マウントフジフラワーエッセンス 基礎講座 体験談
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〜マウントフジフラワーエッセンス基礎講座体験談〜
かねこくるみ
掲載日: 2005年 5月16日

「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」第1回目、回ごとのテーマに沿って全員で使う「本日のエッセンス」を飲んだ時から、マウントフジフラワーエッセンスの世界へといざなわれたように感じました。それはこんな感じの素敵な予感として始まりました。身体が温まり、静けさが訪れ、やがて圧倒的な感謝の気持ちに包まれて、瞑想の中へと引き込まれて行ったのです。
 第8回までの講座が終わってこれを書いている現在、あの頃の自分の状態が、明らかに今とは異なるように感じられます。
 1回目の実習では、呼吸が深くなり、手がしびれ、涙が沢山あふれて、感覚を開いて取り戻すことの痛みと喜びを味わっていたように思います。感謝・静けさ・瞑想の感覚にすっかり陶酔していました。
またその後、この回のテーマのひとつでもある「サバイバルの根深い恐怖」について焦点が当たるような出来事を経験しました。その日の帰り道、駅の通路を歩きながら、まるで映画を見ているように道行く人々を眺めていました。この中には泥棒や怖いひともいるかも知れないけれど、わたしはわたしだから、たとえそういう人々がいても大丈夫なんだと、何故か思いました。ホームを千鳥足で歩いているおじさんを見かけましたが、一瞬よぎった「落っこちたらどうしよう?」という不安も、すぐに「おじさんは自分で何とかやっていくだろう」という信頼感に変わって行き、『自分が護られていて、他人も大丈夫なのだ』という、いつもは得られない安心を体感しました。
1回目のエッセンス選びも印象的でした。あるエッセンスに触れた時、「雑草のくせになによ!」と言っている自分にあわてました。何でそういう感覚がやって来たのかは分かりませんが、庶民的なものを低く見ている自分に思い当たり、きまり悪く思っていると、そのエッセンスの持つ、大地の力強さ、泥くささ、安心感、底力の暖かさ等が段々と沁みこんで来て偉大に感じられて来ました。「頭で考えるからそう思うんだよ」と言われているみたいで、「頭でなく生きること」を教えてくれようとしているのかなと思いました。後でそのエッセンスは『クサボケ』であることが分かりました。「昔のお百姓さんが、報われない苦しい労働に耐えられたのも、畦道のクサボケの支えがあったからではないか?」と講師の方が想像された様に、生を肯定し、日々の喜びや労働意欲をかきたててくれるエッセンスなのだそうです。頭でっかちで、日々の当たり前の出来事を喜び、祝うことが欠けていた自分の本質的問題が顕わにされた様に感じました。

第2回目では『ヤマツツジ(コーラル)』が選ばれました。女性的なそのボトルは、ただ笑っていて、そこにいるだけで癒してくれる。何かをするのではなく、ただそこに、子宮のように、深淵のように、パックリと開いた黒く深い闇のように、そこに在って、わたしの呼吸をラクにしてくれるのでした。水のように溶け合う感覚を体験しました。

第3回目のテーマ、アストラル体は思考・思いと関係が深いとのことですが、この日感じたパートナーの方のオーラが、頭の方がフワフワ羊みたいな感触がしました。思考ってこんなにフワフワ・モヤモヤしているものなのでしょうか? みぞおちが硬く、弱点だと感じている私でしたが、『ノハラクサフジ』のエネルギーを受け取ると、頭の中がシュワシュワして、プチプチと思考が溶けていき、女性的になっていく感じがしました。
もう一本、瞑想的で男性的、呼吸がラクになる『キショウブ』と合わせると、更にいい感じがしました。
二つをミックスして飲むと、神経が休まり、笑いが出てきて、ふにゃふにゃと自分が壊れて行くようでした。普段いかに緊張しているかよくわかりました。最初から「あるべき」姿だけがあって、「ある」姿が顧みられていない。違うものになろうとしている自分を感じました。権威を恐れて自己抑制に努めて来た結果なのでしょう。

第4回目はハートです。一本一本のエッセンスのエネルギーを取り入れていく時に、しばしば痛みを感じたり辛さがやって来て、ハートが傷んでいるのだと思いました。
パートナーを組み、セラピスト役の方に選んでいただいたエッセンスは『モモ』。傷んでいるハートに焦点が当たるので、この一週間はきつくなるのかな?と心配しましたが、どんどんハートが広がって行き、今までに増してラクな一週間となりました。ハートの広がりが、まさに広大な、地面と空の間に広がる空間、という感じで、時も永遠になったような、心配事が無くなって、現状に満足するような感覚がやって来て、何かを考える気分ではなくなりました。今までつけて来た、レポートを書く為の日記も、なんだか書く気が薄れてきてしまいました。

