〜マウントフジフラワーエッセンスに出会って〜
優月怜瑠
掲載日: 2005年 5月 16日
「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」を受講するきっかけは、仕事の幅を広げるためと、きちんと学んだことのないフラワーエッセンスについて深く学びたいという動機からでした。
それが、このような形でエッセンスに愛と感謝を深く感じる程の繋がりを持たせてもらえる様になろうとは、最初は誰が想像できたでしょう?
不思議な感覚さえ覚えます。又、どんなことがあってもそれは、一つの出来事にすぎない。解決の方法は予期せぬ方向からやってくる。解決したい気持ちさえあれば。そう花々が言っている気がします。
始めてハートサポートシステムを訪れてからはや2ヶ月があっと言う間に過ぎてしまいました。
今振り返ってみると、エッセンスと共に生活する事により、普段の何気ない日常を内側から自然に見つめる事に集中する機会を得られた事自体が、ワークの一つめのギフトであったように思えます。
気をつけないと指の隙間から、ただ溢れるように流れていってしまうのが時間。
自分に興味をかけ対話する、あるいは慈しむ、愛でる、理解する、自分を満たす等の作業は、実は私にとっては一番大切な作業であるはずでした。ですが、最近では後回しに何故かしてしまいがちな生活のあり方に、悲鳴をあげている私の現実がそこにはありました。
その意義深い作業を、日常の慌ただしさや精神的葛藤などと平行させながらも、持続させ体験するために必要だったものは、ただ自分の要求を知るということ。そして、ただ自分に与える、という単純なものであったのかもしれません。
しかしながら、そのシンプルで易しい選択を必要と感じながらも、どうして私はいつも選び続けられなかったのでしょう?
どうして自分に決定させてあげ、習慣化させてあげなかったのでしょう?
自分自身を見つめる時間とスペースを意識的に得ながら、エッセンスのサポートもあり、様々な気づき、不思議な共時性、出来事を体験させてもらえたことを今静かに振り返っています。
日々は本当に、こちらの目さえ開いて見る気さえあれば、さまざまな愛に包まれたささやきかけをしきりと送ってきてくれ、時にはびっくりするような展開で、私をおもしろがらせてくれました。
各週、大小の素晴らしい経験と興味深い体験をしましたが、その中からかいつまんで、基礎講座第8回目のエッセンスがもたらした大きな変化を御報告させていただきたいと思います。
第8回目で私が選んだエッセンスは8本中5本にまで及び、自分でも驚いたものです。 第8回目の実技でエッセンスを選ぶにあたり、実習への私の入り込み方は他の回にはくらべものにならない位深いものでした。
それなりに毎回のワークも、いつも落ち着きと、自分なりの直感を信頼した静かな満足を得られる、有意義な時間でした。
例えば、時にはボトルが
「僕だよ!」
と選択を迫って来たり、自分にとりまさしく必要だと思えるボトルとワークしている週に、現実に同じテーマで、全く想像だにしないところから、新たな成長のための励ましと、ヒントをいただいたこともありました。
更に仕事上の契約を満足の行く形でしていただけたのです。
又別の週には思いもかけない方が、時間をさいて私の話しに耳を傾けてくださいました。その方はコミュニケーションスキルのプロで、たくさんの企業契約もあり、講師もやられ、有能で多忙な方なのですが、面談形式の個人セッションを、長時間して下さいました。
人の暖かさを感じ幸せで胸がいっぱいになりました。又このような人格の方が私を助けて下さるのだから、私もきっと今後そのような行動が出来るハートウォームな人として、後に続きたいと高い目標をもつことが出来ました。
自分の問題を手からこぼして歩いている、困り果てた私を同情して下さっての事です。
これは第8回目のエッセンスをとっている時に、引き寄せた現実です。
第8回目での自分自身の男性性と女性性の関係を見たり、感じて行くプロセスは、まるで自己の一部そのものと会話しているようで、深層心理奥深くに埋もれていた本音が、たくさん情報として、私の中に流れて来ました。
その中で私に答えが出せずじまいになっている事柄についても、はっきりとメッセージが来ました。
長年私は自己表現することについて、自分の理想と現実がうまく噛み合わないジレンマに殆ど慢性化した悩みを持っていましたが、それは執拗な程で、自分の本来のままの素朴な自己の本質にこだわるあまり、仕事選びにも影響が出る程でした。
自己表現はどんな人でもさまざまな形で、日常行なっている事ではありますが、私は自分のお気に入りの方法で、感情や考えている事、発見や喜び、愛や感謝、希望などを発表する人で、ただ、ありたかっただけなのです。
ささやかな、願いだったのです。
そのような思いを実現するべく、私は意気揚々と大きな夢へ向かっていたのですが、その理想から決定的に決別しなければならない挫折を体験しました。
身体の故障です。お医者さまも治すことができません。
少し自分の中心から離れてしまったようでもありました。
エネルギーを縮めて、しょんぼりしているような時代を過ごしました。
今から15年も前の失意から今だにきれいに抜け切る事が出来ず、自分でもそんな自己を慰めたり、もう1度チャレンジの機会を工夫して与えてみたりしました。
