マウントフジフラワーエッセンス 基礎講座 体験談
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[マウントフジフラワーエッセンス基礎講座]体験談
H.Y
掲載日: 2010年 10月 27日

*弊社注:長文でのエネルギーの流れがある為、可能な範囲で、筆者の行替えを尊重して掲載しております。

●受講迄
バッチフラワーエッセンスは聞いたことがあるものの、マウントフジフラワーエッセンスを初めて知ったのは、去年の秋ごろだった。
最初、富士山とフラワーエッセンスがつながらず、何の事だかさっぱりわからなかったが、その言葉を目にした時、衝撃が走ったのを覚えている。
その後、個人セッションを受け続け、マウントフジフラワーエッセンスの講座にも行きたいという思いも芽生えたが、時間やその他で受けるのが難しいと思っていたとき、いろんな事がリンクし、講師のパビットラにも助けられて、とんとん拍子に、この「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座体験談」の参加に進めたことが、まずとても嬉しい。

初回の2日前にも個人セッションをうけた。
その影響も絡み合った気づきや出来事を、あとから振り返って感じたものも絡めながら、順を追って書いていこうと思う。


●第1回目
初回は第1チャクラと第1身体について。
私は、講座の各回と対応するチャクラに働きかける事をテーマにし、ボトルをリーディングした。
選んだマウントフジフラワーエッセンスは、イカリソウオオオケダケ
ミックスしたエッセンスを口に含むと、ふわ〜っとやわらかな空気が内側から広がった。

2日前の個人セッションで選ばれたトネアザミフジアザミオオイヌフグリホトケノザモモもまだ飲用してるので、それらとともに飲み始めた。合計7種類の花のエッセンスのエネルギーを飲むことになる。

第1回目の後帰宅中、電車の中で、その日に選んだボトルの特質をが知りたくて、教材でもある、パビットラの本「マウントフジフラワーエッセンスとエネルギーの世界―花の"Being"―」を読んだ。
悩める人生の探究者のサポーターのイカリソウは自分にぴったりだと思った。
オオケダケも、精神世界の知恵を日常で活かす、そして日常とのバランスをとることをサポートするので、これもまたピッタリだと思った。
今の仕事や自分の居場所に不満を持っていても、仕事を辞めないほうがいいとセッションのメッセージでも言われている私には、とくに本の中にある「必要な学びを、今いる場所で続けていく勇気・・」の箇所は、やっぱりそうかと、ここでやっていく為の勇気をもらったような気がした。

すでに飲み始めている個人セッションのミックスボトルの浄化反応で、眠気やだるさがあったが、それは引き続いたので、仕事するのがものすごく億劫だった。

夜寝る前、すわってハートにくつろいで、個人セッションで選ばれたミックスボトルをハートにおいてみた。
ハートが透明になり、広がったように感じた。
第1回目に選んだミックスボトルをハートに置くと、ハートが痛くなった。ミックスボトルのエネルギーが大きかったのだろうかと思ったが、本当のところはわからなかった。選んだときは、こんな感じではなかったので、驚いた。
なぜ驚いたかというと、選んだ時は、第1チャクラがテーマだったが、ハートが心地よいのを選んだからだ。
第1チャクラにそのボトルをもっていくと、なんとなく落ち着いた。やっぱり第1チャクラに働きかけるミックスボトルだからかもしれない。

この期間、夫が1泊出張したので、その晩は自分の時間がとれた。
ピアノが弾きたくなり、ドビュッシーやショパンが好きだが、技術的に無理があって、思ったように弾けない。
気が済むまで弾いてから、それらのCDを聴いた。
ドビュッシーの「夢」をきくと、懐かしさがひろがった。
午前中の、草が生えてる草原で聴いてるような、弾いてるような感覚がわいて、胸がいっぱいになった。
ショパンの「英雄ポロネーズ」では、胸がいっぱいになりすぎて、踊り出した。
クラシックで踊りたくなったのははじめてだった。
ピアノの音に包まれて、何とも言えないくらい美しさに包まれたようだ。
ショパンの「バラード第1番作品23番」では涙が流れた。
「スケルツォ作品31番」では、なつかしさで号泣した。どうしようもない懐かしさ、懐かしいのか、何なのかわからないくらい泣いた。
その時、この感覚は、先日に個人セッションで、パビットラから言われた過去世の少年とピアノと関係があるんだなと感じた。
ピアノの音色がいつもよりも美しく感じて泣いた。それを感じる自分の内側の美しさを感じ、その価値を認めようと思った。

