〜バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座体験談〜
山口こずえ
掲載日: 2006年 6月15 日
● フラワーエッセンスを学ぼうと思ったきっかけ
二年ほど前から整体のお店で見習いとして働いています。整体やオイルトリートメントを人に対して行うようになって、なぜか疲れ方が変だと感じる事がしばしばありました。お客さんが帰った後、その方の痛がっていた所と同じ所が痛み出すのです。なぜ・・・施術をするたびにこんなに疲れていたら体がもたないな、と思っていました。半分冗談で「邪気をもらった。」と言ったりしていました。目に見えないエネルギーとか波動という物に意識が向いていきました。
フラワーエッセンスの事はそこで“心に働きかける物”というように聞いて知ってはいましたが、すぐには興味が湧いてきませんでした。
それがバッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座を受けるようになるまで興味を持つようになったのには、整体にいらっしゃるお客さんを通して感じた、体の痛みは心の中のわだかまり、抑えた感情が関係しているのでは、と漠然と思った事と、自分について考えていた時、案外自分の事って解って無いなと思っていた事があったからです。
● バッチ博士のフラワーエッセンス講座を受けて
とにかくフラワーエッセンスって何だろう、どんな物だろうという気持ちからスタートしました。第一回目で花カードを選ぶエクササイズが始まったのですが、内側を観察していて、どうも他人事のように感じます。ハッとしました。今まで考えた事もありませんでしたが、自分の気持ちを考える時、「今嬉しいんじゃないかな。」とか、「悲しいんじゃないかな。」と脇で見ている自分がいて、その脇にいる自分がいつもの自分で、感情を味わっている自分が感じられない・・・すみません文章が下手で。どう説明すればいいのでしょう。感情と思考が離れて存在していて、思考から見て、考えてるだけで感情がついて来て無いような感じ・・・と言えばいいでしょうか。自分をそうとらえていたな、と気が付いたのです。多かれ少なかれ考えと感情が一致していない事など、誰にでもあるかもしれませんが、その2つが離れ過ぎていると思ったのです。
そうして選んだカードはゴースでした。花の印象は、明るそうだが近よりがたく、子供みたいないたずらが好きそうな、自分ではプライドが高いとは思っていない−でした。この時、フラワーエッセンスの事は何も知らず、テキストもさらっと読んでいたくらいでしたので、後でじっくりとテキストのゴースの所を読みますと、絶望感・二元性・生を苦しみに満ちたものと見なす・否定と肯定の間の揺れ動きを超えて行く・それを許せば私達は苦しまなくなる・といった言葉が大変気になりました。
その日初めてペンジュラムを使い、クレマチスとインパチエンスとチェリープラムを選びました。クレマチスとインパチエンスは後にもたびたび選ばれましたが、本当だ、自分にはそんなところがある・・・何でこんなにぴったり選ばれるんだろうと、不思議と感動とショックで強く印象に残っています。
・クレマチスの“未来に生きている”
・インパチエンスの“特に他の人々に我慢出来ない。自分自身にも”“成長を急ごうとする”
・チェリープラムの“コントロールを失う事へのエゴの恐れ”“内側のガイドに対する頭脳レベルの質問と抵抗”“個人的なものの見方をレットゴーする”
いつも先々の段取りを考えて行動しているし、子供に「早く早く」は口グセだし、ものの見方と言えば一方的で色んな角度から見てなくて、(それが出来なくて嫌だと思っている。)頭の中は忙しく、そのくせポーっとしている・・・そのものだ、と思いました。
フラワーエッセンスを飲んだらそれがどうなっていくのだろう。私の中で何が変わっていくのだろうと、第一回目のショックを引きずりつつ、フラワーエッセンスを飲み、感じた事をメモし・・・そして第一回目から数えて三日目にお風呂でコケて、左足のすねを強打しました。みるみる腫れ上がり、血がにじみました。その時の私が何て感じたか・・・とにかく痛い。ビックリ。どうにかしなきゃ。頭真っ白でした。やっとお風呂からはい出てタオルで冷やしながら、「そりゃそうだ。痛いと感じていれば良かったんだ。当たり前の事じゃないか。他に何を考えようとしていたんだ。理屈を付けて何になる?」
私には考えグセがあるのではと思っていましたが、この時はっきりと自覚しました。
