのだが、それまで8年近くコントロールできていたもの(想い)が、なぜ今になって表に現れたのか、ある意味ショックを受けた出来事であった。また、この時期、職場の別の部署でも全く同じような問題が起きており、この偶然の一致は何を意味するのだろうと考えさせられたりもした。 あともう1つ実感した事として、そのエッセンスをどれくらい必要としているかの強弱は、ちゃんと自分でわかるものだなという事。テキストにもあったが、あまり必要と感じず、つい飲み忘れたり、持って出るのを忘れたり、というエッセンスもあれば、1日何回も飲んでいたものもあった。そして、学習が進むにつれ、心の奥の方から訴えてくる「声」「フィーリング」に何となく気づくようになり、その深い部分に応えられるエッセンスこそ、自分が真に必要としているものではないかと確信するようになった。
テキストを読んでいると、「自分を深く見つめる」「自分の変化に注意深くいる」といった表現が何回も出てくる。そういう意味では、エッセンスを学ぶにはいつでも適しているというわけではなく、学ぶにふさわしい時期・心境があるような気がする。私は、前半こそ時間がたっぷりあり、余裕を持って学習に取り組めたが、後半は非常に忙しく、自分を見つめる時間があまり持てなかった。日常の些細な変化に気づくより先に、大きな変化がすでに現実面で起きていたため、それについていくのに精一杯だった。 ところで、最後にこれだけは書いておかねばと思う事がある。それは、違う町での生活は確かに私に新たな自分像・目標を示してくれたが、元の町・元の家に戻って落ち着いてみれば、昔置き去りにした問題・古いパターンがまだそのままそこにある、という事だ。そういう意味では、これからが本当のスタートではないかと思っている。古きものと新しきもの、両方を抱えて。
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