外側の変化といえば、この回の翌日、職場で、普段あまり私とは話さない職員が、いきなり彼女自身の気持ちを話し始めたので、びっくりした。
そのあと沢山話すようになってはいないが、彼女との距離が縮まった気がした。そのときは、相手が私を受け入れたたような感じがしたが、これを書いてる今は、私のほうが彼女を受け入れたのかもしれないと思う。
ほかの職員が、マウントフジフラワーエッセンス基礎講座に通ってるのをずいぶん感心し、どんなものかと聞くので、簡単に説明したが、よく分からないようで、只々不思議がった。
フラワーエッセンスがどういうものか知らない人に説明するのは、本当に難しいと感じる。
ほかの事でも常に感じるが、相手が全くしらないものを、どういうものかと説明するのは、本当に本当に難しくて、説明すると、かえって興味が薄れたりする時も多々あったので、自分のやってること、やりたいことを話すのはとても苦手だ。
相手がどれくらい興味があるか、必要なのかによって変わるとは思うが。

また、この期間は、衝動的に、バック2つと靴を1足買った。
ほしかった色なので、思い切って買った。
コーヒーを飲むのを控えたいなと思ったのもこの頃だった。
以前もみたことのある、CLANNADというアニメーションを観た。(京都アニメーション『京アニと呼ばれている。』この京アニは、質の良い作品を作っている)
それは、人との絆、人と町の絆を描いた作品で、自分の居場所を愛する事、この先どんな変化がやってきても、受け入れ、乗り越えていくことを長い連載で描いていて、この、この居場所で人とつながりあっていくのが、第1チャクラにぴったりだと思った。
この時期にこのアニメを観たというのも、今はシンクロニシティだと感じる。

第1回目にボトルをリーディングした時の選び方について、私はハートに共鳴するようなものを選んだことにたいして、あれでよかったのかどうかと不安があったので、パビットラに質問メールした。
パビットラからは、そのように起こったことを信頼し、受け入れてくださいと言われた。
そして、今回の起こった出来事は、これから私が自他と関わる際の姿勢のようなものを、象徴的に鋳型的に表現していると言われた。

人生のなかでどちらの方向にいくかを選択するとき、ハートが共鳴する、広がるような感じのことをする。行く。
自分が幸せになり、ありのままを生きるのに、ハートが喜ぶことをする。ハートと一致する。
それでいいのですよと、
そんなメッセージをくれたのかと思う。

夢もみた。
自分の育った家の入口から工事が始まっていて、夫と子供と共に入って行くと、夫の父が家を修繕していた。という夢。
第1チャクラに働きかけてるこの時期に、育った家がでてきたというのが象徴的だなと思った。
私の根っこである、幼い頃形成された思い込みか何かを、新しく直し始めているとといわれてるような気がした。
父親は社会といわれるが、夫の父がでてきたというところで、あたらしい社会性を育てはじめてることを表してるとも思った。


第2回目
第2チャクラと第2身体のこの2回目では、ダンチクのボトルを選んだ。

第1回目のボディへのアプローチの宿題を行った後、足ふり、この回の実技でやったように、ハラセンターを意識して、ミックスボトルを使ったセルフヒーリングを行った。
残念ながら、ノートにも記録してないし、覚えてないが、エネルギーの応答があったように感じた。おへそから、エネルギーが通って上昇したように感じた。
そして、おへそから第2チャクラにボトルをあてると、第3チャクラも反応したように感じる。
この期間は、ミックスボトルの味が、アルコールの味が濃くなった。

この頃は、眠いような、ぼーっとしてるような感じで過ごしていた。
また、あるPCゲームにハマっていて、やりたくて仕方がなかった。
そして、職場で、話してるときに、なかなか自分が話しをはさむことができなかったのが、いつのまにかすんなりと、気にすることもなく話している自分がいた。

マウントフジフラワーエッセンスは、本人がのびのびと生きるのを妨げる行動のクセを、本人が変えようと努力しなくても、いつのまにかそのクセが落ちていて、そのクセがあったことじたい忘れてしまうほど自然でやさしい。
「そういえば、いままでできなかったことがやれてたな。」とハタと気づいてマウントフジフラワーエッセンスの作用に気づく。それも短期間で。

この回に紹介された、いくつかの第2チャクラに役立つ宿題を行った。
なので、自然に、ぼーっとすごしていたこの期間は、ちゃんと第2チャクラにエッセンスが共鳴していたのだと気づいた。
外側では、たんたんと職場に行き、帰宅後はPCゲームをするのが楽しみで、疲れていてもやめられなかったくらいだった。
こんな状態はあんまりよくないなと思っていながら、やり続けていた。
休日は、ぼ〜っと過ごしていた。

