マウントフジフラワーエッセンス 基礎講座(パート2) 体験談
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〜「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座(パート2)」体験談〜
野山みずき


●「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座(パート2)」受講の動機
フラワーエッセンスとは、主に飲用によって使用されるもの、と知ったのは、ハートサポートシステム主催で行われた、フィンドホーンフラワーエッセンスのプラクショナー養成講座でのことだった。
関西在住の知人がその講座を受けると聞き、どこからそんな勇気(とお金)が出たのか不思議なほど当時の私は頑張って、その方だけを頼りにフラワーエッセンスの世界へのデビューを果たした。

その時から早10年余り。
今では日常的にマウントフジフラワーエッセンスのお世話になっている。

今回の「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座(パート2)」は、2013年の改編後の初講座に続く、2回目の受講、つまり再参加である。

ハートサポートシステムによるフラワーエッセンスの講座をたびたびリピート受講しているが、(今回はなかったが、)時には、なぜ日本フラワーエッセンス協会®認定のスペシャルフラワーエッセンスセラピストになっているのにまた講座を受けているの?と、他の受講生さんからお尋ねをいただくことがある。

過去には、ヘルパーとして参加した期もあったが、今回は受講生としての再参加であるし、講座に向けての自分の期待をまずは記しておこうと思う。

1つ目は、講座での体験がいつも新鮮であるから
勉強が身についていなから、復習したいの?と自分の中の優等生クン?がすかさず突っ込みを入れてくる。
無論、そうじゃないよとばかりに全面否定はできないけれど、大事なのはそこじゃない。
何を自分が体験するかに重きをおいているので、新たな体験に感動している自分がいる限り、この程度の突っ込みは難なくかわしてしまう。

2つ目は、自分の体調の悪さに困り抜き、何とかしたいという気持ちがあるから
勿論、フラワーエッセンスは医療に代わるものではない。
けれど、せめて気持ちだけでも軽くなりたい、なんとか前向きになりたいと、すがるような気持ちで再受講を決めたのだった。

大げさに、受講の動機とは?と書き始めたが、つまるところ、実生活でいつもなにかテーマを持っていて、それを扱う場としての期待が、講座への参加へと向かわせるのだと思う。

ここで少し脇道に逸れることを許していただきたい。

フラワーエッセンスを知る以前から、私は、植物というものの不思議さに興味をもっていた。
なんら抵抗するような気配も見せず、他の生き物の命のためにその命を捧げるのはどうしてなのだろう、植物たちに痛みはないのかしら、怒りや悲しみもないのかしら?
もし仮に、ただ他者に捧げられる存在だとして、それならなぜあんなにも複雑で美しく、しばしば香さえもあるのだろう?
そんなことを密かに考える子供だった。
そして、秘密の花園というお話にでてくるディコンという少年が、花の咲く時期になると、それぞれの花にそろそろ咲く時期だよと話しかける、というくだりが大好きで、何度も読んだものだった。

とはいえ、その類の疑問を誰かに話すということなど思いもよらないまま月日は流れた。
フィンドホーンフラワーエッセンスのプラクティショナー養成講座に申し込んだ際、表層的には、大好きな知人の真似をしたいだけだったけれど、深い部分では子供時代から持ち続けてきた謎の答えに近づきたくて、ハートサポートシステムに電話をしてみたのかも?と、当時のドキドキ感の甦りとともに想像を膨らませてしまう。


●「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座(パート2)」の開講
講座の初回。

初めてお会いする受講生の方もあり、去年の講座で共に学んだお顔もありのスタートだった。

講師のパビットラさんからは、体の不調があるなら椅子を用意しますよと事前にご配慮をいただいていた。
が、最初のうちは、目立ちたくないという思いやら、椅子でも座りでもこの脚の痛みからは解放されることはあるまいと、少々ひねくれた絶望感やらで、せっかくのご厚意を受け取らずにいた。
姿勢をかえ易いかもという理由で端の席にしていただくことのみをお願いし、他の受講生の方々にもお許しをいただいての参加となった。


●瞑想での体験
初回と第2回目ではパビットラさんの誘導瞑想があった。

◎初回
初回では、つるつるした地表にオークの木?で区切られた四角い井戸のようなものが俯瞰して感じられ、そこから鳥毛立女屏風のようなふくよかな女性が現れた。
オオケタデや、ミツバツツジ、シャクナゲ(ピンク)のような色がまじりあい、透明感のある光に包まれ天へと舞い上がっていった。
天と地がつながったと感じられた。

