マウントフジフラワーエッセンス プロ養成講座体験談
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 〜「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」以降〜
高橋 久美子
掲載日: 2004年 9月 19日

6月13日
 なんだ、そうだったんだ!「あぶない人、変なヤツと思われたく無い」という私の不安は、夫にあっさり打ち消された?「そんな事気にしているの?それなら、気だの花のエネルギーだの言っているときから変だと思っている」って!あらま?そんならそうでもいいか。頭の固いやつらめ!といっても、講座の中ではひときわ頭の固い私は、過去だの未来だのは自分の潜在意識でしか無いのでは...と思っているのだが、それでも何でもいいかと思ってしまった。
 来世(弊社注*)で私はどこか(スペイン、イタリア?)、石畳の坂の多い国の子だくさんのお母さんだった。なぜか焼きたてのパンをもらった。そのパンの感触の気持ちのいいこと。暖かさが体中に広がる。あ〜私はまだこのことにひっかかっていたんだ、と帰って来て気がついた。それからずっと考えている。今、雅子様の件でタイムリーな問題だからかも知れない。
 結婚して子供にめぐまれない。周りからヤイノヤイノ言われる。その中で女は考えずにはいられない。努力をしてもかなえられるものではない事。自分の存在、生きてきた意味。子孫繁栄の役に立たない女は価値が無いのか?「かわいそうに」とあわれみまで受けなければいけないのか?やってられないよね。
 でももうそんな事は過ぎた事だと思っていた。考えても仕方の無い事だから...それでもやっぱり子供をもてなかった事にこだわりがあったらしい。来世が有って、来世は子だくさんで子育てに苦労しているかな?なんて、あ〜それもいいね、またの機会ということもあるさ、と暖かさが伝えてくれる。
 あわれみを受けたくなく、悲しみも表わせず、胸を張って、あごを上げて、つっぱっている過去の私。今苦しんでいる多くの人。子供の事ばかりじゃあないよね。かなわない事、愛する人の死にうちひしがれている人、来世が信じられたらいいね。小さい時に亡くなった姉、若くして亡くなった弟。「またね!」と思えたらいいね。「どこかでまたね!」
 (弊社注*)6月10日は、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」第9回目で、過去世と来世に働きかける実習を行いました。

6月20日
 掃除、そうじ、朝から晩までそうじ。霊的な成長を望んだんじゃあなかったっけ?(なんだかわからないけど)そうじなんて嫌いだよ。私は、私のマインド(?)はそうじしたいと思ってないのに、他の事は何も出来ない。でもイヤイヤやってる訳でも無い。
 それにしても、と思い、何げなく本を見ると(私はあまりそういう本の読み方、パラパラ見るってしないんだけど、掃除にあけくれているんで時間が無いせいか、はたまた他の訳があるのか)、その本に「掃除ってホコリを払うと同時に、その場所に付着してしまった人間の雑念を消すことでもあったのだ」という文が目に飛びこんでくる。
フーム、う〜ん。フラワーエッセンスって、ムグググとうなってしまう事のなんて多いこと!「場を清めるって大切な事」だってさ...なんでこんな文を見つけるのだ?私の家は雑念だらけか?取りあえず片しなさい。すべてはそれからということですか?
ハ〜イ、また掃除にとりかかりま〜す。

6月21日
 朝、母と電話していると、何かいい香りがする。思わず受話器をかぐ。(なわけないよね)電話を切って台所へ行く。そこでもする。今花は無いし、香水がどこかで倒れているなんて事も無い。クンクン、クンクン、犬のようにかぎ回る。香ったり、消えたり。台風の近づく中、外に出ると外でも香る。
 また、フーム、う〜ん、ムグムグか?香りの元が無い!
これって何?もういいや、考えてもわからない。ずっと掃除しているごほうびだと思おう。いい香りだ。何の花だろう?