夢もみた。それは、自分の行動や思いのクセなどを、漫画的に説明してる夢。
そして、職場で、男性用と女性用の着物を身につけなくてはいけなくて、私だけはまだ、着物の型紙も作ってないという夢。
去年着た着物はまだ洗ってなかったので、別のをもってきたが、ほかの職員に(すごく年取った人)薄いよと言われた。
職員たちは、仲良く協力しあっていたが、私は夢の中では挨拶もろくにできないから誰も寄ってこない。
私はいやになりながら、泣きたくもないのに、いやだと泣き出した。やりたくないので、わざと大騒ぎした。
そしたら、本当に、こんなのいやだと思ってきた、という夢。
その夢のあと、あるボディワークの勉強会で出会った男性のことを半分夢で半分起きていて考えていた。その男性がある女性の着物姿をとても素敵だと言っていたことが浮かんだ。
その女性は、姿も、探究の姿勢も美しく、無垢な人で、その男性はああいう美しい人が好きで、私のことは好きじゃないんだと思ってガッカリしていた。
そして、その女性の姿を思い出した。美しいなと思いだした。

自分の中の、女性性と男性性がまだ出会ってないよ、と教えてくれてる夢なのだろうか。
そして、女性としての自分を受け入れてない傾向を教えてくれてる夢(半分思考)なのだと思う。

この頃から、また、コーヒーをまた飲み始めた。
そして、自分の顔について、お化粧して、もっと華やかになれたらいいなと特に思っていた時期だった。
上記の夢と、その思いは両方、女性としての魅力が自分にはないと思っていることの表れだったんだと思う。

自分には魅力がないと思っていたこのときに、職場の人に、イキイキしてるねと言われた。
考えてみると、マウントフジフラワーエッセンス基礎講座後午前様に帰宅して翌日仕事にきているわりには元気で安定していた。


●第3回目
第3チャクラと第3身体の回目。
選んだマウントフジフラワーエッセンスは、オオキンケイギクイヌキクイモジシバリセイタカアワダチソウノハラクサフジヤマブキだ。

このときに紹介された宿題を、私はやる気になれずとうとうやらなかった。

この頃から、よりどころのないような不安感がでてきた。
自分が「これでいいのかな」っていう感じの不安感。
それは第4チャクラと第4身体がテーマの第4回目まで続いた。


夜寝る前に、自己流だが、ハートが苦しいので、ハラから呼吸を入れて、そのエネルギーを外に流した。
途中、今のハートを花にたとえるなら何だろうとみてみたら、赤紫のねばっこい液体がグツグツ煮えたぎっていた。
その映像はどんなメッセージなのかと問いかけた。(ただそれを見ていればよかったと今は思うが)
浮かんだのは、小5の頃、母が入院して、ひとりで買い物にいったりしていたころ、買い物の通り道のある変電所と公園にいたときの自分の感覚だった。
一人ぼっちで、平凡な毎日で、幸せでもなかったが、その時はHappyで、神秘的で、独りだった。
そこに戻りたくてなつかしくて、泣いた。
首が苦しくなり、オーラフィールド要のミックスボトルを首に吹き付けた。
その懐かしい感覚は、第1回目のときに見た夢の懐かしい感覚と同じだった。
(その第1回目でみた懐かしい夢は上記に書いてないし、今は覚えていない。)、
この懐かしさ、戻りたいという感覚がわくということは、魂が戻りたいと所なのだろうかと、その時には思った。
そして、今の職場で人と関わるのは辛くて本当にいやだ、という方向に思考が流れた。

今、夜寝る前に、・・・からの自分の思考の流れは、ひとつのパターンを見せてくれている。

上記にかきつらねた、思い、感情の流れが、魂の戻りたい所というわけではなく、職場の人と関わるのが本当に辛いのではなく、ただ定期的に起こっているようにみえる。


第4回目に、ペアの方に選んでいただいたマウントフジフラワーエッセンスは、シキザクラオダマキシャクナゲ(ピンク)シャクナゲ(ペイルピンク)ミゾソバ(ピンク)だ。
この週にも、宿題をいくつか紹介された。
だが、この週も、エクササイズはやれなかった。
探せなかった、対象がなかった、思い浮かばなかった。
私にはどうせそんなのない、と、内側のどこかで絶望感があった。

