「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」体験談
匿名希望
掲載日: 2011年 11月 17日
私は、フラワーエッセンスについては数冊の本による知識と2種類のフラワーエッセンスを利用しただけという、ほとんど初体験に近い状態でしたが、とにかくもっと知りたいという強い興味に引っぱられるように、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」に申し込みました。
●第1回目
第1回目は、第1身体、第1チャクラがテーマの回でした。
この回に参加する日、その数時間前から腰ににぶい痛みを感じ生理後の症状かなと思っておりましたが、講義の中で、第1身体は下半身に関連するとの事で、この痛みも何か関連するのか、でも、まだマウントフジフラワーエッセンスを飲んでいない前から反応するなんて、人の身体が肉体だけで出来ているのではないとういう事を実際に体験したのかも?私が?と嬉しいような、まだ半信半疑でした。
この回に、自分の為にリーディングしたマウントフジフラワーエッセンスは、オオケダテとワレモコウでした。
翌日から3日間程はとにかく眠たくて仕方ありませんでした。
一度ゴロンと寝転がると、重力が何倍にもなった様な感じで身体を起こすことが本当に大変で、歩く時も足と地面が磁石のように引っぱり合っている様な感覚の時が有りました。
そして、この一週間はトイレに頻繁に行きたくなりました。
そのためか、朝、起きる直前に見る夢に2度程トイレでの夢を見ました。
ひとつは自分の服にそそうをしてしまい、自分自身を責めている一方で、服を先ずは洗って…など冷静に対処を考えているというもの。
もう一つは、女優の宮崎あおいさんとトイレのメイクルームに友人のようにして一緒に居り、なぜか床が大量の血で汚れているのを、私が彼女を気づかい機械を使って綺麗にしてあげるというものでした。
流血は浄化の意味も有るそうなので、後者の夢はその象徴的なものだったかもと思いました。
また、4日目頃、ふとした瞬間に不安の感情がドドッとおしよせて来ました。
前職を辞めて半年になろうかとしていたのですが、就職活動そっちのけでフラワーエッセンスの世界に夢中になっていましたので、これから先のお仕事や収入をどうしようという、とても現実的な事でした。おそらく、とても気にしていたのに目をそむけていたのだろうと思います。
この回にリーディングされたマウントフジフラワーエッセンスの解説を読んだ時にも感じた事ですが、目の前の現実、就活に取り組みなさいとあらためて言われた気がしました。何か神秘的な、あるいは崇高な気付きや出来事を期待しすぎてたなと反省しました。
●第2回目
この回は、第2身体、第2チャクラがテーマでした。
自分でリーディングしたボトルを使い、第2身体、第2チャクラに働きかけました。
行ったヒーリングの中で、一面黄色の花に囲まれた場所に外国人男性が来るヴィジョンがありました。
その男性から「甘やかして、ねこっ可愛がりしたい、愛してる、全てを信頼している」というメッセージを受け取りました。名前はジョシュア。
リーディングしたフラワーエッセンスの名前を確認すると、トネアザミ。黄色い花ではありませんでした。
これは、自分の願望がヴィジョンやメッセージを誘導してしまったかも?でも、ジョシュアという名前はとても意外だったのだけど?と思いました。
(弊社注:トネアザミの紫色は黄色の補色です。エネルギーヒーリングとして色を扱う際、補色を取り入れる事で、ヒーリング作用に調和がもたらされます。)
講座会場からの帰宅途中、トネアザミの解説を読んで嫌だなぁと、強い拒否反応を感じました。特に、戦いやネガティブな人生ループを自ら創っているという所。というのも、そういう自分を自覚していて自分の想いを変えるというテーマで努力して来たつもりだったからです。しかし、トネアザミが来たという事は、まだ戦いを手放せていない事やその原因は自分のせいだと分り、本当にガッカリと落ち込みました。
確かに、引き寄せの法則などの本を読んでからは、自分の想いの力が恐くなり、何かネガティブな想いがよぎるたび、自分を厳しく批判していたなと気付きました。そして、怒られた自分はとても萎縮して緊張していたと思いました。