6月23日
 1日で香りは消えてしまった。1日中いい香りだったのに...。
あまり熱心に掃除をしているので、夫に「どうしたの?結婚してはじめてそんなに熱心に片づけ物をしているのを見た」と言われてしまった。そりゃそうだ、生まれてはじめてだもの。暮れの大そうじだから、とか、人が来るから、というんでも無いのに、冷蔵庫なんて動かしてそうじしたのは...。
「それって、フラワーエッセンスが関係しているの?」
「さあ?」としか答えようが無い。掃除嫌いが掃除好きになる、勉強嫌いが勉強好きになる、とかエッセンスは無限の可能性を秘めている、と思うのだけど、人に説明する事の難しいこと。
 掃除が好きになるようにエッセンスを選んだ訳でもなし、好きになりたいと思った訳でもなく、「ただ掃除したい」これじゃあわからないよね。さあ、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」が始まる。


●「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」から〜

6月25日
「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」初日
 これは孫悟空の輪っかか?頭がしめつけられるように痛い。わが目に見えるような気がする。「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」が終わったので、もう体は楽だろうと思ったのに、いったい何なんだ?
今回はテーマを決めて選ぶ。私はずっと治らない歯の痛みはひょっとしてエッセンスに関係が有るのでは、と疑っている。そこで「歯の痛みがなくなって欲しい」。今日のパートナーは講師のサンバドさんだ。人数が奇数なので、1人の方はサンバドさんと組むようになりますと話をしている時に、ああ今日私はサンバドさんとだ、と思った。なんでだ?そうしたら、真ん中にいたのにみごとにふとやっぱり1人だった。フーム、前に受講した「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」のロールプレイの時に思ったのだが、エッセンスばかりで無く、パートナーも偶然のようで、自分に必要な相手が選ばれる気がする。
 先日の「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」最終回、過去世の実習の時のパートナーは○さん。「○さんはお母さんでもある」なんて意識した事も無かったのに、○さんに母親を感じ、すごく安心して「母と子」というメッセージを受けた。あれは○さんじゃあなかったら、どうだったんだろうという気がしたんだ。今日のサンバドさんは何だろう?サンバドさんじゃあなくてはいけないんだろうか?
 エッセンスを飲むと、首の後ろを何か(エネルギー?)がかけ上がる。上に抜けたがっているのだけど抜けない。頭の回りに悟空のわっかが出来た。変な事、思いだした。孫悟空って私がはじめて見た映画だ。アニメだった。悟空がかわいそうで映画館で大泣きして、母に外に連れ出された。最後まで見なかったんだ。わっかって、どうやったら取れたんだっけ?あまり頭が痛いので、歯はどうでもいいような気がする。これってあり?
第2チャクラにノビル、フジ、トネアザミ。
第3チャクラにツルマンネングサ、イヌキクイモ。
基礎講座の終りには、自分に必要な、欲しいと思うエッセンスが選ばれていく気がしたが、またよくわからなくなってきた。

7月2日
オオキンケイギク、オオイヌノフグリ、ワレモコウ、マツヨイグサ、ウツギ、ナギナタコウジュ、ボケ

 痛い、痛い、ボトルが顔に近づくと歯が痛い、頭が痛い。悟空の輪がしめつけられる。

 先週、手作りのフラワーエッセンス用ボトルポーチをみんなにあげて、ほめられ、うれしかった。おせじにでも商品に出来るといわれ、いい気になった。でも家へ帰ってきて、だれかにどやされた気がした。
 私は短大の服装学科を卒業しているんだ。ドレスもコートも縫えるように勉強はしたのだ。フラワーエッセンスでいえば、プロの認定を受けているようなものだ。他にもディスプレイの勉強をし、近所のウィンドウを飾ったりしている。お金はもらった事が無い。「お金じゃあない。みんなに喜ばれるのがうれしいの」と思っていたけど、それって「逃げているのではないか?」といわれた気がした。
 「バッチ博士のフラワーエッセンス」の認定試験には受かったけど、何もしていない。評価されたり,責任を取る事がそんなにこわいのか?
フラワーエッセンス用のボトルポーチを作る。いくつもいくつも。やっと満足出来る物が出来た。今日のエッセンスは「自信と勇気を持って前向きに進めるように!」
商品になるかどうか見てもらうんだ。「ずうずうしい」と思われはしないか。「たいした金額」にもならないのに、こんな思いをしたくない。でも、でも、そんな事、見てもらう事すら出来なくて、なんでセラピストなんてなれるんだ。これは私の認定試験!
疲れた...体中の勇気と根性を使いはたした気がする。認定試験の方が楽だった気がする。「スタッフとミーティングして...!」とのこと。
私にそんな事出来る訳が無い、と思っている夫は「見せてきた」と言ったら、「よくやった!」とほめてくれた。そのまま帰ってくるかな?と思ったって。夫には、私が大変な勇気をふりしぼった事がわかってもらえた。それだけでもいい。