あとから振り返ると、その時のボトル・・特に、シキザクラシャクナゲ(ピンク)ミゾソバ(ピンク)が、ぴったりだったのだと思う。
シキザクラの特質は、絶望感を優しく包み込み、軽さを与えると本に書かれているが、その通りに、優しく穏やかに作用したと思う。それは、各回で選んだエッセンス全部がそうなのだろうが、ミックスボトルを飲みきったあとも調整は続いたのだと思う。
その期間中に変化は感じられなかったが、いつの間にか、絶望感はなくなっている。
と言うより、絶望感にとらわれなくなったという方がぴったりくる。

この期間中の出来事に戻るが、ひとつの宿題に関連して、あるものを買おうかと思ったが、日々の生活に疲れていて、休日に買い物にいくのは億劫だった。

そんな自分をそのまま受け入れることができずに、パビットラにメールした。

メールでは、この回の実技で、ペアを組んでボトルを選んだ時、相手の方は私のを選んでくださったときにいろいろ感じたことをシエァしてくれたが、私は相手のを選んだ時にはそれほど感じられなかったので、つぎからは気をつけようという内容とともに、買おうと思っていたものについても、買わなくちゃ(実行しなくちゃ)いけないというふうな内容をかいた。
パビットラからは、比較しなくてもいいこと。自分がしたいようにしていいこと。やりたくないなら、やらなくてよいことなどの返信で、ああ、自分のこと大事にしてないなあと、自動的に「ねばならない」になって、自分を苦しめてるのがわかった。

そしてまた、誰かに、「○○しなくてよい」「○○してよい」と言った承認を求める自分がいるのも改めてわかった。
何度もこのところに戻ってしまう。

どうしてそうなのかは、過去を振り返ればいくらでも分析できる。
13年くらい前から3年間程、心療内科でやっていたグループに参加し、さんざん分析していた時があった。
でも、いくら分析しても自分自身はまったく変わらなかった。
なので、講師のサンバドが補講で言われたように、分析せずに、ただ、そうやって頑張って適応して生き抜いた自分を抱きしめてあげようと思う。

第3回目のときのある宿題について、そのときやれなかったと先に書いたが、第7回目が終わり、第8回目の女性性・男性性を受けた今、私は自分の、「こうでありたい」という理想をもってることに無意識だったことに気が付いている。
私は特にスピリチュアルな方向に対しての理想がある。
それがスピリチュアルなことでも、世俗的なことでも理想にはかわりないのに、そこには目を向けてなかった。


私はエンライトメントしたいし、(エンライトメントは、『なる』ものではないのに)そうなるためには、瞑想して、ああして、こうして、そうなったら職業もスピリチュアルなものに就けるだろうし、なにもかもから解放されたいし・・・という欲望から、人格的なところで、自分の、いい部分しかみんなにみせたくないという強い思いがあることに気がついている。

そんな理想に自分をあてはめたいから、そして、その理想が人の生き方として一番いいと思ってるから、世俗的な人や、知性のない人や、表面でしか出来事をみられない人や、探究心のない人を心のどこかで蔑視して、嫌ってきたんだなあと思う。


第5回目
さて、次に、第5チャクラと第5身体の回で選んで頂いたボトルは、リンドウノビルニラマルバハギだ。
リンドウノビルは第1チャクラに反応し、ニラは第2チャクラに、マルバハギは第3チャクラに反応した。
ペアになって私が先にリーディングしてもらったが、横になって、最初のボトルを選んで頂いてるとき、一瞬、百合のような香りがしたのが印象的だった。

この期間は、特に職場の人たちとの間で、怒りがでてきた。
なので、夫に愚痴をきいてもらったり、声や動きを使った動的な瞑想をしたりして過ごした。
怒りがでてきてから、職場でも、自分の感情を、前よりだすようになった。
それも、ストレートに怒るのではなく、他の職員たちと同じようなニュアンスで、軽口を言うように表現したのもこの頃だ。

先にも書いたが、自分のいい部分しかみせたくない自分だったので、この変化は大きいと思うし、より楽に生きられると思う。
この頃、自分のなかで、いい人間になりたい、大袈裟に言うと、立派な人間を目指さなくてはいけないという思い込みを持ってることにだんだん気づいていくなかで、いろんな自分がいてもいいのだと、文句を言ってもいいんだと、どこかで認識したように感じる。
立派じゃなくても、自分が損なわれることはないというのを内側で分かったという感じか。