全く無駄な努力をしていたという自己憐憫で、第2回目から2、3日は時おりメソメソとしていました。まだ自分の全てを受容するという気持ちにまでなれていませんでした。
でも、日が経つにつれ事実を受け入れられるようになって、一番最初にその人がくれたメッセージが自分の深い内側からの願いだったのだなぁと思いました。
今は良い悪い無く、自分の全てを受け入れて愛していきたい、また、さらに自分、他人も無く全てを抱擁する視点を持って愛したいと心から、あこがれるように願っています。
●第3回目
第3身体、第3チャクラがテーマのこの回では、アメリカセンダングサ、オオキンケイギク、ツルマンネングサ、ヤマブキ、キショウブがリーディングされました。
この回では、ある方法で直感を使ったリーディングをしたのですが、これまでの中で一番自信が無いかもと思っている自分に気付き、私ってグルグル考え回すのが好きというかクセというか、直感は自分にも有ると思えるのですが、信頼出来ずにそれが自分にとって正しいのか間違っているのかなど一度頭で考えてからでないと決断出来ず、結局タイミングを逃しているなぁと思いました。
またそういう思いが自責の念であったり、変なタイミングで暴走する理由の分からない焦燥感の積み重ねになってしまっているように感じました。
この回から2日後の朝、お勤めしていた時は起きた時からすでに不安感のようなものを身体の奥に感じていたなぁと思い出しました。一生懸命にポジティブな言葉でアファメーションの様な事をして、ポジティブな感情にだけ光を当ててごまかすようにしていたと思いました。まるでこれから、恐ろしい、とても危険な場所へ出向いて行くみたいに何重もの鎧をつけているようだったと思いました。
また、自宅に居ても居心地が悪く緊張感がとけないでいるなぁとも思いました。
私はどうしてそんなに恐れ、緊張しているんだろう?と自問してみました。そして、自問した事を忘れ別の事をしている時、急に子供の頃、母に言われた「お兄ちゃんに男兄弟をつくってあげたくて産んだのに、生まれて来たのが女のあなただった」という、古い記憶がよみがえって来ました。
しかし、この件は大人になってから母本人に「あの時、傷ついた」と告げたので終った事では?と思ったら、まるで連鎖反応のように記憶がよみがえりました。あの時、母は「そんな事言ったっけ?」と簡単に終わらせ謝ってくれなかったと、すごく不満を感じていたのを思い出しました。
さらに、兄に対して、母のひいきの元、私を助けるどころか用事を言いつけたりする憎らしい嫌な存在と感じている自分を再認識しました。もちろん家族なので感謝も愛情も有るけれど、一方では甘えられない、頼れない、憎らしくて、私を利用し搾取する相手…。そんな感情を持ちつづけている自分に気付きました。
この感情の原因、あるいは象徴的な出来事があの古い子供の頃のエピソードにつまっているのかなと感じました。そして、自分の幸せ感に満ちてくつろいで居るという権利を自分の手元へ戻していこう、と思いました。
この回から4日目、自分の感情や気付きに敏感でいようとしている事がつまらないと感じて自分でもビックリしました。小さな事を拡大鏡でわざわざ問題にしている、私が問題と思っている事など実は大した事ではなさそうに思う…と。
これまではショックに感じる事が有っても、「うわっ、こんなに汚れてたー?」みたいな、お掃除マニア的な、こんなに手放すべき事を発見しちゃった!という楽しみが確かに有ったのに、急に波が引いて行った気分になりました。
そして私は過去か、そうでなければ未来にいつも気が行っているかとらわれていて、「今」を楽しめていないんだなぁと気付きました。風に吹かれて心地良いとか、日常の小さな体感と体験をする自分自身を愛しく想い、今を楽しみやすらいでいたいと思いました。
●第4回目
第4身体、第4チャクラがテーマの回です。
今回は自分のためではなく相手のためにボトルをリーディングするという事で、かなり緊張して手がふるえそうでした。深呼吸をして、自分にこれは真剣で楽しい遊びをしているのだと思う事にしました。すると、だいぶ落ちついて出来たかなぁと思います。
この回の後に思ったのですが、実際のクライエントさんだったらどうだろう?