その色合いと姿の美しさに見とれていたが、ふと気が付くと、脚の痛みが全く感じられない。
試しにと胡坐の姿勢をとってみたが、全然痛みがなく楽に座れた。

この、何もない感覚、ピンク系の透明な空間に寛いでいると、そろそろ戻る準備をしましょうというパビットラさんの声が聞こえた。
すると、ほどなく痛みまでもが律儀にしずしずと戻ってくる。

この回に選ばれたボトルはクサボケ、マツヤニ、トネアザミ、エゾノコリンゴ、ヤブカンゾウ、ワレモコウだった。

◎第2回目
第2回目は同じくパビットラさんの誘導瞑想の下、「ハイアーセルフと繋がる」ワークがあった。

私の最近の夢にはやたらとたくさんの人物が出てくる。
夢見の意識状態と瞑想の意識状態は同じではないが、それはさておき、群衆が出てくるビジョンにはすでに慣れっこになっている。

この回の瞑想でも、アラブ風?の人々がわんさと行きかう十字路が現れた。
そこにターバンを巻いている人?(しいて言えば男性?)がいて、どうもその人物というか、存在が私のハイヤーセルフらしい。
名前はカタカナで表されていたが、後日ネット検索しても未だにどの言語の単語かもわからないし、意味も勿論分からないままである。

そのビジョンの中の大通りは行き交う人々であふれかえっており、通りの中央にはベージュ色の四角錐の搭があるようだった。
その壁にボケかウメの花のようなデザインが一面に一輪ずつ大きく盛り上がってレリーフされている。
その壁の内側には人が地上を見下ろせるようなスペースも作られているようだった。
その搭には中国風の屋根がついており、先が龍の尾のごとくしなってピンと跳ね上がっており、4つの先端からは一本ずつ細い棒が突き出ている。(あたかもアンテナのよう)。
屋根全体はいわゆる暗緑色だが、もっと黒く感じられた。

この時のボトルはフジザクラ、ウツギ、アメリカセンダングサ、キブシ、フジ(ツボミ)。

初回では女性イメージ、2回目に男性イメージが現れ、2種類のボトルには浄化や解放、踏ん張る力を助けてくれるボトルが入っている。


●体の痛みからのギフト体験
こう書くと、いかにも順調な滑り出しのようだが、現実的には脚の痛みは一向に軽くなる気配は見せず、夜もあまり寝られないせいか、仕事帰りにバスを乗り間違えたり、転寝して乗り過ごしたりと、自分の脚が働いてくれなければ容易に家路に辿り着けない事態に繰り返し遭遇していた。
腰部の障害から右脚上部に激痛がおこり、2分と続けて歩けない。
昼間の立ち仕事ではなんら落ち度のない若い人々にまで当たってしまいそうで、そんな自分が嫌になる。
仕事をやめるか休むかが現実問題になりつつあった。

そんなある日、路上で思わずうー痛ーいと唸ってしまったことがあり、見知らぬ人から大丈夫ですかとお声をかけていただく始末。
不思議なことに、オーラスプレーをかけると少しまた歩けるようになると気づき、頭では立ち止まって休んだせいかもしれないと思いつつ、オーラスプレーを今までになく頻繁に使っていた。

10月の後半には、ともかくこのままではダメだと思い、かかりつけの整形外科医にお願いして紹介状を書いてもらい、専門病院を受診した。
そこで(有無を言わさず)ブロック注射を初体験。
しかし痛みは続く。

その翌日は、3週前に予約をしてあった、銀座にある整形外科専門医の治療院へ行った。
10月中は予約でいっぱいで、診察が11月となり、結果的に病院のはしご状態になってしまった。

それ以来、1週間に2回、その先生のところに通うことになった。
幸いにも最近は7日に1回ぐらいに減り、やっと少し落ち着いてきている。
先日、庭仕事を少ししましたとお伝えしたら、あなたは治療中の患者なのだから、そんなことはしてはいけない、家族にやってもらいなさいと叱られてしまった。

このようなプロセスの中、講座仲間のみなさんには大変にお世話になった。
大丈夫ですかと言ってくださったり、重症ですね、お大事にと言ってくださったり。
けれど、特別に椅子を用意してくださるというパビットラさんのご厚意も当初はなかなか受け取れずにいた私の心は、痛さゆえとはいえ、皆さんの労りの言葉にも容易に素直になれずにいた。
はた目にも明らかなひどい歩き方なのに、そのことに一切触れないでほしいという、とげとげオーラを振りまいていたと思う。
今思い出しても、恥ずかしく、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