7月4日
 わかった?けど、そんな事って...悟空のわっかは、私が、私の、と...考える事をやめさせたがっている。自我と思考(マインド?)、考えずに流れにそって生活していると痛くない。本を読んだり、文を書いたり、考えたりすると頭が痛い。歯はエッセンスにふれると痛い。エッセンスに関係する事をやめさせたがっている。掃除しているときが一番どちらも痛まない。痛くない道を選ぶ。どうなるんだ?いったい。

7月10日
 暑い。だれの口からもこの言葉しか出ない。洗濯物を干しに外に出る。暑い!でも気持ちがいい。太陽が輝いている。そうだ、そう思うのは久しぶりだ。夏は大好きだったのに、弟が無くなった夏から、夏はただ暑いだけのものになった。あの夏も暑かった。休み明けに弟と同じ年頃の若いお医者さんが真っ黒になって出て来て、あんなに黒かったのに青白くなった弟を診察する。弟が「外に出たいな!」とつぶやく。私とお嫁さんと母と「車イスだったら出られるよ」...でももうそんな体力すら残されていない。私は屋上でパジャマを干す。外に出るなんて簡単な事なのに...。

 いけない、いけない。朝っぱらから洗濯物かかえて泣いてどうする。タオルで顔ふいちゃえ。

 今日はなんて日だ。昼ごはんの片づけをしていると、小さなおかっぱの女の子が浮かぶ。べそをかいているあの子は私だ。
姉がオートバイにはねられた。父と2人で赤い光の中、女の子を1人残して消えてしまった。父は戻ってきたけど、大好きなおねえちゃんはどこかへ行ったきりだ。急に無口になったお父さん、泣いてばかりいるお母さん。あの子はこわいんだ。みんな消えちゃうんじゃあないかと...。
 その子に近づく。腰をおとして、その子の目を見て、「だいじょうぶだよ、誰もいなくならないよ」と声をかける。「うそ。おにいちゃんもいなくなっちゃった」お兄ちゃん?弟の事か?この子は小ちゃい子のままで、弟はお兄ちゃんだったのか?「自分が大好きな人は消えてしまう。自分は大好きになっちゃあいけないんだ」
かわいそうに、こんな小ちゃい子の胸ははりさけそうだ。今の私の胸もはりさけそう。その子をだきしめる。「みんな、ちょっとのお別れなんだ。また、どこかできっと会えるんだよ。『またね』といってごらん」
その子の涙か、私の涙か、現実の私は涙が止まらない。困った、これから店番なのに...。

 昨日はプロ養成講座の第3回目だった。その話の中で、鎖骨の上がっている人は子供時代に何か安心出来ない事があったかもしれない、という話を聞く。幸せな子供だったような気がするけど...私の鎖骨はつり上がっている。何度もリーディングされるワレモコウ。インナーチャイルド。子供時代の恐れ。そうだったんだ。おかっぱのあの子は、ずっと失うことを恐れていたんだ。愛する事はそのまま失うことの恐れでもあったんだ。

 昨日のプロ養成講座で習ったチャクラの調整はすごかった。人のエネルギーがあんなにハッキリ分かったのははじめてだ。ペアになって、セラピスト役を先にやる。クライエント役の人のエネルギー身体を感じる。(うわっ)と叫びたくなる。考えるのをやめて感じていようと思うと、「うわっうわっうわっ」それしか浮かばない。「アホか?」セッションが終わると、クライエント役の人が「ああ、すごくよかった」「ふわっと軽いトランス状態みたいになって、とっても気持ちよくなった」といってくれるが、花の説明は出来ない。頭はうわ、うわ、うわだもの...チャクラの間をエネルギーが通ったような気がしたり、感じ方がチャクラによって違ったり、「それってどういうことですか?」「さあ〜?」これでは仕方が無い。
 今度は私の番。ボトルを置かれたとたん、左足にエネルギーが走る。こっちでも「うわっ!」気持ちがいい。「ねぇねぇ、右足もお願い」という感じなのだが、こちらはさして、ああ通ったかも、という感じしか受けない。確かにちょっとトランス状態に入るのかな?(考えるな!)感じている。ボトルが落ちたと思った。そして、その後置きかえたんだ、と思った。後で聞くとどちらもしていないって、変だな。ハッキリ感じたのに…。目を開けると、左足がひきつったように痛い。「またか!」しびれてた後のような痛みだ、@ワレモコウ Aミツバツツジ Bヤマツツジ Cウツギ Eエゾノコリンゴ Fノハラクサフジ