自分のためではないのはもちろんですが、相手の方のために…とかも想わない、講師の方が言った空っぽさにくつろぐってどんな感覚なんだろう!?自分に出来るかなぁと思いました。
今回、私にリーディングされたのは、シキザクラ、シャクナゲ(ペイルピンク)、モモ、ダンコウバイでした。
解説を読んでのイメージは浮いた恋愛的なのとは違う、高次元な乾いた愛を目指したもののようだと感じました。
しかし、翌日の夢は自分の行く先々で、かなり官能的なむつみ合いのシーンのカップルを見かけるというもの。
またその翌日、大型観光バスに西田敏行や佐藤浩市など、どうやら有名人が乗っているらしいバスに一緒に乗り込み、山をすごいスピードで登って行くというもの。アニメのとなりのトトロに出て来るネコバスのようにビョーンとハネたりして、かなり危険そうなのに私はすごく笑って楽しんでいました。
この夢の意味は良く分かりません。
ただ、ちょうど生理中だったのですが、現実の生活の中では感性が閉じているような、笑えてない無表情、無感動な自分でも苦しい状態が3日程有りました。なので、その反動のように夢があばれていたのかなぁとも思いました。
あと、この一週間に読んだ河合隼雄さんの『心の処方箋』という本に、「道草によってこそ『道』の味がわかる」という項目が有り、その中の2行程の文に人生の大小現実の紆余曲折をじっとながめている高い高い視点からの「目」の存在を感じられる…という部分が、強く印象に残って後から何度も思い出されました。
私も今の現実のただ中にありながら、この高い高い視点の目を持ちたい!垣間見るようでいいから、体験したいと思いました。
●第5回目
第5身体、第5チャクラの回。
この回、ペアになってのリーディングで選ばれたのはマルバハギでした。
関連するチャクラはハートチャクラでした。
帰宅途中の電車の中でマルバハギの解説を読みながら思ったのは、自分に恋々とする過去など思いつかないし、思い出しては後悔するような強く残る出来事など有っただろうか?というものでした。
しかし、就寝前にふとヒ−リング中によぎった想いが有ったなぁと気付きました。
それは、以前レンタルしたバチカン美術と歴史を紹介したDVDを観ていた時の事です。
ローマ時代の迫害を受けていたキリスト教徒の中にはライオンに食べられた者もいるというナレーションを聞きながら、私は左腕を食べられて死んだんだと思っていた、その事をなぜか思い出していました。
ただ、その時は、ペアを組んだ相手の方とのシェアリングでもまさに話していたのですが、意味の無い想いがよぎっただけ、気付きにつながる「何か」とは自分ではつながりませんでした。気付きなのかマインドがそう思いたがっているのか、自分でも良く分からなくて疑ってしまうと、シェアリングでは話していたと思います。
実際の過去世であるかどうかはともかく、その状態にともなう感情と想いは、奇跡を起せなかったという自責の念と自分への失望感のようでした。
頂いたボディリーディングの資料に肩が前かがみになっているのはハートが閉じた状態、傷つけられこれ以上傷つけられたくないという感情が前肩という姿勢に出ると有り、私は前肩なので、今回リンクする下のチャクラがハートなのは納得でした。
そして、私の第5チャクラのある層にあるのは「愛は傷つくばかりで報われない」的な感じでした。しかし、願いは自他の無い愛を無限に流したいのだと同時に分かりました。
これまではこの層にある「愛は傷つくばかりで報われない」通りの現実を引き寄せ、また確信していくという悪循環に陥っていたのだとも分かりました。
マインドや心理を超えた問いかけと応答のホームワークでは、マインドがアレコレと答えを探そうとするのを放っておくくらいで、課題の応答の在り方迄は出来ませんでした。
●第6回目
第6身体、第6チャクラの回。
この回にリーディングされたボトルはオオイヌノフグリ、ネジキ、フジ、ガマズミ。
今現在、就職活動中なのですが、良い結果が出せずにいます。
ただこの様な状況でも、以前の様に自分をひどく責めなくなったのはマウントフジフラワーエッセンスと気付きのおかげだなぁと思いました。そして、マインドに巻き込まれているなぁと、少し離れた所で見ている冷静な自分の存在も感じました。
その私から自分を見ると、私は愛されているなぁと思えました。現実的な事に迫られて、これまでの人生のパターンを超えて行く学びなんだと感じられたからです。
また、一生懸命で可愛らしく、何とも無条件に愛しい存在だなぁと思いました。
さらに、世界は愛に満ちていて、私も、全ての存在も愛されているんだと思いました。そうやって見ていると、私を愛するために使って欲しいなぁと自然に思えました。何の気負いも無く犠牲とかでも無く。全てを大いなる存在にゆだねたいと思いました。
●第7回目
第7身体、第7チャクラの回。
この回に、ペアになってリーディングされたボトルは、ウメ(ホワイト)、センニンソウ、ツリガネニンジン、ボタンヅル、ハリエンジュ、ホトケノザでした。
この回のペア実技で、自分の癒したい過去に働きかけるという事で想いをめぐらすと、また母が子供の私に言った「お兄ちゃんに男兄弟を産んであげたかったのに、生まれて来たのは女のあなただった」というもの。
自分でもまたなのか?と思いましたが、その他が何も想いつかないのでやはりコレなのだろうと思う事にしました。
この記憶とつながっている身体の部位は胸か喉と少し迷いましたが、喉の詰まりの方が気になったので喉にしました。
