マウントフジフラワーエッセンス基礎講座体験談
千恵
掲載日: 2005年 5月 16日
何から書いて良いのかわからない。書こうと思うと咳が出る。「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」の第5回目、第5チャクラの回の時から出続けている咳だ。
第5チャクラの回の実技でリンドウを喉に当てたとたんに咳が出始めた。その回で選ばれたエッセンスはリンドウ1種類だった。それから咳が1日中たくさん出た。風邪で出る咳とは感じが違う。風邪の咳はウイルスを押し出そうと、体全身から込み上げてきて外へ出そうと咳が出る。リンドウからの咳は喉だけで出る。この咳は4週目となった今も続いているが、特に最初の2週間がとてもたくさん出た。たくさん出たわりに風邪の時のような咳による筋肉痛もなければ、咳がかれて、声が出なくなるようなこともなかった。リンドウの咳はまるで、話す言葉のように喉から咳となって出ていたのだろう。1日中あまりにもずっと咳をし続けていたので、第5チャクラの問題である「言いたい事をあまりにも多く言ってきてこなかった」事に気づく。自分の意思を表現することはとても苦手分野であったので、このようなレポートを書くとなるととても苦手に思うのだが、体験談で良いとのことなので、つらつらと自分の感じた事を書かせて頂こうと思い、読みづらくて申し訳ありません。
言いたい事が言えない、このようなレポートのように自分の創造性を表現できない訳は、表現して良いのか悪いのか相手のことを気にしすぎて相手にとって良いようにしようとしてしまい、結局分からなくなってしまい何も表現出来なくなるからだ。表現してしまう事で、相手や世間から評価され、それに傷ついてきたこと。また傷つくのではないかという恐れ。傷つくぐらいなら表現しない抑圧。抑圧し続ける欲求不満。自分への自信の欠如。…となっている事に感じる。リンドウによる咳で、言葉に出すわけでも、何かで表現するわけでもなく、ただただ咳をするというだけで、傷からの痛みをやさしく浄化してくれた。ただその事に気づきながらも、咳がまだたくさん出続けるので、もっと訳があるのではと、リンドウによる隠れたものを表面化してくれる働きのサポートにも感じる。第5チャクラの回の講義で喉は父親的なものとも関係していると学んだ。この学びにより、風邪にかかると自分は必ず喉からくるのは、父との関係であろうと気づく。だが、そうであろうぐらいで深く掘り下げるプロセスはなかった。
第6回目が急にどうしても調整がつかなくなり、やむなく欠席となったのだが、その後の1週間もあまりにもたくさんの咳が出続けたので、第6回目をうける前に、どうしても第5回目の第5チャクラで起こった咳を出しておくことが必要だったのだろうと、マウントフジフラワーエッセンスからエネルギーの流れに驚く。父との関係のプロセスの事は、第8回目の男性性と女性性の回の時に気づく。
【マウントフジフラワーエッセンスのエネルギーの流れ】
●第1回目 イカリソウ、クサボケ
マウントフジフラワーエッセンスを初めて飲んでみる。
帰る途中、渋谷駅であやしい動きをしているおじさんがいた。通常だったら恐いと感じ、否定するところを、その時はおもしろいことをする人だなあ、と肯定し、楽しむことをした。
満員電車の中で自分の前の座席が空き、座ることができた。通常は座る時に、他の人々も疲れて座りたいだろうにすみません、という感じだが、その時は「フー疲れた。ラッキー。」とそのまま座れた事を喜んだ。
楽しみ、喜んでいる自分に気づく。驚いた。これがマウントフジフラワーエッセンスなのか?あまりにも全く気づきもしないぐらいに、あたりまえのように変化している。「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎&プロ養成講座」の時に気づくという訓練をしていなかったら、変化を見逃していただろうと思う。
ずっと2年目になるが、引き続いている離婚問題の事が自分の中での浄化、解放なのだということ、この問題が必要なのだという事に気づく。「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎&プロ養成講座」の時では解決しなかった。解決というよりは維持をしていた。マウントフジフラワーエッセンスは良いか悪いかではなく、もっと高い視点から、魂の使命に気づくことにより、解決した。バッチ博士のフラワーエッセンスのスクレランサスでは決められず、ワイルドオートでは人生のやりたい事は見つけることができたが、人生の意味ではなかった。マウントフジフラワーエッセンスは魂と調和する高次波動とあるが、あまりにも長く苦しかった問題が、あまりにもあたりまえのように変化するので、驚きととまどいを感じた。
こんなにもあたりまえのように変化するのなら、長い間そのことで苦しみ、つらく、そのことに時間とエネルギーをついやしていたのかと、ばからしくなった。本来人生とはもっとプラスに建設的に、地に足をつけ、楽しんで、今世に生まれ生きている一瞬しかない人との出会い、物との出会い、縁を楽しんで、そのためにエネルギーを使っていくものではないかと思い至る。