この考えグセはやっかいで、その後しばらく私の頭の中は、本当に考えなければならない事から日常のどうでもいい事まで、いいか悪いか、好きか嫌いか、人がどう思うか、自分はどうか、これからの展開などなど、考えたくもないのに沸いて出て、頭の中がうるさかったです。朝起きてから、夜寝るまで常に考えているのです。疲れます。頭を休ませるには体を動かす事だと聞いたのを思い出し、家事に精を出し、せっせと歩いて買い物に出掛けましたが、これは体を動かす事には入らないみたいです。手を動かしながら頭は別の事を考えてましたから。
パターンがある事も発見しました。登場人物が二人いるのです。私と他のだれか、相手はその時々で違いますが、私がその相手に向かって話しているという形です。説教しているような、怒っているような話しぶりで、とうとうとしゃべっています。理路整然としています。正論です。「あなたは〜すべき。」とか、「〜が正しい。」とか。相手は反論しません。だまって聞いています。これ両方とも私かな、と思います。「〜すべき」と思っている自分。正しいとは知ってるけど、出来なくて何も言えない自分。私の中で折り合いがついていないのですね。理想的な自分でいたい思いが、ともなっていない自分を責めている。何においても自信を持って行動出来ない理由はここにあったのか・・・と気が付きました。
バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座が始まって二、三週間が過ぎた頃、とにかくイライラし、何に対しても腹立たしい気分でいました。「なんで〜してくれないの。」「なんで自分は〜出来無いの。」と。出来事としてはまったく反対で、グッドタイミングでラッキーな事が、ささいな事でしたが、起こっていました。ただ二人の子供が次々と熱を出し、すぐ下がる、という事もあったのですが。
バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座で習った瞑想のひとつを家でやってみたら、「ありがとうと言わなくちゃ。」とフッと思いうかんだり、めったに見ない夢を見たり、感情の上下が激しかったです。この夢で私は「人生はいかに生きたか。最後の時によかったと満足して死にたい。」と誰かに向かって言っていたのです。自分はいったいどうしてしまったのか。思考がついていけません。思考が感情にふり回されているようです。
バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座も中頃になると、少し落ち着いてきて、気分の上下の波は小さくなったと思いますが、自分てなんて至らないんだろう。あの人は何て立派な考えを持っているんだろうと、会う人会う人すべてが、いい所を持ってるすばらしい人だと感じるようになりました。至らない自分と思っても責めている風ではありません。ただ私はまだまだ至らないからがんばらなくちゃ、という少し謙虚なニュアンスです。
フラワーエッセンスを使った過去を癒すセッションの実技では、長男に抱き着かれると、つき離してしまう事について働きかけようと思いました。子供が小さい頃から(今は十一才です)そうしてしまっていました。かわいくないと思っている訳では無いのです。急に近寄られるとなぜかふり払ってしまうのです。その時の子供の悲しそうな顔といったら・・・私も罪悪感とかわいそうな気持ちとなぜ?が入り混じり、でも今までどうしようも出来ないでいました。それを過去を癒す実技で変えていったのですが、実技が終った時には涙が出ていました。
次の日長男をどうしても抱きしめたくなり、ギューっと。十一才の息子は初め照れくさそうでしたが、嬉しそうでした。それ以来、しょっちゅうギューっと、前からそうしていたように自然にしています。払いのけていた原因はわかりませんでしたが、こんなにも自然に出来るなんて、十一年も悩んでいたのに、胸がフワーっと軽くなったのです。これがハートが広がる感覚なんだろう、絶対そうだ、と思いました。文字にしてみると、ちょっと感動が薄れますが、私にはすごい大きな体験でした。
続くバッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座では、人に対してカウンセリングやセラピーをする立場としての心がまえや練習をして学んでいくので私には少々キツイです。まだまだカウンセリングなんて・・・。
いかに今まで人の話を聴いていなかったことか。自分のフィルターを通して、相手の話を勝手に解釈していたり、理解出来無い事をそのままにして、解ってあげようとしていなかったこと、などなど反省ばかり。
私にはまだまだ自分と向き合う時間が必要だと再確認しました。今までただ流されてきただけだったと。考えに考えてハッと気付くのに時間がかかる私ですが、人とも自分ともじっくり向き合っていこうというのがこれからも課題です。フラワーエッセンスに助けてもらいながら、少しでも前進していきたいです。
講師の方々と講座でご一緒だった皆さん、本当にありがとうございました。感謝しています。