7月11日
 人生は川の流れ?流れにさからわない。違うな、そうだ、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」の時に、おちこんだ△さんが「なぜか?」とパビットラさんに聞いていた時、「より大きな波に乗る為の準備」だったんじゃないか、といわれていたっけ。人生ってサーフィンみたいなものなのかな(やったことないけどね)。沖に出る。こぐのもコツがあるらしい。がむしゃらにこいでもダメなんだって波と波の間を行く。準備はOKだ。波と風を待つんだ。(考えない)感じるんだ、風を波を太陽を(考えない)この波は私の物だ。私は波で風で太陽だ。あ〜やってみたいな。線路わきの狭い庭で洗濯物をかかえ、風を波を太陽を感じる。この爽快感はなんだ。押し寄せてくる圧倒的な幸福感はなんだ。また洗濯物をかかえたまま泣く。
どうなっているんだ、私は?あまり幸せでも涙が出る。

7月12日
 あまりの幸福感にマインドがついて行けない。すべてを否定されたようでやってられないと、ヒメイを上げる。まあいい。マインドを捨てる、自我を手ばなすなんて出来やしない。安心しなさい。たまにはそこで寝てなさい。私は何?いっしょに寝たい。今日は何もしたく無い。

7月13日
 人のエネルギーがわかる。おもしろい。母や夫にマッサージをし、人によって違うエネルギーを感じる。
 なぜ文を書きたくなるのか、がわかった。こんな事をだれかに、友だちに話したら「あぶない人」といわれる。私が聞いてもそう思うもの。めんどうになるような事はいわなければいい。だけどいいたい。話したい。いき場を失った言葉が文になる。卒業してから文なんて書いたこと無いものね。文にして体から出す。やっとすっとする。
 エネルギーを開放させているようなものかな。書かずにはいられない。「王様の耳はロバの耳!」とさけぶようなものだ。レポートで提出しなくてもいいのかも知れない。

7月16日
 Cオオイヌノフグリ @フキノトウ Bツリガネニンジン Dクサボケ Fサオトメカズラ Eオダマキ
 プロ養成講座第4回目では人それぞれのエネルギーの感じ方を聞く。本当にいろいろなんだ。ハイアーセルフとつながって、ただ通り道になっているようだ、という人もいる。なんと…フーンわからないな。今日のパートナーはその彼女だ。いいチャンス。テーマは「ハイアーセルフとつながってみたい」だれのいっている事か?私?信じられない。
 
 掃除、片づけと続けてきてコツがわかってきた。わかっている人にはたぶん当たり前すぎて、注意された事が無かった。わからない人は(私)、どうしてキレイにしたのがすぐきたなくなるのか不思議だった。片づけるって、空間(スペース)を作る事なんだ。いらない物を捨てて、新しい物が収納できる空間をいつも作っておく事が片づけるコツなんだ。

 考えるなといっているのに、私のマインドはセッション中にそんな事を思う。マウントフジフラワーエッセンスのやっている事はそのままだ。いらない物、ゴチャゴチャした物を捨てる。スペースを作る。私の体の中はまだスペースが足らない。エネルギーはいろんなところを通り、捨てたがっている。ハイアーセルフは…わからない。

