〜「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」を終えて〜
R.S
掲載日: 2010年 8月 24日
今回の「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」で、自分の考えや行動の要になっているような、根本的な問題を見直す機会をえることができました。
それも、いくつもの小さな気づきの連続で、最終的に大きな癒しを得ることができました。
私は現在無職なので、これをいいことに、全てに“許可”をして自分が自分に課している制限、罪悪感や羞恥心を意識して手放すように試してみました。
すると自分の中に(部位としては「ハラセンター」だと思います)、自分大好き!と高揚が湧きあがってきました。どう発散すればいいのか分からないくらい、大量のエネルギーだったと思われます。
心身ともに明らかに元気になりました。
しかし何日かして、そのエネルギーは怒りに変わりました。
腹で大きな蛇がのたうち回るような、激しいものです。
自分の弱さが許せないし、認められない。
弱いというのは屈辱でした。これは中高生の時に特に強く感じていました。なぜ今これが出てきたのか全く分かりませんでしたが、ひたすら窮屈な感じと、エネルギーを解放したいという強い欲求がありました。
同時にこの時期、生きているということは素晴らしいけれど、死ぬこともとても魅力的だと感じていました。死にたいわけではないけれど、エネルギーを解放するって命を手放すことなのかも・・とその時は思ったからです。
今回の「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」で、私のミックスボトルにリーディングされるボトルの種類として、セントーリーが選ばれる率が高かったのですが、セントーリーが出ていないときはホリーでした。
この2つのボトルが、今回とても重要でした。
私は自分の価値を自分に置いていない、と初めて気付きました。
幼少の物心つく前、私は母親から自分を守る必要があり、その時私が唯一できたのが、セントーリーのマイナス状態になることだったのです。
このことに気づくにあたり、きっかけがありました。
食事中、母親に対して激しく怒りを覚え(母は料理に自分の価値を置いてるようで・・)、部屋に戻っても収まらず、怒りをぶつけに行こうと思ったのですが、このやり方では、傷つけるだけで気持は伝わらない、ということはわかっていました。
どうすればいいのか分からず、ベッドに顔を伏せていたら、金属を思いっきり蹴るイメージが出てきて、そのまま思いっきり蹴り続けました。
すぐに足はポッキリ折れ、あっけなさから気の抜けた笑いが出て、「何かもう全部壊れちゃえばいいや」と思いイメージの中で自分を壊しつくした後、「なんで私が壊れんのよ!?ママに攻撃すればいいじゃん!」と怒り再燃して母をイメージしたのですが、何もできなかったのです。
「あれ?ああ私母を傷つけたくない・・」とそこで初めて知り、“ママが傷つくと私も傷つく”と頭に出てきました。
怒りの底にこんな感情があったとは、子供とはこんなにも親に愛情を注いでいるものなのか、と幼少の自分に感心しました。
あの弱さへの怒りは、セントーリーのマイナス状態でいる必要はなくなったのに抜けられないでいる自分に対してと、その状態から自分を解放したいのだと思いました。
その後夢を見ました。
駅ビルの階段で偶然母に会いました。母はたくさんの紙袋と料理を階段に置いていました。「ママ!?」と声をかけると立ち上がって、母は「友達と今までいたんだけど〜・・」と一方的に話しだしました。
でも私は、母が一人でいたことを知っていました。
これは、見るべくして見た夢だな・・と何とも言えない目覚めでした。
なぜ母にばかり幼少の頃の怒りは向くのか、よくよく考えれば父親不在という状況が見えてきました。
私が父に助けられることもなければ、母も同じく助けを得られなかったのだろうと思い、だとしても納得いかない思いはありますが、母を今までのように責める気はなくなりました。
そして最後に、ものすごいギフトがやってきました。
いつも紅茶なんて買わない母が、「おいしい紅茶買ったから飲んで!」と紅茶を入れてくれました。
茶葉をみると青い花が入っていました。それがとてもかわいくて、「やっぱりお花っていいなあ」と思いながら缶を見てみると、原料の一つにヤグルマギクとありました。
「あれヤグルマギクって何だっけ?」と思ったところ、パッと“セントーリー” という言葉が出てきて、ただその時起こったことに頭がついていかないまま部屋
に戻り、途端に号泣でした。(注:ヤグルマギク=セントーリという意味ではあ りません)
母から私に“セントーリー”という言葉とは、どういうことなのか?母は私を解放したのだと感じました。もうセントーリーのマイナス状態をしなくていいって。
母も私のセントーリーのマイナス状態は必要なくて、私もセントーリーのマイナス状態でいる必要がない。すごく素敵な癒しでした。