ヒーリングが始まると詰まりが溶けていくような気がしました。
日々、迫られた現実の中、マインドに巻き込まれまくりの状態と全てを手放し高い目から見た愛すべき自分や世界とこそ同化しようとするものの、行ったり来たりしていました。
そんな中、そんな中、母が朝食の準備をしている私に戸棚の奥からもらい物の絵皿を持って来て話しかけました。「この絵のこっちの子、●●(筆者)だと思った。●●の子供の頃の印象はこれ!」と。
見ると、赤毛のアンのアニメ皿でジブリ系の絵。主人公のアンの友人の顔が私と言うが、私にはそれがやはりアニメのアルプスの少女ハイジにも似ていると思いました。そして子供の頃からの友人に私のイメージはアルプスの少女ハイジだと言われていたなぁと思い出しました。
母はつづけて、「自分のイメージはコレって思うといいよ!」と絵皿を指して言いました。「可愛い絵だね」と返事すると、「壁に飾りたいぐらい」と、しばらく絵皿をほめていました。
もう何年も前から戸棚の奥にしまいこんであったのに、何を今さら?という思いと、前日に愛こそに同化しようという試みが、何か?通じて、この出来事になったのかもと思い少し嬉しく、感動しました。
それでも、なかなか結果を出せない就職活動などで、想いの視点は上下していました。
しかし、確実に変わったのは、自分をひどく責めなくなった事です。離れた高い目で自分を見ると、全てが愛しくなるのです。私の想いの悪循環は恐れと自責の念だと思うので、この少しの変化だけでも、今後の人生がより良い方向へ変わるよと自分に言いきかせています。
●女性性・男性性
女性性・男性性の回。
今回リーディングされた順に、ボトルはキリ、フキノトウ、シロバナタンポポ、メイゲツソウ、マツヨイグサ。
毎回、異なる技法のボトルリーディングを学び、リーディングの中にヒーリングをはじめとする複数のステージが含まれていますが、この回では内なる女性性・男性性を探求するステージがありました。
私の内なる女性性はギリシャ神殿に居り、名をオリザエルといい、「女神アテナ」「祝福」という言葉を言っていました。
内なる男性性はイアリアの詩人。羽根ペンを持ち名をロレンツォといい、「詩は霊感」と言っていました。
オリザエルの待つ神殿にロレンツォが訪ね、長い階段の最上部にオリザエルが待ち、ロレンツォが登って行きました。途中、オリザエルの姿をみとめてロレンツォは一目で恋におちた様子で両手を広げて登って行き、登りきると出迎えたオリザエルを抱きしめ「美しい!」と言いました。
ボトルをリーディングするステージでは、先ずオリザエルの衣がサテンのように輝き、次に神殿内のテーブルに料理やお酒が置かれ、次は白い花かざりの付いたレースをオリザエルが頭からかぶり、次に金の雨が降り、最後に光の輪がオリザエルに与えられました。これは結婚式のようだなぁと思いました。
この回のホームワークでは、継続して内なる女性性・男性性に働きかけるよう言われました。
後日のホームワークの際、後日、スムーズに2人は結婚しました。ずっと前からのカップルのように寄りそうのですが、会話は有りませんでした。
この回の翌日、子供の時母に言われた事を新たに思い出しました。
「私は外から嫁入りしたから血はつながってないけど、あなたはつながってるから!」というもの。父方の親戚に警察にお世話になってしまった方が居て、その方を祖母のつきそいで面会に行って帰って来た時の事。ただ帰宅した母を迎える形で居間に座っていた私に、急に憎しみの感情と共に吐き出された。アレは一体何だったのか?
どーしてあんな事を唐突に私に言ったのか?まるで、家の中で通り魔にでもあったかのような、しかも母親から、本当にショックでした。
何か、今起った事のように感情、想いがわいて来ました。あの時、凍りついて何のリアクションも言葉も出なかったのです。傷つきたくないから、それ以上考えなかったし、忘れたかったのだと思います。
今、記憶がよみがえって、冷静に観照するとただのヤツ当り、うっぷん晴らしだと分かります。こうした類の事はいつも母と私の2人きりの時に全ては起っていて、その頃は夫婦仲も冷えきった状態で家族から背を向けていた父に助けを求める事も出来ず、母のお気に入りの兄にたよる事も出来ず、私は家族の中で孤独で深く傷ついていたのだと、分かりました。
そう感じるのがつらくて感性が鈍くなっていたと思います。いつもマンガや空想の世界に居ました。心の傷など知らない元気な子を、演じていると自覚せずに演じていたようにも思います。若かった母にそんなつもりは無かったろうけど、あれは別の言い方をすると虐待と言うのだろうと思います。
私はようやく、きちんと受けとめられるようになったのだなぁ、だからこうして思い出したのだ、やっと手放せると思いました。
また「キリ」の解説を読んでいて気付きました。
母の女性としての人生に同情し同化するのと、謝罪して欲しい、あるいは見かえしたい、評価されたい…これは全て執着心だ、同情も憎しみも!そのために私は「かわいそうな子供」を卒業出来ずに来たのでは?!と思いました。
もう手放していい、全て。そして、ありのままの私を受け入れてくつろぎたい、一瞬々々を楽しみ味わいたいと思いました。
●最後に
「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」を通して様々な気付きを得て、まだ、行きつ戻りつの感情も有りますが、それでも、やはり自分の内側の変化を感じています。
これからの自分に希望と期待を持てるようになりました。静かな確信と共に。