7月26日
<オオケタデ、エゾノコリンゴ、ミゾソバ(ホワイト)、ヤブカンゾウ、メイゲツソウ、ヤマブキ>
 夫の姉のご主人が亡くなった。59才、ガンだった。23日の第5回目の講座の日、出かけてもだいじょうぶかな、と思ったが、亡くなるのを待っているようなのも嫌なので出席したが、落ち着かない。早く帰らなくてはいけない気がする。急いで帰る。連絡はないみたいだ。ホッとしてシャワーをあびてウトウトする。電話だ。12時すぎに亡くなったって…。
 悲しみのさなかにお葬式って、何て大変なんだ。夫には姉が2人、子供が中学に入るまで、ほぼ毎週家族で実家に来ていた。「なんてこった!」週末ごとに8人増えて、12人にもなる大人数に新婚の私はオタオタし、4人の子供たちとケンカをし、姉の子だけにしかりとばす訳にもいかず泣いたり、本気でゲームをして負かして泣かしたり、何年も成長を見て来た。オイやメイは今になってみると血が繋がっている訳ではないが、とてもかわいい。
 そのころの私と同じ年頃になり、結婚もしているメイたちが小さい女の子の時の顔になり、泣きじゃくる。お兄さん、やさしかったものね。「またね!」とはいうものの、泣いていた時に頭をなでてくれた大きな手は冷たく、いつも笑いを含んでいた様な声、「泣く子はオヤツ無しだ」と私ですら耳に残る声は聞けず、そういわれて泣くのをガマンしようとしている小ちゃい時の顔そのままだ。
 となりに座っている夫の腕のぬくもりを感じつつ、このぬくもりを失うのは義姉もメイたちもどんなにつらい事だろうと思う。それにしても何で今月で、こんなに弟の命日と近いんだ。明日は弟の命日だ。同じようなモーレツな暑さがオーバーラップする。メイや姉の悲しみに、私の中の悲しみが共鳴してウズをまく。私の中の小さな子も声を上げて泣き出しそうだ。
お兄さんにも失礼だろう。がまんしろ。式の最中だ。私が泣いてどうする。

7月27日
 「もういいよ」今日は1人だ。泣いてもだれもいない。今日は命日だ。あまり暑いので、両親は家にいるという。私1人お墓に行く。結婚したら、実家のお寺は自転車で5分だった。弟が亡くなって、月命日によく1人でお墓に行った。今、1人でこないね。あれ、もう10年になるんだ。
 昨日のお葬式と10年前の事。弟の事も昨日の事の様に今日は思えるよ。昨日がまんしたから、今日は泣いちゃえ。真夏の真っ昼間、お墓にはだれもいない。泣きながら墓をあらい、花を供え、お線香を手向ける。オーラスプレーを持って来たんだよね。「個人や集団の過去を癒す」。あ〜変な事しているね。ツリガネニンジンが気になる。「祈りへの昇華」。「祈り」って何だろう。照りつける太陽、セミしぐれ、だれもいないお墓の前、手を合わせる。わかんないな。暑さの中、頭がクラクラする。ほんのひととき風がふく。「涼しい」と感じるか感じないか、ふと頭がからっぽになって、自分が火のついた一本のお線香になった気がした。そしてなぜか、「私はここに在ます」という言葉が浮かんだ。祈りって何だ。「私はここにいます」とだれに知らせて、何をしたいんだ。
 マインドはいろいろ考えたがるけど、なんだかすっとした。空に向って何かが通り抜けていった気がする。
空を見上げる。遠く、青い。弟が死んでも、義兄が亡くなっても、変わらず、もちろん私が死んでも変わらず、そのままなんだ。
 弟よ。若く亡くなったあなたが本当にふびんだった。その若さで死ななければいけないグチをいわず、残される人の心配をしていたあなた。
あなたが心配していた通り、母は魂の抜けた人になり、私を絶望させましたが、新しい生命ってすごいですね、あなたの兄の子(孫)の誕生で生き返り、元気にしています。父は「もう死ぬ、もう死ぬ」といいながら(だれかに先を越されるのが恐ろしいのでしょう)元気です。「早くよくなって、かきごおりでも食おう!」と言って、「バカだな、気休めいうなよ、もうオレはダメなんだからオフクロをたのむよ」といわれ、不覚にもあなたの前で泣きくずれたあなたの兄、私のもう1人の弟は、男の子と女の子の2人の立派なお父さんです(お腹も立派!信じられないくらいデブになったよ)。
 あなたの最愛の奥さんは、30から40の女ざかりを再婚もせず1人でいます。こちらは相変わらずスマートでキレイ。元気だよ。
みんなの事は心配していたのに、私の事は無しだったね。
「アネキにはアニキがいるじゃあないか」そうだね、でも夫は夫で、あなたでは無い。
 結婚する前だよね、失恋したのかな、台所で泣いていた私を見つけ、困ったという顔で水をくみ、「アネキにふさわしいヤツじゃあなかっただけだろう」といったあなた。結婚する時に「ああ、本当にいい人にめぐり会ったんだね」といったあなた。小ちゃい時は泣き虫で、いつもみそっかすで、私の遊びのじゃまをしていたあなた。私の弟。かけがえの無い人。弟も義兄もみんなかけがえの無い人。姉やメイたちはまだまだ涙が止まらないよね。でも私はもういいね。10年か。あなたの事で泣くのはよそう!