私の弱さの、触れられたくない問題の象徴だったセントーリーには憎い感じさえ持っていたのですが、セントーリーは私たちにこんなにも優しかったのです。
このパターンが癒され、様々なジレンマが解消されて行きました。
講師の方には何回かお話をさせていただきましたが、霊に関してです。
もうすぐ5年になりますが、ある友人に出会ってから幼少の頃あった霊感が戻りました。それから私は、霊を行くべきところへ導く作業をすることになりました。といっても私単体でできることは、お経あげと思いを聴くことくらいです。
私には、この作業を放棄したら私は世界から必要ないモノになるという恐怖がありました。
この思いが中心になっていたように思います。霊と関わり彼らの送ってきた人生を見ていくうちに、彼らには共通したものがあり、それは悲しみでした。
それを感じていくうちに、純粋に助けたい、と強く思うようになり、私にもっと力があってもっと色々できたらもっと多く助けられるのに、できないことが多すぎる。友人と同じだけの力があると言われたのに、私はあまりにもできることが少ない。頑張って先に入っていこうとすると怖い。私は無力でいる意味がないと思えてきました。
そして守護霊といつも一緒にいると思っていたのに、一番に一緒だったのは自分自身だと気づくことになり、ショックを受けました。その時々、状況によって中心となって動く守護霊は違う、といわれていたのですが、そんなこともすっかり忘れていました。状況に応じて適任者を“私が選んで”守ってもらうという事なのです。孤独感から、みんな傍にいると思いたかったのだと思います。ただこんな無力な私といたなんて本当の孤独だ、とゾっとしました。
本当にショックを受けたのですが、「あれ、私最近、自分大好きって思ってなかったっけ?」と思いだし、180度変わり、「あの私と一緒?それってサイコーじゃん!」と一件落着しました。
あの苦しかった日々がこれで済んだのです。
霊の持っている悲しみは自分の中の悲しみでもあって、彼らを供養しながら、一番供養したかったのは自分自身だったのでは?と思います。
そして初心に帰り、初めに教わったことを色々思い出しました。怖い時は立ち去ること。彼らに対してできることは特にないこと。こちらの姿勢次第で彼らは自ら悟ること。だからよい行いをして徳を積んでいくこと。あとは自分の身の守り方だけでした。それだけでした。
セラピストと似ている・・、と思いました。
誰も今以上を求めたりしていなかった。いま、十分なんだ、と落ち着けました。
もう一つ大きな気づきは愛情です。
思えば、激しい感情を場面から受け止めてくれるのは、いつも男性でした。今の彼氏も、同年代で私の激しい部分を正面から受けとめられるのは、彼だけだと思います。
最近彼に関して気になることがあったのですが、“彼は私が楽しいと、嬉しそう”でした。うれしいようなよくわからない感じがしていました。それは愛情のようでした。父親のような、温かく見守るような広い感じです。
「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」最終回の遠隔リーディング&ヒーリング実技の時、クライエントモデルになってくれた彼をハートのスペースに招きいれたら、彼が嬉しそうに笑っている顔が浮かんで、涙がとまりませんでした。私は愛されていること、相手を愛していることを初めて受け入れたように思います。
フラワーエッセンスを摂取しだして何年かたちますが、ハートには全く興味がありませんでした。今私は、「昔も今も私は幸せだったんだ、いま愛されている、幸せだ」と実感しています。
起こった全ての気づき、癒しがあったうえで、ハートの問題が癒されたのだと思います。
そしてグラウンディングについて。
グラウンディングしてない人は、無意識にグラウンディングを求めるのだな、と「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」を受講していて思いました。
死にたい訳じゃないけど生きていても別に・・という感じを、最近までもっていましたが、違う、本当は生きたいんだと気づきました。
生を感じたい。しかし生きている実感がない、分からない。実際そうでした。そしてこれはグラウンディングされていない状態なのだろうと、今は分かるようになりました。
幼少の件ではサンバドさん、霊の件ではパビットラさんと、おふたりの講師にお話を聴いていただいたのですが、全く関係ないと思っていたものが“自分に価値を置いていない”というテーマでつながっていました。
2つとも私の中でとても大きい問題だったこと、癒しもほぼ同時進行だったこと、お2人の講師が男性と女性という事も大きく繋がっているように思いました。
癒しの過程は苦しかったですが、今とても身軽な感じがします。
自分に素直に、今はこれを楽しんで、取り戻して行こうと思います。
☆弊社注:弊社のワークでは、セラピー、ヒーリングという立場から、生きている人を扱います。死者、霊障は、扱っておりません。