破れてしまった夢に内在する特質と似たような物を持つ、他の物を与えて気にいるかどうか様子を見守ったりしたこともありました。
しかしながら、いつもいつも
「欲しいのは本当はこれではない。前と同じものが欲しい。でも、仕方がないから、我慢するよ。これもどうせ、成長の1つで私が乗り越えるものなんでしょ?」
と、もう1人の私は答え、そんなやりとりではクリアになるはずもなく、もてあまし悪循環をくり返すばかりでした。
ですから、基礎講座の実習途中にエレノアと名乗る私自身の女性性と話しをするのはこちらもちょっとした、不屈の精神も必要でした。
"活動的でエネルギッシュ、情熱的で探究心旺盛、でも気位が高く気取りやで、くったくがない憎めない面もありながら、不器用で傷だらけ失敗も悲しみも多く、自己憐憫型。
自己実現が出来ていない。じだんだを踏んで何かに怒っている。"
このように、手を貸してあげなければならない人格として、中立な立場の私の中に出て来たエレノアが
「これ以上私を我慢させないで。」
と実習の中で訴えて来た時には
「分かったよ。あなたに必ず、自己表現の場を創ってあげるから。」
と私は約束しました。
「悲しいんだ、何が?」
とも聞きました。
ボトル1本ごとに会話は続き、
「自分を愛したいのでしょ?あるがまま表現したいから、アートだとか言ってこだわるのね。もともと自分が好きならば、何をやっていても満足できるのね。仕事も生きる事も全てに自分をいっぱい表現したいのね。知っているわ。あなたってそういう人よね。分かったよ。オーライ。」
そんな彼女の為には5本のボトルが必要だったということでしょう。
選び終わるころには、すっかりエレノアは角が取れ、穏やかで優しい女性になっていました。
そして選んだボトルとのワークがはじまりました。
かくして、答えは意外なところから、分りやすさを伴ってすぐにやってきました。第8回目の講座の翌日、私は何気なくつけたテレビドラマをただ、ぼんやりと見ていました。
高校生の頃に、恋人を大変な闘病生活の後、病で亡くし、壮絶な思いをかかえたままの男性の主人公が大人になり、別の女性を再び愛する気持ちになれるまでの心模様を描いたものでした。
同じ人は2人といない。
ドラマの中の主人公の心情に私は自分の今のテーマを重ね合わせていました。
彼は彼女を忘れられない。
忘れたいとは思えないだろう。
私にとっても大切なその夢は、たった1つのかけがえのないもの。
大切であればある程、忘れられなくて当然だったのだ!
突然、憑き物がとれたように、スムーズに、自分に理解できてしまいました。
過去に私が取り組んでいたものは、私にとり自己表現そのものであったのですが、失くしことによる不安定さに、いよいよ別れを告げる時が、やってきました。
そして、次の希望する現実と出会うまでに、時間がかかってもそれは当たり前。
その事柄や、そこを生きる自分を愛していればいる程、当たり前の事だったのだ。
そう思えました。
私は過去の事にこだわって、何ごともどれだけ自分が取り組むのに値する事か、いつも価値を測りにかけてきました。
昔の情熱と同じものが自分から出てくるかどうか、比較するのが常でした。
その反面、何故いつもいつもこだわり続けるのか、なぜ忘れないで現在に引き合いに出すのかが不思議でした。
嫌悪もしていました。
今までの私が何に困惑していたかというと夢が実現できなかった、という挫折感よりも
「では、同じような充実感を得られる仕事をするとしたら次は、一体何なの?」
という不足感でした。
それを私は探し求めていたのですが、過去の情熱とぴったり同じものには、なかなか出会えずに苦しんでいたのです。
それというのも仕事は各人が与えられた、その人がするにふさわしいものがそれぞれ、皆にちょうど符号する形で与えられているものだ、と昔から信じていたからです。
そしてその仕事に出会えている人は、自分が従事していることを心から喜べ、これが自分の仕事だと深い部分で信頼し調和していてほしいと、願いのような信じ込む気持ちが強かった事もあります。
でも、調和は1つではない。
(これは、大きい気付きでした。)
私は過去の自分も大切に出来る。
又、現在と未来のたくさんの人々、たくさんの事柄とつながっている。
そうだ、調和は1つでは無かった。
忘れられない過去があっても当然。
だから無理に封印しないでもいい。
大事にしてもいい。
そして、忘れられる時がきたら、忘れる事もできる。
それを自分に許すのも普通の成りゆき。
又、次のものに出会うまでに時間もかかっても当然。
(私は、すぐに他のものを私に与えようと努力しました。
でも、しっくりこないので、私にどうしろというの?と立ち尽くしていたのです。)
同じものはなくても当然。
同じ輝きは無い。
人も1人ずつ。だから、大事。
私は自分を癒すよりも先に、同じ輝きを持つ何か別のもので変わりを見つけて、早く自分を頑張らせるためのスタートをきろうと、焦っていたのかも知れません。
誰も促したりはしなかったのに。
孤独と危機感から身を守る為に、ずっと考えこんでいました。
あの時と同じ自分でいられる様に、頑張らせて来たのかも知れません。
失ったものも、自分の1部として丸抱えで生きている自分も愛するに相応しい。
ドラマの中の主人公は医者になりましたが、どんな思いで医者になる事を決意し、そのための勉強を積み、患者さん達を診て時を経て来たのだろう?