 空を見上げたまま、また言葉が浮かんだよ。高校野球みたいに。
「宣誓!我々選手一同は、あなたを決して忘れる事は無いけれど、思い出して泣いたりせず、明るく楽しく、人生を過ごす事を誓います。選手代表、高橋久美子」平成16年7月27日、10年目のあなたの命日。

 都会のお寺のセミしぐれはすごい。近所中のセミが集まっているのでは無いのか。なんだか現実離れした所にいるような気がする。私はお線香。燃えつきるまでここに立っていよう。

7月29日
 当然すぎる事に、私はお線香でも、燃えつきもしない。夫に「ボトルポーチはどうなったの?」と聞かれる。ウーン、そんな物も有ったっけというくらい、昔の話の様にも思えるが、「柄をしぼって取りあつかってもいい」と言われていたんだけど、どうしたらいいのかな?
 月末で銀行へ行く。仕事を片づける。食事を作る。生きているって、そういう事の連続でも有る。お線香になっていた私と、日常の仕事を何もなかった顔でしている私。エッセンスは不思議だ。

8月7日
 チャクラの調整っておもしろい。小さい子と遊んでいるようだ。

8月20日
 なんだかオリンピックを見ていて、「思う!」ということを考える。「強く思えばかなう!」といったって、勝てない時は勝てない。そこには自分の努力、いろいろな事にプラス何か、が働いているよな、と思った。自分も人も自然も、私が思った通りになんてならないんだし、そのほうがあたり前の事なんだ。
 そんな事をウダウダ考えていたら、休みに出かけようと思ったガイドブックの隣に、五木寛之さんの「百寺巡礼」という本を見つけた。
その中に「わがはからいにあらず」という言葉を見つけた。親鸞聖人の言葉だそうだ。<他力>五木さんは「なるようにしかならない」と思い、さらに「しかし、おのずと必ずなるべきようになるのだ」と続ける。
 フラワーエッセンスの不思議なところは、何ヶ月も本を読んでいないのに、パッと私の疑問に答えるような言葉がとびこんで来ることだったりするが、それもこれも、大きな見えない力が働いているということなのかな。仏教も他の宗教も関心は無い。親鸞聖人なんて知らなかった。五木さんは「わがはからいにあらず」という言葉は、私の頭の奥にいつも響いて消えない、と書く。今度はその言葉が私の胸の奥に響く。そうか。マウントフジフラワーエッセンスの説明文はわかりにくい、理解しづらいと思っていた。あれはすでに大きな見えない力の存在を認めた上での事だから、私には納得しにくかったんだ。
『自分がそうしようと努めているわけではなく、人の言葉に説得されたわけでもない。そういう機会に出会えたということが、すなわち見えない光に照らされたということではないか』
うまく言葉にならない。フラワーエッセンスって何?

