マウントフジフラワーエッセンス 基礎集中講座 体験談
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〜「マウントフジフラワーエッセンス基礎集中講座(パート2)」を受講して〜
MT

●「マウントフジフラワーエッセンス基礎集中講座(パート2)」受講迄
数か月の間体がとても疲れていたにも関わらず、今回の「マウントフジフラワーエッセンス基礎集中講座(パート2)」に参加する前日くらいからとても元気になり意欲が湧いてきました。
これは何か流れにのったサインではないかと思うほど象徴的な体験でした。

そのこともあり、次の「マウントフジプロ養成集中講座」にも急きょ参加させていただくことにしたのでした。


●「マウントフジフラワーエッセンス基礎集中講座(パート2)」受講中とその後の体験
「マウントフジフラワーエッセンス基礎集中講座(パート2)」では、クライエント役とセラピスト役を交代で体験することができました。

セラピスト役をさせていただいた時に感じたのは、クライエントは自分を自分で癒していくのだということでした。
セラピストはクライエントからテーマを聞き、その言葉を傾聴し、マウントフジフラワーエッセンスのセッションを始めるわけですが、テーマについてクライエントが話すだけでもそのエネルギーが浮き上がってきたり、内側の奥深くに意識が向けられるのでしょうか、テーマに最適のボトルを選んでいる最中にもクライエントに浄化が起こり得ることを体験しました。

マウントフジフラワーエッセンス自体も、クライエントの放つエネルギーに呼応して選ばれるのではないかと思いました。
的外れなボトルが選ばれることはないんだという確信も生まれました。
すべてはクライエントの意思によって運ばれているような感覚でした。
セラピストがすることは、場の共有、傾聴すること、プロセスを見守ることといったそれほど能動的ではないことかもしれません。
「全力で何もしないこと」の重要性を講師のパビットラさんがおっしゃっていましたが、そういうことなのかな、と少し分かったような気がしました。

私がクライエント役で設定したテーマは「心地良い環境と出会う」というものでした。
セラピスト役の方に、結局は環境が変わらなくても自分の受け取り方や感じ方が変わればそれもOKかな、と自分でも「あれ?」というようなことを言っていました。
それまでは環境が変わって欲しい気持ちが強かったのですが、テーマをしっくりくるまで言語化するプロセスを通して自分の本心に近づくことができたように思います。

選んでいただいたミックスボトルを飲用して1週間目に、右の鼻から鼻水が大量に出て、右目も涙目になるなどの浄化がありました。
思考の変化としては、地に足をつけて現実的に物事を考えられるようになったことが挙げられます。ヒーリングを仕事にすることや、引っ越しをして環境を整えることが必要であれば、現実的な歩みを進められるスペースが生まれた感じがします。


●「マウントフジフラワーエッセンス基礎集中講座(パート2)」受講後の体験
実家の母にフルセッションの練習を行う了解を得て、まずはテーマをどうするか聞きました。
病気ではないものの、体重の減少による体力の低下や筋肉の衰えといった悩みがありました。
結果、本人がしっくりくるという「エネルギッシュになりたい」をテーマに設定しました。

そして選ばれたマウントフジフラワーエッセンスは、
ツルマンネングサ
ナギナタコウジュ
ノビル
フジ
マツヨイグサ
ミゾソバ(ホワイト)
の6種類でした。

他人との関わり方、ありのままの自分を認めるというところに学びがあると気づかせてくれるようなセレクションです。
選ばれたボトルはエネルギッシュになるというテーマとは直接的には関連がなさそうですが、感情面の問題が第2身体のエネルギーに歪みを生じさせ第1身体に現れるということは、気づきを通して肉体が癒されるということは十分にあり得ることを示唆していると思います。

ヒーリング中は、第5チャクラ(喉)がよく動いていました。
その他は特に何事もなくヒーリングを終え、シェアリングに入りました。
すると、6本のボトルをハートチャクラに置いた後、1本1本が突き刺さるようにしてハートに痛みとして入っていった感覚があったと教えてくれました。
痛みが終わるとボトルの重みが軽くなったそうです。
何かが抵抗していたけど、そこに必要なお花のエネルギーが入っていったのかなと、本人は言っていました。
そのため痛みを感じ、必要なものを取り入れ終えた途端、ボトルが軽く感じたのかもしれません。

セッションが終了した後、マウントフジフラワーエッセンスの冊子をよく読んでいました。
それによっても、自分を認めるという気づきが少し進んだようでした。
話を聞くと、嫌な物事に対して腹を立てるのは、傷つきやすいからだと気づいたそうです。
「傷つきやすい」とは母から聞いた事もなかったので、それを表出できたということはあるがままの自分を認めることが1歩進んだということに他ならないのではないでしょうか。    

1週間後、母から電話があり、体からエネルギーが湧いてきた感覚があり、腰に痛みが出てもあまり気にならなくなったとのことでした。
それまでは、腰に痛みが出ると、なんとかしなければと心が動いてしまっていたそうです。
今回も、花は人間にさりげなく寄り添い、気づきという形で心と身体を癒してくれることを改めて知ることができました。