この時期も、職場を離れたくて、第2回目のボトルリーディングで習った技法を使い、仕事を辞めたほうがいいかどうかを扱った。
続ける事にイエスという応答を信頼した。

この時期のある宿題に対して、私は朝早く起きて、瞑想(とくにビパサナ)をする、というテーマを扱った。
どうしてそれにしたかと言うと、いつかは朝早くにやりたいと思っていたことを、この機会にやれてよかったなと思うと同時に、早朝瞑想する時間をつくると、その日一日、たとえ、自分のネガティブな思考に巻き込まれたりしていても、どこか落ち着いて過ごせるかもしれないと思ったからだ。

この、第5チャクラは、私にとっては特に重要で、第5身体や天の次元の「答えなんてない」。
これがとても助けになり、ここを境に、特に楽になって来たと思う。

生き辛さをかかえて瞑想の師に辿り着いて、善も悪もコインの裏表にすぎず、すべてがオッケーなこと。
すべてありのままを受け入れるだけで十分なこと。
ジャッジや比較では何も育たないことを知ったのに、自分の立ち位置が、実際はそこから離れてるのがわかったのがこの頃だ。

答えなんてないところにとどまることは、精神的に不安定なときは特に、あやふやで、心もとない感じもするが、そういう在り方でいると、自分にやさしく、深刻にならずに流れていくのを体験した。

こうやって、レポートを書いてる今は、気づきもあり、変化を感じているが、受講中にマウントフジフラワーエッセンスにふれながら、気づきが少ないと感じたのはこの頃だった。

振り返ってみると、さまざまな気づきがあったのに、
少ないと感じていたのかと思うと不思議だ。
変化は、長いスパンでみないとわからないものなのかもしれない。

その頃、気づきが少ないと感じたことをパビットラにメールで伝えた。
すると、気づきがあるないの「基準」を、どこに設けているかというサポートがあって(サポートはいつもですが!)わかったが、私はいままで、自分の問題に気づくことを「気づき」としていた。
その姿勢は、ありのままの自分を抱きしめると言うより、いたらないところを改善しようという姿勢だ。
なので、気づきが少ないと感じたというのは、その基準からの気づきが少なくなったということで、それは、問題を改善しようという姿勢からはなれてきているサインだと思った。
それは私にとっては、善い方向だ。
自分にOK出しだ。

マウントフジフラワーエッセンス基礎講座に定期的に通うことが、私にとって滋養になっていて、静謐な一本の芯が内側で育つように感じたのもこの頃だ。

この期間に、飼っている猫がいなくなり、その日の夜、車の下にいたが、車にひかれて、右後ろあしを脱臼したので、手術をした。
一日帰らなかったとき、夫は、もう帰ってこないねと言ったが、私はそんな感じは起こらなかったので、車の下にいたときは、そんなに驚かなかったが、這って車の下まできたのを思うと、切ないし、よく帰ってきた、頑張ったねえ。と猫をいっぱい褒めた。


第6回目
第6チャクラと第6身体のこの回で選んだボトルは、フジ、オオイヌフグリ、アイリスナギナタコウジュだ。
この回の瞑想ではキャンドルを使ったのだが、日曜日に、キャンドルの灯をみて座った。目をそらせたくなり、結構苦手だ。
その頃、マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座に通うかどうか迷っていたので、ハートに問いかけてみた。
何度も問いかけるのは、答えを信頼してないことになって、よくないかもしれないが、これだ!というぴったりした感じではなく、なんとなく、喜ぶ方向のようなきがするなあ、という感じだったので、日をおいて何度も聞いた。

この頃は、自分の近況をメールで表現することが癖になって、表現が解放にならず、かえって、そこの状態に留まらせる作用になってることに、パビットラのメールで教えられた。

第6チャクラは、第3の目なので、ものごとを離れて観るところだ。
なので、ひとつの状態に留まって流れない状態に陥っていることが表面化して、よかったと思う。


第7回目
第7チャクラと第7身体の回の日の午前中、起きてからずっと不快感があり、この感じは普段あまり感じなくても、ふとした拍子や、きがつくとあるもので、表面にでなくても、何年も何年も何年もあることに気づき、「私はいろんなセラピーやヒーリングのグループに行っても、このところは変わってない」と、落ち込んだ。
意識をむけるところが大きくなるから、喜びに焦点を当てる方がいいのかもしれないが、以前大変だったときにしてたように、この自分をまるごと受容しようと、瞑想した。