8月28日
 ふりだしに戻ったみたいに、フラワーエッセンスって何だろうという思いがわく。来週は卒業だというのに…。そう、今度で終わり。「バッチ博士のフラワーエッセンス講座」の時も、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」の時も、次が有ったから終わりだと思わなかった。昨年の今頃はまだ何も知らなかったんだ。秋から冬、春、夏。1年フラワーエッセンスに熱中して、夢中で過ごして来た。夫の、周りの人の、「何やってんだか?」という反対を押しのけて。楽しいばかりじゃあなかった。楽しいより苦しい事の方が多かった。体にすぐ反応が出る私は、ずっと痛みと縁が切れなかった。
 痛みといえば、悟空の輪の痛みが無くなっている。そして今日、歯医者さんが終わった。歯も痛まなくなった。全部なにかの終わりをつげている気がする。何が終わり、何が始まるのだろう。
 フラワーエッセンスを使用した事が有った訳でも無く、セッションを受けた事も無く、精神世界に興味も無く、講座でオーラだのチャクラだの、私はいったい何をしているのだろうとボーゼンとしているうちに、「わがはからいにあらず」ときた。
「他力」「サムシンググレート」の存在を認めて、遠い昔では無く、今現在本を書き、その本が多くの人に読まれているという事は心強い事に思える。
「わがはからいにあらず」と五木さんが頭の奥に…と書くのと違い、胸の奥に…と私が思うのは、私の魂(まだまだ、そう言い切る事に抵抗を感じる)は、その言葉を受けとめ、そうか、そうだったんだ、と思っているらしいが、私(自我?マインド?)は、私が勉強したの、私が本を読んだの、私が認定試験を受けたの、私が…と主張する。う〜む。最後までうなっているな私は…。
 「ちょっとはうまくコウネンキを乗り切りたいかな」と思ったことから始まった一年間は、思いがけない一年だった。青春の一年をかけがえのないものとだれもが思うが、どうして48才の一年だって、そう、いつの年だっていつの日だって、かけがえのないものなんだ。そんな事、こんな事を感じた私は楽しく、又深いとまどいの中にいる。
 この先は?したくも無い掃除にあけくれているように、何か、したくなくてもしなければいけない事が出てくるのだろうか?という思いと、何十年を予定を立てて生きてきた、と思っている私、と、何だかボーとしてしまう。そのくせ、どこからかわきあがる幸福感、深い感謝の思いに圧倒される。「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」の終りには、今だけかも知れないと書いた感謝の思いは今はずっと、生きていく限り続いていくものだと感じている。波が有るけどね、もちろん。
 サンバドさん、パビットラさん、講座のみんな、すべての人に感謝を…そして私にフラワーエッセンスを勉強する機会を与えてくれた「何か」、そうだ、もう、どうせ変と思われているらしいから堂々と。
「神様、ありがとうございます」

8月30日
 レポートをノートから書き写して、やれやれ終わり!と思ったら、「フラワーエッセンスボトルポーチ」を完成して持っていかなくてはいけないらしい…私は「もういいかな」と思っていたんだけど…一つの柄になんて決められないし、レポートは書かなくてはいけないし、早く認定試験を受ける勉強をしたいのに…。ボトルたちは入れ物が欲しい?アルミを中に入れて、ショックと電磁波から保護できるように。いいアイデアだとは思うけど…ボトルがポーチを欲しがる訳も無いから、私にやりかけた事は片づけなさいという事なのか。
 こんなにすぐにも「自分がやりたくない」と思っているのにやらなくてはいけない事が有るとは思わなかった。昨日は休みだし…良く出来ているな。まるで夏休みの宿題だ。

9月3日
 出来た!今度こそおしまい。朝まで宿題をやっている小学生の気分だ。当日になっていしまった。
 そういえば、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」も「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」も、体験談をHPにのせてもらったんだ。このレポートものせてもらうのかな。いったいだれが読んでくれているのだろう。どんな思いを感じてくれているのだろう。知らない所で、知らないだれかが身近な人にもしゃべっていない私の体験を知る。それも不思議な事だ。かけるけど話せない、と思うことも有るんだ。
 講座を受けようかどうか通っている人もいるのだろう。このレポートは受けてみようと思う手助けになるだろうか。いやとんでもない、と思われるのだろうか。「よし!私も…」と思ってもらえるとうれしい。そして苦労して完成させた「フラワーエッセンスボトルポーチ」、だれかの手元で便利に使ってもらえると、それもうれしい。
 「思わない」事といいながら「思い」が伝わるといいと思う。フラワーエッセンスも不思議だけど、人も不思議だ(私だけか?)。
 いつかどこかで、このレポートを読んでくださった方とお会いすることも有るのだろうか。講座のみんなと会えるのだろうか。外で会っても、もう教室でそろう事は無い。いままでの卒業と同じように…。ちょっとさびしい。
 長いレポートにおつきあいいただき、ありがとうございました。
「どこかでまたね!」

★弊社注:
ご縁あって、高橋久美子さん手作りの「フラワーエッセンスボトルポーチ」を、弊社にて販売させて頂く事となりました。
よろしれば、詳細について、通信販売の商品新着情報をご覧下さいませ。