〜「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎通信講座」を通して感じたこと〜
Key
掲載日: 2009年12月 23日
フラワーエッセンスを学んでみたいと思い、この「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎通信講座」を学び始めて、再受講の期間まで含めると5年近くの月日が流れました。今振り返ってみると、こうして「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎通信講座」を終了できたことも自分自身がフラワーエッセンスと共に大きく成長できた一つの証明のようにも感じています。
一度目に受講しようと思った時、自分の中では純粋に学ぼう、学びたいと思っているからこそ受講しようと決心したように思っていました。しかし、今考えてみるとそうではなく、ただ救われたいという気持ちが裏に隠れていることに気づいていなかったように感じます。その当時の私は、とにかく不安で、なにが不安なのか分からないことが、さらにその気持ちに拍車をかけ、何もかもが満たされていないように感じていました。時にはイライラとしたり、泣いてみたり、無理に笑ったり、自分の居場所を探して、それが見つからず、また不安になって必死になってみたり、世界と自分がかけ離れたもののように感じて、とても恵まれているのに満たされていないと思っていました。
そんなことがきっかけで、フラワーエッセンスを知り、そのすばらしさ、不思議さに触れ、もっと知りたくて学びたくなったのです。
この時点では、私の中の問題はまだ全く解決しておらず、そして知らず知らずのうちに学びの中に救いのようなものを求めていた私は、今考えれば当然のようなのですが、やはり途中で挫折してしまったのです。
このころ、学びながらフラワーエッセンスを飲用していた時、その当時の私の心も慰められ、そして今考えて見るとそれが一つの答だったんだと思う夢を見る体験をしました。
数年前の私は、そのとても印象深く、そしてとても感動したのか、夢を見た直後、しばらく涙がとまらず、真夜中に一人だったせいもありましたが、声を出して泣いてしまったのを覚えています。
内容もとても鮮明に覚えていて、簡単に説明をすると、“死の直前に自分が一番大切なものが何かを探しに行く”という話だったのですが、今の私には、今急に思い出したこの夢は、驚くくらいにその当時の私の不安の核心をついているのですが、過去の私にとっては、ある決定的なものが1つ、その答に欠けていたのが、何気ないことだったのにとても気になって仕方ありませんでした。ちょうどその頃から自分の周りが騒がしくなり、(自分の心の中がざわついたのかもしれません。)それと共に、フラワーエッセンスを学ぶことがつらくなり、受講を途中で中断してしまったのです。
今考えると、フラワーエッセンスはとても明確な形で、私の不安の答を示していてくれたのです。私自身も分かっていつつ、その答を見るのが怖くて、逃げていただけだったのです。そして、ある意味、答を隠し続けたことで、結果的には周囲に迷惑をかける形で、その答に正面から向き合うことになってしまったのです。
再受講しようと思ったのは、それからしばらく経ってからでした。自分が表面上傷つくのがイヤで、手離したくなくて、逃げて突き進んだことでもっと傷つく結果を生んでしまいましたが、心も軽くなったことで、確実に前に進める力を得た気もしていたのです。
そんな時に思い出したのが、先ほどの夢だったのです。
フラワーエッセンスが与えてくれた、一つの啓示。再受講することに最後までやり遂げることに迷いはありませんでした。
こんなことがあっての再受講。
ちなみにはじめの1本はチェストナットバット。身の引き締まる思いがしました。
その後は一単元ずつが楽しく、そして穏やかで…。大きな変化が一つ一つにはなくても、今この「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎通信講座」を終了するにあたって振り返ってみて、自分自身が変化していることに気づきます。言葉に表現することは難しいですが、今ここにあることを楽しめている、日々の中から輝いているものを見つけられるようになっている、素直に自分を受けとめられている、そんな気がします。
終了まで長い時間がかかってしまいましたが、だからこそ自分の変化を知ることができたのかもしれません。そして、フラワーエッセンスと出会ってなかったら、どんな風に変わっていたのだろう、そんなことを思うと不思議でなりません。
とてもすてきな出会いをありがとうございました。
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