さまざまな思考に巻き込まれ、それに気づき戻って、の繰り返しだった。
マインドからノーマインドにシフトするのは、私にはどうしたらいいのかさっぱりわからない!と感じながら、また、マインドにはわからないことだよ、ただそこにいればいいだけだよと思っていた。
一瞬、意識がなくなり、ボーっとしているのに気づくと、身体ごと、自分がくつろいでるのに気づいた。

しばらくしてから、またプマウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座を受けるとハートが喜ぶのか問いかけたが、あまりよくわからなかった。
そして、以前参加しようかと思っていた、外人セラピストの瞑想グループに参加することも問いかけてみたが、苦しくなった。
別の方法で問いかけてみたが、今度はどちらも参加はノーだった。
どのグループも参加しない方がいいかときくと、それもノーだった。
さっぱりわからなくなり、混乱している自分にメッセージがほしくて、きづきを促してくれるタロットをひくと、「クリエイティビティ」のカードだった。
カードの絵の女性の顔から眼がはなせなかった。その女性は私だとなぜか思った。
カードを手にとって感じてみたが、何も感じなかった。

解説には、何であれ、自分のしてることを愛しなさいと書いてあるのはすでにわかっていたので、むやみに混乱せずに、すでに今やりかけていることをやればいいというメッセージだととった。
それでも混乱していたので、またカードをひくと、「熟すこと」がでた。
内側でただリラックスすればいいだけなのだと、落ち着いた。
その日はその後買い物したが、その間ずっと、いままで感じていた不快感の、また別バージョンのような不快感を感じていた。
その感じはピークになり、ネガティブな方向に衝動的に進んで行く。
帰宅してから、これをじっくり見てみることにした。
座りはじめたら、不快感はあるものの、さっきのピークは過ぎていた。
マインドは際限ない。フィーリングをただ、そうなんだと受け入れながら、「私はそれをみるものだ」と意識した。
フィーリングは変化していく。
15分くらいの間で、辛さは消え、また小さい辛さが立ち、また消え、いつのかにか違う思考にまきこまれ、気づき、それから離れて・・そんな感じだった。
辛さがきえたときは、嬉しくも悲しくもない、少し鬱っぽく、ボーっとしていた。

意識をむけるところが大きくなるので、自分の否定的な思いばかりに注意がいくと、それが大きくなるばかりで、事実私は、否定的な思いが大きい。
否定的だから、深いところで変容できなかったことも事実だ。
それに対して、私は自分をもうジャッジしたくない。
ただ、なんとかここを突破できないだろうか。この不快感との同一化から。
そんなことを思った。

第7回目にペアになって選んでもらったボトルは、ウワミズザクラミゾソバ(ホワイト)ボタンヅル
ツリガネニンジンセンニンソウハリエンジュスピリッツだった。
一緒にペアを組んだ方が、ハリエンジュと、スピリッツのときに、はっきりと必要だという応答がやって来たと教えてくれた。
たしかに、その2つのボトルをハートに置いたときははっきり必要!だと感じたのを覚えている。
どんな感覚だったか言葉に翻訳すると、ハートがひろがり透明になりながら、なおかつ豊かさがある感じに包まれるような感じだ。

この回の実技の中ではハイヤーセルフともつながったが、そこで行ったひとつの段階を絵にかいてもよいし、自宅でハイヤーセルフとつながって、いろいろ聞くこともできると言われた。
なので、その日の夜に寝床で、ハイヤーセルフのところにいき、受け取ったものに対してありがとうと感謝した。
そして、受け取ったものについて質問をしたが、返答はなかった。
聞き方がわるかったなと思い、私は、それは、明るさと人懐こさが関係しているのではなかろうかと思ったので、(それでいいのかどうか自信がなくて上記のようにきいたのだが)そうですかときくと、返答はなく、かわりに、光のシャワーを浴びさせてくれて、光で私をなででくれてるような感覚になり、幸せになった。
ハイヤーセルフに感謝し、そして、ハートにいき、くつろいだ。

この回の翌日、職場に車で向かうときに、仕事にいくのはあんまり気がすすまなかったけど、空がいつもより広くみえてすがすがしくて、自分の内側も同じようにすがすがしいのを感じた。
この回の、実技やミックスボトルの影響か、内側の一部分がかるくなったのを感じていた。

この回から2日後、職場のお昼休みに、子供のころに父に言われたことを職員に話したあと、歯を磨いてたら、涙があふれてきた。
私はかなり意識して、その職員に、思い出して涙がでるよと言った。
彼女は、誰でもいろいろあるからと、更衣室をはなれた。
私は涙を拭きながら、「今は父はそう言ったことも忘れてるのにね(何今もこんなこと言って)」と自分を笑うような感じで話してみたが、彼女が更衣室から出て私一人になっても、涙はとまらず少しの間ないた。本当に当時言われて悲しかったのを感じた。
そのとき、それを言われたときに泣けなかった感情がいまでてるんだなと、思った。

