〜マウントフジフラワーエッセンス基礎講座体験談〜
一恵
掲載日: 2007年 7月 6日
「真実はひとつ。この手を通して生きて人とかかわり続けること。全ては愛。悪や闇でさえも愛。人生、命は限りがあるから、美しい。呼吸して、ここにいて、こうしていることそのものが素晴らしい。とにかく、生きること。恐れずひとと関わること。愛を表現すること。いつも光と共にあること。」
これは、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、最後の回の実技の中で自分自身から受け取ったメッセージです。
マウントフジフラワーエッセンスは、「私が肉体を持ち、人間として、生きている」、そのことをあらゆるレベルで教えてくれる存在となりました。
この「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」中のプロセスは、ある意味、一見、私にとっては過酷でした。
単純に日々の生活、仕事を行いながら、毎週、時間をかけて勉強するということそのものがチャレンジなのだ、と思いながらも、不快なようでいて何か意味のあるような、そして、知っているような感じをうけとることがありました。
それが明確になったのは、第2回目の第2チャクラのプロセスでした。ごく最近親知らずを抜く体験がありましたが、麻酔が切れた歯の痛みにも似た感覚。痛いのはどこかで知っていたけれど、こんなに痛いんだ・・・と見たくない痛みに触れた感じ。
それは まず、意識の中では、自分の内面の二面性に関わっている気がしました。 例えば、仕事については「もっと給料をあげてくれ。」と傲慢に思う気持ちの反面、「本当に大切にして頂けて、こんなに良い環境の中で働けて、本当に有難い。」と全く違った思いがあったり、両親に対しても「こんなに子供に負担をかけて、最低の親だ。」と思えば、「目の前にあることを精一杯生きている、素晴らしい存在。」と思ってみたり。パートナーに対しても、憎々しく思ったかと思えば、心から愛おしく思えたり・・・。
私の中に存在する、相反するふたつの感覚、天使と悪魔の存在に驚かされる日々でした。
そんな中で その感覚を増長するように時間は忙しく流れていきました。
過去に、自分を後回しにしてしまい、気づいた時には心身共に病んでしまった経験から、とにかく、無理しないこと、自分を大切にすることに丁寧でいることを意識的にこころがけ、忙しさを毛嫌いするようになっていました。
その最も嫌っていた、忙しさに翻弄される嫌な感覚を狙ったかのように 後から後から友人からの相談がありました。
「離婚の危機。どうしても相談にのって欲しいので時間をつくって!!」、「結婚するかどうか迷っています。どうしたら、いいでしょうか?いつでもいいから電話を下さい。」「脅迫、嫌がらせの手紙が届いた。なぜ?」など。
セラピストとしての仕事も行っている中で、仕事としてと区別を持ってもらうことは、友人にとって確かに難しいことです。
そこには、私の中の大きなテーマも潜んでいると思います。
ただ、この頃、別の職場でも、出勤していない時にさえ、直属の上司から自宅に電話がかかってくることさえありました。どんなに信頼する友人に会っても、一方的に話をきくばかり。家族の大きな問題も重なり、日に日にハートが重たく、今までにない不快な感覚を体験するようになっていました。
そのような中で、マウントフジフラワーエッセンスは、今は不快であっても必要な感覚を感じているんだ、これはたぶん過去に見ないようにしてきた感覚なんだ、と意識的にいることをサポートしてくれました。
それにしても、何だろう? とその感覚から目をそらさずにいることができたのは、マウントフジフラワーエッセンスのパワーを受け取れた結果ではないかと思います。いらいらする感覚も欲求不満のような感覚も、時には翻弄されそうになりながらも、しっかりと見ることを続けることができました。
この時期、今までに無いほど、パートナーとの時間を過ごすことも難しくなっていました。そのこともあってか、ある時、「私を見て。私の話も聞いて。私に触れて!!」とある種の欲求のようなものが、爆発するのを感じたのです。
そして、やっと気づきました。この感覚は、子供の頃から、弟たちの世話をする役、姉としていい子でいる生き方。大人になってからも、看護師、セラピストとして、どこか与えることばかりに自らの価値を置くあり方、生き方をしてきた中で、実は深いところで、ずーっと叫んでいた感覚だったんだぁ、と。
また、この頃、ある本の中に「私の心の奥底にあるものはうわべだけの人の良さを許しません。人々が持ち掛けてくるネガティブな話を親身になって聴いているように見せる態度、それは、あくまで表面的なものでしかなかったのです。愛を持って真実を語り、正直な態度で人と接することが必要でした。」という下りを見つけました。
私の核に触れてくれた内容でした。
どこか与えることを重視してしまった在り方によって、実は深いレベルからじわじわとバランスを崩しはじめていたのだと、やっと気付くことができたのです。
そんな中で、与えられることを求めた人に触れている時には、どこかうわべの親身さを装い、そして、そんな自分を許さないでいたのだ、と受け止められました。
いつにないイライラ感はより真実に近づくためのプロセス・・
私は、自分が幸せになることを許すことができ、この欲を感じることを受け入れることができたのだと思いました。
そして、また、チャクラに沿ったこの「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」のプロセスな中でも、第5回目の第5チャクラでの体験は、生涯忘れることはないと思います。第5チャクラが霊的世界に関係する最初のチャクラである、ということを第5回目に学んだタイミングに、19年間家族と共に生きた最愛の猫のサービスが、旅立っていったのです。
私の肉体は、胸部から首の辺りにかけて、過去にはないアレルギー反応で、真っ赤に爛れていました。
マウントフジフラワーエッセンスは、私自身の受け止めきれない痛みと家族それぞれの痛みを受けて、より肉体が反応しているという事実を、優しく教えてくれました。そして、悲しみを悲しむということを、許す勇気を与えてくれました。
マウントフジフラワーエッセンスとこの「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」のプロセスは、自分の深い見たくなかった欲を見ること、それを許すことを体験し、そして、どんな感覚であろうとも必要な感覚としてそのままに感じることの大切さを、教えてくれる機会となりました。
肉体を持ち、人間として生きている、厳しいけれど、あたたかい生き生きとした素晴らしさを教えてくれたのです。
そして、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」中、ずっと「すべては ひとつ。」という感覚を受け取っていました。その意味するところが、ピンと来ないでいましたが、最後のメッセージを受け取った瞬間、理解できました。
それは 私自身の名前の意味するところにも通じているのだ、と。
私の名前は「一恵。」 「世界で一番恵まれるように、と名づけれらた。」と今までは理解していました。
それが、メッセージを受け取ったことで「一番、二番ということではなく、『すべてが、深いところでは、ひとつ。それこそが、恵み、豊かで至福で満たされていることに繋がる。』という理解に変化したのです。
今この瞬間、心地よく感じることも、そうでないことも、好きでも嫌いでも、良くても悪くても、全てが実はひとつ。
とにかく、生きてみよう。
限りある命をこの手を通して人とかかわり続け、光を感じ、勇気を出して愛を表現していこう。
今、こころから、そう思います。
私は明日、誕生日を迎えます。
マウントフジフラワーエッセンスとこの「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」のプロセスに深い感謝を込めて、限りある肉体と共に在ることのできる素晴らしさ、時を刻むことの美しさ、その瞬間瞬間を感じ、そして永遠である魂の成長の旅を続けて生きていきたいと思います。