マウントフジフラワーエッセンスの気づきは魂のレベルからのものぐらい深いので、やはり驚きととまどいは続いた。飲んだ初日の帰りに起こったことである。
●第2回目 ムシトリナデシコ
とけあうという感じが分かった。まるで水彩絵の具のように何の抵抗もなく混じり合う。混じり合っていながらお互いはただそこにいる。
混じり合っているということは、自分が相手に好感をもてば好感で混じり合い、相手から好感をうけるということ、逆に嫌悪感をもてば嫌悪感と。人間関係の根本とはここにあるのではと思い至る。分かち合うという心を開き、好感、愛をもつことが出来れば地上から争いはなくなるのか。
●第3回目
実技中、ミックスボトルを作り、それも持ったとたんいきなり気づく。
何かをするにしても、皆で一緒にやろう、その方が楽しいし、皆と一緒に出来ることが喜びだったからと思っていたが、それは1人では出来ない自立していないということだったと気づく。今までの子供の頃からのパターンに、いきなり気づき、解放され、動き出す。自立できる、1人でできるのかやってみようと思う。2〜3分ぐらいのことだった。
今まで子供の頃から悩んで、エネルギーを使っていた事がばからしくなるぐらいポーンと高く引き上げられる。とまどいもあるが、これでいいのではないかとも思うが、今までのパターンとあまりにも違うのでついていけない感じもあり、うけ入れたらどうなるのだろうか、うけ入れないとバッチ博士のフラワーエッセンスのチェリープラムのようにバランスを崩すのか、楽しみながら待つというプロセスへの信頼が弱いことに気づく。
●第4回目 ダンコウバイ
第3回目の疑問を解決する象徴的な事が起こる。実技でエッセンスを選ぶ時に相手に選んでもらった。ダンコウバイは自分では"冬"と感じたので、自分では決して選ばなかったであろうエッセンスなのだが、相手の方は"ハートとのあたたかさ、喜び"と感じとられ、選んでもらう。ダンコウバイにより一気にエネルギーが一新され、第3チャクラを温めて、第4チャクラが開き、プロセスを信頼し、宇宙に委ねる事が出来た。ハートを開いていなかった事に気づく。
●第5回目
前述の通り
●第6回目(個人補講での受講) フジ
補講中、第6チャクラに関連した一時的な問題に花粉症とあったのだが、第5回目以降、10年前よりかかったことがない花粉症にいきなりかかっていた。
第6チャクラに意味があったことに気づく。やはりプロセスに意味があることを再確認し、第6回目、第7回目を同時にうけるので、どんな意味があるのだろうかと委ねている自分に気づく。
●第7回目 ハルジオン ウメ ツリガネニンジン スピリッツ ハリエンジュ シャガ
フジを飲んでからの講座だったからなのか、頭の思考が全く働かず、講義中、開いてメモすることが出来なかった。
実技になってそのプロセスの意味に気づく。フジの高次レベルでの霊的交流により、第6チャクラ、第7チャクラを一気に開くことにより光が見えた。この光は実技中の自分だけ特別に見えたという感じではなく、光が全世界、全宇宙を包み込むという感じだった。なーんだ、どんな小さな物でも、どんな人でも、どんなプロセスでもすべては光で守られているんだ、何という安心だろう、不安も迷いもない、苦しみを痛みも、喜びもない、ただただ安心して安心して心おだやかで、永遠なるあたたかく静かで、何もない。対象がないから、怒りも憎しみも、欲も、得られた喜びも何もない。何とおだやかで、あたたかく、安らぎに包まれた世界だろう。何もないことの喜び。これが悟りなのだろう。
だがこの後が大変だった。現実生活はある。物質、欲、怒り、愛憎、その他いろいろある。あまりにも違っていった。
ない世界とある世界の調和はどう取るのだろう?
第8回目、第9回目のプロセスで分かるのだろうか。
●第8回目 イタドリ ボケ メイゲツソウ シロバナタンポポ マツヨイグサ マルバアオダモ
実技でミックス後、内なる男性性と女性性は2日後に溶け合った。
そのことにより第5チャクラの喉にいく。咳はまだ出るが、この咳は言いたい事があるが言わなくてもいい、咳としてだけ出るだけで、自分の欲求不満は解消され、人とのコミュニケーションに影響はでない、まことに便利な咳となっている。第7回目の調和はボケにより解決する。対極(第1と第7)が溶け合い(第2の交感)選ぶことなく、中心にいる(第3による第4)。
そして第5によって人、物との縁、今世ならではを楽しみ、コミュニケーションをイタドリのように広い視野で自分と他者の両方の幸せの為に使っていけたらと思う。
第5回目からの父親とのプロセスはシロバナタンポポにより気づく。言いたい事、創造性を表現できずに出た咳は、子供の頃より、何をするにも頭ごなしに、暴力的に否定された父親に対するものであったことに気づく。それにより、自分は生まれてこない方が良かったのではないかと、家族の中で一人違う感じをずっと持っていたこと、それにより居心地を求め続けた事、どんなに周囲が良くても自分の生を受け入れられなかった事に思い至る。
この事が第9回目のインナーチャイルド、先祖、過去世、過去でどのように変化するのか楽しみに待とうと思う。
分かりづらく、読みづらかったら、すみません。
このレポートの紙面上で失礼致しますが、
パビットラさん、サンバドさんいつもありがとうございます。