第8回目
女性性と男性性。
実技のひとつに、ミニグループになってのリーディングがあった。
私はリーディングが苦手なので、はたして出来るかどうかと恐る恐るだったが、浮かんできたイメージを信頼してリーディングした。
自分の女性性をリーディングしてもらったとき、子供が猫だか犬だかと玄関の前にいるが悲しそうな感じだけど、父親が帰ってくると、笑顔になり、(リーディングしてくれた方が)良かったと思ったと言われたとき、その父親は、今の夫かなと思った。過去世のなかで、夫が父の時があったのだと思った。
過去世をみたわけではないから、見当違いなのかもしれないが。
また、寡黙で真面目で、みんなから信頼されたよりにされてるとか、看護師が見えるとか言われたが、寡黙なところは自分でもそうだろうなと思ったし、介護師という、人をケアする職業に実際就いてるので、介護の仕事は女性性がしてるのかと思った。
そして、実際に現実生活の中で、信頼されてるといいなと思った。

男性性のリーディングでは、優しくて、すごく強い人。
医者で、森が好きで、疲れると森にいって一息つくとか、子供を診ていたと言われた。
医者だというイメージは、なんとなく、やっぱりそうかと思った。
エネルギー的に、言われた人物像は、なんとなく納得できた。
父の先祖はどんな医者かわからないが、正式に免許のあった医者だったのかわからないが、医者だったと聞いたことがある。
そして、長男は、獣医になるために大学に行っている。
家系的にもってるエネルギーかもしれないと思った。

医者も、ケアする職業なので、今就いてる仕事は、男性性にも合っていることになる。
両方に合ってるのか・・。
合ってるかもしれないが、私は介護が天職だとは感じてない。
もっと専門性を欲しがってる自分を常々感じているので、その欲求は私の男性性からきているのかもしれない。

シェアで、私は両性とも、「日本!」を感じると言われたのが、初めてだったので、驚いた。ちょっといやだった。
外国がいいと思った。

もう一つ面白かったのは、男性性のなかで、ウイーン少年合唱団のように、男の子が歌を歌っている。というイメージだ。
きれいな歌声だったが、なぜか声が出なくなって、それでも笑顔でいて、声が出なくなったかわりに肩に鳥がのっている。というもので、それをリーディングした人から泣きそうになったと言われた。
私は歌を歌うことにも興味があって、ボイストレーニングを受けようと思ったこともある。
お金がなくて、そこまで手が出せないので、思ってるだけだが、歌を歌うこと、それから、ピアノを弾くことに、自分でもまだわかってない何かが潜んでいるのかもしれない。

今ふと浮かんだが、声が出なくなった男の子が、声を出せるようになったら、男性性も喜ぶ職業に就くことができるのかもしれないと思った。
また、声が出なくなったかわりに肩に鳥が乗っているというイメージは、鳥が瞑想や内側の探究を象徴していて、声が出なくなったから、探究が必要になったのかもしれないと思った。

声が出るようになることが、とても重要な気がする。
よって、意外にも、男性性をヒーリングしたほうがいいのかもしれない。
逆に、声が出ないことを受け入れ、許す必要があるのかもしれないし・・よくわからなくなる。

どうすれば声が出るようになるのか・・。とつい考えがちだが、「どうすれば」というフレーズは、マインドからきていると言われたことがある。
たしかにそうだ。
答えのないところにとどまる。
そこに落ち着くことにしよう。

男性性のリーディングで、言われた、鳥や森、緑 孤独だど楽しんでいる、などを言われたときは、私の男性性の質のキーワードのように聞こえた。
そして、アッシジの聖フランチェスコを思い出した。
映画にもなったが、天と繋がってる聖なるものへの憧れがあるから思い出したのかもしれない。

次に、ボトルリーディングの実技では、自分で自分の女性性男性性を観ていった。
そこには、ミニグループでリーディングされたのとはちがう人物像がでてきた。

男性性は、明るくて、冗談がすきで陽気な中東系のコックで、最初は40歳くらいだった。
職場では、軽薄だと思われてるとこもあるが、自分では、魂を清らかに生きていこうと思っていて、家に帰ると、母親がしかめつらをして、息子が軽薄でたよりがいがないことにガッカリしていて、ダメ息子だと怒るのをなだめている男性。そのときは20代くらいだった。
名前はカエサルと聞こえたが、もう一度聞いてみると、ジュリアスという。
カエサルではないのと聞くと、振り返って、それは誰かが決めた名前。
おれはジュリアスがいいんだといった。