かつては、講座の帰りに他の受講生さんたちとあれこれお話しながら帰るというのも楽しみの一つだった。
だが、今回、帰りはタクシーに頼らざるを得なかったし、タクシーが通る場所までたどり着くのにどのくらい時間がかかるかもわからない状態だった。
講座後半は比較的よくなってきたのだが、それでも講座会場の玄関先で皆さんにさようならを言うしかなかった。

しかし、講座の終わりごろに、私の休み休みの歩きに付き合って駅までゆっくり帰ってくださる方があり、ずいぶんと慰められる思いがした。
その方を含め、受講生のみなさんお一人お一人にこの場を借りてお詫びと感謝の気持ちをお伝えしたいと思う。


●ハートのスペース
不思議なことに、信頼できる医師に出会った頃に、エネルギー的にも変化があったようだ。
フラワーエッセンスの個人セッションをする機会をいただいたり、ミックスボトルにインナーチャイルドワークを思わせる内容が入ってくるようになったりした。

パビットラさんにお願いして、講座では椅子に座らせていただき、第3回目から始まったペアワークでは、ペアになった方にもベッドと椅子でのワーク形式に一緒に参加していただいた。
先の2回の瞑想体験で、深く入ると痛みに悩まされないとわかっていたので、ペアワークへの不安は起きなかった。

少々違和感があったとすれば、あえてクライエントのテーマを聞かずに「ハートのインチュイティブインテリジェンス」によって相手の方のためのボトルを選ぶ、というワークを提示された時だった。

ペアの方にお願いし、先にクライエント役をさせていただいた。
この時は痛みが強く、不安定だったため、まずは自分自身を整えたい、と考えたからである。
幸い、ペアになった方も、先にセラピストロールをなさりたいと考えていらしたそうで、お互いに気持ちよく役割を決めることができた。

面白かったのは、「私が先でいいですか」と同時に言ってしまい、声が被った時、一瞬、どうしよう?と思ったけれど、「あの…先にといいますと?」とすぐにお尋ねすることができ、それぞれのいう「先に」の内容が反対の意味だったことが判明したことだ。

相手の話を少しでも聞いてしまうと、「ハートのインチュイティブインテリジェンス」で相手のためのボトルを選ぶことは難しくなるように思うのだが、どうだろうか。
話を聞くことで、自分と相手との間に境界線が自然に生まれてくる。
この人はこの事態について、こう見ているらしい、そして、もし私だったらどう感じるか、どうみるか、そして話を聞いている自分はどのように相手に反応しているか、それにより相手もどう変わっていくか、お互いのエネルギーボディ(サトルボディ)の循環はどうであるか・・・。

一部でゆるく溶け合い、一部で明確に分かれ、またそれら全体を観察するのも自分・・・。
自ずと自分はクライエントから少し後ろに下がりそこから歩みを開始する。
これが、フラワーエッセンスのセッションであれ、花のサポートのないカウンセリングの場面であれ、自分が他者に関わるときの最初のスタイルになっている。

第3回目のワークは、ハートのスペースに相手を招待する、あるいは相手に委ねる、すなわちハートのスペースを共にオープンにすることで成立するエネルギーワーク体験であったと思う。
そう思うと、出会いの最初に、合わせ鏡のごとく実は表裏の意見をもちながら、同時に同じ言葉を発したことが更一層興味深く感じられてくる。


●第4回目から最終回まで
10月中に、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座(パート2)」は第4回目まで進んでいた。
第3回目の講座の翌日の金曜日、仕事帰りのバスの中で眠ってしまい、210円で帰れるはずの道のりに630円を投じて(すなわち2回乗り換えて)やっとの思いで帰宅するという出来事があった。
周りはどんどん暗くなり、心細さと情けなさと痛みでこのままではいけないとはっきり悟った。
その後のプロセスは既に書いた通りである。

第4回目の講座では、信じ込みに関する講義とワークを体験した。
私は、フラワーエッセンスのセッションに限らず、他のアプローチによるセッションでも、深いところに入ると咳が出ることが多い。
喉は、信じ込みに関わる場所であり、この時のボトルとして、ニラ、ガマズミ、ナギナタコウジュ、フジ、マルバハギ、ネジキが選ばれた。