その思いは、測り知れませんが、涙を流さずにはいられませんでした。
彼は彼女と共にずっと、生きてきたのだろうと思います。
そして、何年たっても彼が愛しているのは彼女だけだったのでしょう。
それもまた当然の事。
そして私も又無意識にではあっても、過去の自分と共に生きることを選んできたのです。
その生き方が、エレノアを不機嫌にさせる、100%の自己実現をしにくい体質の基となっていたものです。
こうして私を長年苦しませて来たこだわりは、どんなとりくみもものともせず頑固に私の中に巣食っていましたが、小さなボトルが運んで来た数滴の魔法により、あるテレビドラマを通して、呆気無く消え去っていきました。
巧みに仕組まれた私専用の為のオリジナルな信号となって、私の精神の奥深くにはいり、瞬時に、私に理解させ昇華していきました。
それは過去と現在と未来までにも拡張し、私の中心にチューニングを合わせたまま全体へと穏やかに塗り替えていきました。
マウントフジフラワーエッセンスは私が何を必要としているのかをきちんと分かってくれていました。
私にとり、多すぎる事もなく、選び忘れるようなこともなく。
まさにその時々に合わせて、花々のエネルギーは私にメッセージを送り続けてきてくれたのでした。
シロバナタンポポの連れて来たもの、〜まさにその時私に必要だったのは男性エネルギーでした。
深い変容、意識の拡大。
フキノトウのジャストタイミングな手助け。
新しい段階、芽生え。未来への成長。
マルバアオダモの防御の解除。
重い鎧を脱ぐ事が出来て、新生の自分をまだ私は、珍しいものを見るような目で見ています。
エレノアとの約束ですが、自己表現の方法にこだわっていた私も、この2ヶ月の中でエッセンスと共に、又新たな現実の展開の知らせを受けました。
たまたま深く考えず、自他を尊重する自己表現のトレーニングを受け始め、その初回は1週間前でした。
ちょうどエレノアと出会う前日です。
自分も相手も尊重しながら、正直に自分を上手に表現する自己表現ですから、きっと、各種のトレーニングの中で、豊かに表現することや、声の使い方を抑圧しないことが、良しとされるクラスの方向性になるでしょう。
私が躍動し、暴れ者のエレノアに 「こんなのでどう?満足?」
と、威張れる日も近いかもしれないと予感しています。
私はヒプノセラピー、ヒーリング、カウンセリング関係の仕事をさせて頂いています。
もちろん真剣に取り組ませていただき、それは私の探究心をくすぐり、喜びでもありますが、深い部分で、過去に決別出来ていないかもしれない自分を、手なずける事は、時には辛く、私の課題でもありました。
いくら手持ちのコップの水が溢れるくらいにいっぱいで、分け与えられるものに余裕がありそうに、仮りに相手の方には感じていただけたとしても、そのコップを頑張って満たしているセラピストであるよりも、クライアントさんと共に歩かせていただくためには、頑張らずに統合された、軽快なセラピストである事は必要条件のように思えます。
マウントフジフラワーエッセンスの微細で、あるがままのエネルギーを享受しながら更に今後も深く体験し、感じる心を伸ばし、自己成長しながら、みなさんと調和していけるのが、私の希望です。
マウントフジフラワーエッセンスを通してみなさんと更に繋がり、今回は書き切れなかった体験等を又、お話出来る機会がありますことを願っています。
最後になりましたが、パビットラさん、サンバドさん、補講も含め神秘的で魅力的な暖かい講座内容、いろいろな方面からの造詣の深い、知的で覚醒されるようなお話のあれこれ、本当に深く、楽しかったです。
富士の裾野に季節事に咲く、花々72種類の御指導を本当に有難うございました。
心より感謝申し上げます。
今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。
マウントフジフラワーエッセンスへの感謝をこめて