女性性は、西洋の修道女で、20代で美しいが、目を伏せていた。
自分の至らなさに思いがいって、そこから離れなくて、奉仕も重苦しいなかで行っていた。
せっかく、修道院にいるが、そこでの規則のなかでは、自分らしく生きられず、抑え込まれていて、不幸だった。
自分の至らなさが気になって気になって、ほかのことには手がつかないような感じだった。
ハートが重く、苦しんでいた。
名前はマリーと言ったが、そのうち、日本人の年配の修道女になった。赤いふちのメガネをかけていて、私はマリ子、と言ったが、そのあと、また西洋の20代の修道女になった。

教会で二人は出会い、木でできた長椅子のところで立っていたが、そのうち、隣の小さな部屋にいた。
そこは白い壁に大きな木製のテーブルがあった。
ジュリアスはいつのまにか、20代になっていて、マリーに、下を向いてないで上を観よう、もっと楽しもう!というようなことを言った。
マリーはずっと下をむいていたが、そのうち、わかってるけど、できないの!わかってるけど、重苦しさが消えないのよ!と叫んだ。
そして、助けて!私を助けて!とジュリアスに言ったら、彼は、おう!いいよ!と言った。

このリーディングで、私はボトルリーディングの働きかけの進め方についてわからないでいた。
明るくて、人生を陽気に生きてる男性性。
女性性の苦しみは深く、助けてという言葉にエネルギーがあった。

けっきょく、エネルギーを感じたところを切り口にして、ボトルを選ぶことにした。
今もそれでよかったのか、正直迷いは消えない。
選んだのは、マツヨイグサマルバアオダモキリボケ、の4本だ。
キリ(多分キリだと思う)のボトルを指定の部位においたとき、いままでも感じたがより一層、広大にスペースがひろがって、すごく心地がよかった。特別にぴったりした。

特定の部位でミックスボトルを通してエネルギーが循環し続け、女性が女神のように光になって無垢な子供のようなところのある男性を包み、そのまま溶けていった。

帰宅し、寝る前に、ハートにボトルを置き、ジュリアスとマリーの特定の状況をイメージした。特に男性の笑顔ばかりが目についた。子供のように喜んでいた。
女性をよくみようとして、みると、20代の明るい、しっかりして、きれいな女性だった。

翌日、職場で、自分が、どこか柔らかくなってるのを感じた。
利用されてる老人たちに、美人だから、ピアスなんかいらないよと言われた。
何人もの老人に美人だと言われた。そんな顔に生んでくれた両親に感謝しなきゃいけないよ、みたいなことまで言われた。
今迄、男性には少しは言われたことがあったが、女性に言われたことはなかった。
こんなふうに複数の人達に同時に言われたのは初めてだったので、驚いた。
奇跡だ!
そんなことないよと言ったけど、とてもとても嬉しかった。

そんな中で、あるところでマッサージセッションを受けた。

常々、本来の自分を十全に生きるには、エネルギーの滞りを解放し、それには、身体からのアプローチが必要だと、自分をみながら、感じていたが、その機会が、この期間中にあった。
マッサージでは、エネルギーの波を感じた。
電流が渦巻いて、流れるなか、光に包まれて、祝福されてるようだった。

そういう感覚を感じられるのは、ボディの感覚を入口として、微細な次元とつながっていける質を持っているから、とパビットラが言われた。

マウントフジフラワーエッセンスに開き、体感するという受け取り方。
植物界との共鳴は、そこからだと楽なのだと言う。

ならば、マウントフジフラワーエッセンスと向き合うときは、ただ自分のありのまま、身体感覚から、感じられるままそこにいればいいだけなのだ。


このマウントフジフラワーエッセンス基礎講座を受けて、感じることは、丁寧に自分がヒーリングされていたということだ。
短期間で、楽に生活できていて、それが自然なので、かえって変化が解りにくいのが特徴だと思う。
変化することに、自分に無理をさせてないのだろう。
言いかえると、自分にやさしいということだ。

マウントフジフラワーエッセンス基礎講座もあと1回になった。
これでおわるのかと思うと、はやいような、さびしい感じがするが、引き続きマウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座が始まる。
より一層、ありのままでマウントフジフラワーエッセンスたちと会いたいと思う。