また、この頃に子供が2人、狭い縦上の暗い空間を登ってきて、ガラス状の四角い透明のふたを開けて屋上に出ると、そこは温室のように暖かい、という夢をみた。

11月最初の水曜日に銀座の治療院に行き、その前日に、ほぼ同時に受講中の「バッチフラワーエッセンス基礎講座(パート2)」の第2回目、翌日の木曜日に「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座(パート2)」の第5回目があった。

その週の土曜日はかねてからの約束であった、日本フラワーエッセンス協会®認定のマウントフジフラワーエッセンスセラピスト仲間との交換セッションに出かけた。
選んでもらったボトルの説明ではインナーチャイルドの癒しがテーマであるとの話。
折しも昼間コースの「バッチフラワーエッセンス基礎講座(パート2)」において、パビットラさんから、インナーチャイルドを抱きしめるワークをとアドバイスいただいたところだった。

11月13日は第6回目、最後の講座の日だった。
ペアになった方から「インナーチャイルドの癒し」という言葉が発せられてくる。
相手の方には相手の方のプロセス、自分には自分のプロセスがあるとわかっているが、このシンクロはやはり嬉しかった。

ハートサポートシステムのセッションルームでクライエントさんにフラワーエッセンスの個人セッションをさせていただく時は、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」で学んだ方法、在り方でセッションをする。
それがすでに自分の体の中にとてもなじんだものになっている。

「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座(パート2)」のペアワークでも、フラワーエッセンスのボトルの見立てをする際、テーマをお聞きした上で総合的な見立てを行いたいという欲求が湧いてくるのを感じていた。
しかし、その気持ちは脇に置き、この講座の段階で習得したシェアリングを行った。

自然にそうできたのは、「フラワーエッセンス基礎講座(パート1)」を体験したからだと思う。
例えば、パンフレットの写真や説明文を見たり読んだりして、じっくりと味わうのは日常の動作に近く、フラワーエッセンスを始めたばかりの方には特にいいのではないかと思う。
セラピストに選んでもらったボトルの説明を聞き、その後両者のシェアリングで進んでいく方法の場合、一部のクライエントさんは時として自分のテーマから離れてしまい、セラピストに関心を向けてしまう場合があるように思う。

あるヒーラーさんの言葉を借りるなら、クライエントさんは自分を調べに来たのにセラピストを調べ始めてしまう、ということである。
え〜どうしてわかるんですか、話してないけどホントはそうなんです、すごいですね、フラワーエッセンスってそんなことまでわかるんですか・・・という具合に。
セッションの場で起きることはすべてOK,という考えから、それだっていいじゃないか、と言いたい気持ちもある。
一方で、セラピストに離れ業?を見せられたことでクライエントの興味が自分自身から離れてしまったら、そのセッションってそもそもどうなの?と突っ込みを入れたくなる自分もいる。
またいつか、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」に再参加できたなら、そんなことを講師の方にお聞きしてみたいと思う。


●「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座(パート2)」の再受講を終えて
受講動機のところで、実生活でいつもなにかテーマを持っていて、それを扱う場としての期待が、講座への参加へと向かわせるのだと書いた。

講座を受講するためには、時間とお金を確保しなければならない。
それを支えるのは明確な動機である。
改めて振り返ってみると、第3回目・第4回目の辺りに転換期があったように思う。

今もまだ治療は継続しているし、必要に応じて痛み止めも飲んでいる。
だが状態は格段によくなり、周りと同じ速さで歩けるようになった。
本当によかったと思う。

何かに投資をしたら、その効果を図るのはごく自然なことだと思うし、必要なことだとも思う。
だが、フラワーエッセンスに関する学びではその方式はそれほど機能しないように思う。
体調が改善した、と喜んだそばから何を言っているのかと思われるかもしれないけれど。

私の場合、フラワーエッセンスを選ぶとき、頭は全く登場しない。
今回の「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座(パート2)」でハートのスペースに在ること、を繰り返し体験した。
この体験を深め、親しんでいくことが大切なのだと思う。

具体的な事象はその都度違うけれど、何もない感覚に寛ぐ、という体験が講座中に起きる事がある。
講座の初回の瞑想では、痛みがない、だけでなく、本当にそこには何もなかった。
けれど、その時間は本当に短くて、今の私にはなろうと思ってなれる感覚でもない。

これからも、フラワーエッセンスの講座を受講する機会に恵まれることを期待して、この文を終わりたい。

講師のパビットラさん、サンバドさん、そして一緒に学んだ受講生のみなさん、ありがとうございました。