第5回目はノド。エクササイズでは、刻々と変化していく自分の状態を、逐次、表して行きました。セラピスト役の方が、それをそっくり言い返して下さり、いま何が起こっているのか、はっきり認識することができました。やって来た感覚は、身体が無くなり、上へと連れて行かれる感じ。しかしそこには抵抗している自分がいて、let-goできない。悟らなくていいからどうか連れて行かないで〜と叫んでいるのです。自分が傷に執着して、高いエネルギーに波長を合わせないようにして、引き止めていると思いました。なーんだ。本当は自分が行きたくないんだなー。上に引っ張られるようなエネルギーを感じましたが、ハートを思い出すとグラウンディングして大丈夫な感覚を得ました。ノドがくすぐったくて、そこに小さな人たち?がいっぱい、楽しく遊んでいるように感じました。
宿題に、自分が「どんな信じ込みをしているのか」分析ではなく、別の在り方から感じてみるというものが出ました。どんな信じ込みかな? 虚無感が怖いとか、自分は鬱だとか・・・。ちょうどこの頃、一人暮らしを始め、夜中に物音がして怯えてしまいました。あーいつも私は恐怖につつまれて生きているんだなーと改めて感じ、友達にそのことを話しました。「どうしたらいいのでしょう?」という質問に彼女達は、「信じ込み」についてのとても深い洞察を与えてくれました。「世界の大半は危険な場所で、安全な場所が点在している」という考えと、「世界の大半は安全な場所で、危険な場所が点在している」という考えがあり、その考えに基づいて生きている人達がそれぞれいる。というような内容でした。そして、自分の経験から、世の中は圧倒的に「善」だと感じたことがある、という意見もありました。何故かその時、自分は人に言われたことを信じて生きて来ただけかもしれないと実感しました。大人に「世界は危険なところだ」と教えられ、それを覆すことなく「信じて」いたのかも・・・。不思議なことにそれ以来、「世界は安全な場所で、みんながわたしを助けてくれる」という感覚が、どこからともなく湧いてきて、すっかり生きているのがラクになりました。

第6回目は眉間。『善きもの』がキーワードの『アイリス』が選ばれ、第5回の後に出てきた状態をサポートするように、低い方へと引っ張られるエネルギーを『善きもの』へと押し上げる助けをもらったみたいです。絵を描き入れる実習では、まるいクリスタルが思い浮かびました。

第7回目。過去に起きた出来事を癒す実習。父と過ごした最後の日々について癒すことにしました。癌の為、10ヶ月の入院生活。週末ごとに行って、身体を拭いたり、花を飾ったり。病状が重くなるまでは、毎日日記をつけ、スケッチブックに写生をする父でした。私は口で何かを伝えるのが苦手なので、父ともハートから話すことができませんでした。頭で考えてばかりで、死に対しても本で得た知識ばかりで対応しようとしていたみたいです。もっと何か大事なことを分かち合えたかもしれない、何かもっとできたかも知れない、と思うと、いつも悲しみがやって来て、申し訳なさ・自分に対するなさけなさでいっぱいになるのです。
実習でその頃に戻って行くと、父と生き生きとコミュニケートしている自分がいました。父も「充分やってくれた。よくがんばった。ありがとう。わたしは大丈夫だ」と言ってくれました。
その後ハイアーセルフに会いに行くと、男の人が出てきて、大きな、先の尖ったクリスタルのようなものをわたしの頭上にかざしました。するとそれはバーナーかホースのようになり、そこからは光なのか炎なのか、わたしの頭めがけて放射されました。頭頂から光や炎が入って来ます。

第8回目。興味深い男性性・女性性について。クライアント役の方の男性性・女性性を見ていく実習です。いつもと違う次元でコミュニケーションが起こるように思いました。その方の深みに触れる、魂に触れるような、すごい経験なのだと感動です。
自分の女性性はとても元気そうで、大丈夫なんだと安心して、これからももっと楽しく冒険が続けられそうに思いました。男性性はちょっと世の中に背を向けているようでしたが、あまりジャッジせずに、自分のことも受容的にみつめてあげられるといいです。

とにかく、この2ヶ月近くで、逞しく、実存的になっている自分を感じています。この感覚はなんだか当たり前みたいにあるのですが、基礎講座が始まった頃のわたしは、本来の自分に背を向け、思考と恐怖にもっともっと身を委ねていたように感じます。とても元気で希望が湧いている。それはありそうでなかったことで、とても楽しい感覚なのです。
あと1回で基礎講座が終わるなんて嘘のようです。あっという間の出来事でした。と言うよりも、なんだか時間を感じない、時間を超越した凝縮した時を過ごしたような気もします。お花の意味を覚えるという講座ではなく、ひたすら体験し、それによって自分が変わっていくセラピーグループを受けたのだと思いました。
地に足をつけながら、普段、色々なことをしても起こらない、着実なこころの変化が起きていったように感じました。